※パラレル
※お坊ちゃん緑間・使用人黒子



 その人は、真太郎が生まれるよりも以前より緑間家に仕えているらしい。真太郎の身長が彼をあっさりと追い抜いた日、まるで眩しいものを見るように眼を細めながら、それでも年上の矜持を僅かばかりでも示しておこうとするかのように彼は言った。真太郎は、あまり他人の心を汲み取るという点に秀でていなかったから、彼の感じている自分の成長に対する感慨など量る由もなかった。ただ、自分と同年代と言いきっても大半の人間を騙せるであろう童顔を見つめながら、その実年齢を推察するだけで精いっぱいだった。


 黒子テツヤが緑間家にやって来たのは、嫡男である真太郎が生まれるよりも少し前のこと。当初から使用人として働ける技量を持っていたわけではなく、別の屋敷の小間使いとして細々と生活していた黒子を、緑間家の主人が気に入って買い取ったのである。存在感が薄く、何かへまをするわけでもないのに特別秀でた一芸もない彼に元の雇い主は執着するでもなく黒子を手放した。
 屋敷にやってきた黒子は、それまでいた場所より何倍も広大な敷地と建物に眼を回しそうになりながら、必死に使用人としての技術を吸収していった。先輩たちは皆親切だった。そして優秀だったのだろう。そういった人間が周囲を固めているからこそ、緑間家の人間も穏やかに優れた見識を維持することが出来るのだろうから。
 身長は同世代の平均そこらですと言い張り、新入り扱いと子ども扱いの混ざった生温さに唇を尖らせる黒子に、先輩は粗方年齢の察しを付けたけれど、はっきりとした年齢は黒子自身よくわかっていないようだった。使用人である以上、そんなことは大した問題ではなかったし、この屋敷に黒子を連れ込んだのが緑間家側である以上身元を明らかにすることを求められることもなかった。そうした環境は、黒子にはとても居心地がよかった。
 黒子が屋敷に来てから丁度一年後、主人の奥方が長男を出産した。真太郎と名付けられた男の子は、両親が求める名家の嫡男という役割を見事に自身の一部として甘んじて受け入れた。それしか知らなければ当然で、良くも悪くも生真面目な真太郎は人間として正しいばかりの道を歩いていた。好奇心だとか探究心だとか、個人の欲求で脇道にそれることを良しとしない真太郎には、同年代の子どもたちはどこか幼稚が過ぎて、友だちという対等な関係を結ぶに至ったことは一度もなかった。それを、長男としても一人っ子としても彼を溺愛している両親が心配の種として持ち出さないはずがなかった。
 そして何故か真太郎を一人ぼっちにしないようにと白羽の矢を立てられたのが黒子なのであった。主人からの言いつけならばただ順守する。最低でも十は歳が離れているであろう黒子に友人がいない真太郎の心の隙間を埋めることが出来るのか。自身は微塵もなかったけれど。逆に一使用人にそこまで思い入れを持たれても困るだろう。つまり程よい距離感を保つことが求められているということで、それならば確かに黒子は適任者だった。都合が悪くなれば消えれば良い。それは極端すぎる例だけれど、同じ部屋にいたとしても相手が反応を求めた時以外は息を潜めていないものとしていること、黒子にはそれが出来るのだ。緑間家にやって来て数年が過ぎた今でも、黒子を的確に見つけられる人間など指が三本で足りるほどだった。

「坊ちゃん、今日は天気が良いのでバルコニーでお茶にしませんか」
「ふん、俺は今日中にこの本を読み終えると決めている。お茶ならお前ひとりで行くのだよ」
「使用人が坊ちゃんもいないのに優雅にお茶啜れるわけがないでしょう?それに坊ちゃん、昨晩もあまり寝ていないでしょう。目の下、うっすら隈が出来ていますよ」
「……む」
「休憩しましょう」
「お前がそこまで言うなら仕方ない。休んでやるのだよ!」
「はい、是非お願いします」

 まだ十歳の誕生日も迎えていない真太郎は、日に日に知識ばかり取り込んで口達者に育っていく。それをともすれば両親以上に傍で見守っている黒子には微笑ましいような、年齢にそぐわなすぎて小賢しいような複雑な気持ちとなる。雇い主と使用人の立場と制度に何の疑問も不満もない黒子は年下の真太郎が一丁前な口を利くことに気分を害すことはない。二人きりの時だけとはいえ、多少砕けた態度を取ることを真太郎を初め主人と夫人からも許されている。
 自分の上半身くらいはある大きさの本を閉じて、緑間は床に足を着くことが出来ない丈の椅子からひょいと飛び降りた。黒子とは違い、真太郎は同年代の平均よりは身体の成長も著しい。それに気付いた両親に与えられた彼の部屋にあるものは大人用の家具で統一されている。いつかをそうていしたそれは現在に於いては真太郎を小さく見せる。要するにちぐはぐだった。子ども一人が眠る為には大きすぎるベッドに、ぬいぐるみを持ち込むことを恥ずかしいから必要ないと拒んだのは真太郎自身だけれど。しかし素直に寂しいと口にできない彼の部屋を両親が訪ねてくれることはない。だから黒子は、きっと当初想定されていたよりもずっと膨大な時間を真太郎の為に捧げなければならなかった。屋敷の仕事と、真太郎の世話と、器用でもないくせに無表情のまま駆け足で屋敷中を回る黒子を見かねた他の使用人たちが談判して彼を真太郎専用の使用人として認めさせてくれる程度には、真太郎も黒子を手放すまいと同じ部屋に居させたがっていた。
 身を弁えていないと怒られるかもしれないが、黒子は真太郎が自分に懐いてくれることをまるで弟が出来たようだと喜んでいた。尤も、真太郎は良家らしい傲慢さで、黒子をどこか所有物のように独占したがっていた面があることも理解した上で、そういう情緒を正すのは果たして自分の役目ではあるまいなと迷ってもいた。生まれてから様々な場所で転々と働いて来た黒子は実用的な生きる知識と技を持っている。だがそれは真太郎に披露しても意味がないし必要がない。真太郎だって友だちが出来ずとも学校には行っている。家庭教師を呼んでいる曜日もある。それならば自分の役目は求められるものを受け入れ極める為に没頭し無茶をしでかす真太郎のストッパーであればそれでいいのだと黒子は自分の立ち位置を決めた。そして使用人であるからと、真太郎より少しだけ大人だった黒子は自分の中で引いた線を、決してはみ出そうとはしなかった。

 真太郎が黒子の身長を追い抜いたのは、彼が十四歳のときのことだった。やはり彼は平均を上回る速度で成長し、落ち着き払った態度も手伝って実年齢よりも上に見られることが多くなっていた。一方で黒子は本当に年を取っているのかと疑われるくらいに外見上の変化が停止していた。元々物静かなこともあり、幼少期に子どもらしい印象を抱いて貰えなかったこともあってか緑間家にやって来てから身長が少し伸びたくらいであとは全く内外ともに全く変わっていないと言われることもある。それはそれで、悲しいものだ。使用人としての仕事の腕は、確実に上昇しているというのに。
 そしてこの頃、どうやら真太郎に学校で友人が出来たらしいと使用人からの噂で聞いた。何でも学校まで真太郎を迎えに行った運転手からの情報の様で、これまで入学してから放課後、校門前の車までひとりでさっさと歩いて来た真太郎が、ここ最近同じクラスの男の子を隣に連れているらしい。尤も、その友人と思しき少年が喧しく口を動かしている隣で小さく相槌を返すだけだったり、煩いと怒ったり、時には無反応のこともあるらしい。それでも、連日真太郎に「真ちゃん、また明日ねー!」と手を振りながら帰っていくのだから関係は良好なのだろう。これまで興味本位で寄ってくる人気を悉く追い払ってきた真太郎だったから、周囲もつい気を揉んでしまう。それは勿論、黒子だって同様だった。

「坊ちゃん、お友だちが出来たんですか?」
「―――友だち?」
「運転手が喜んでましたよ。最近いつも車まで一緒に来る子がいるんだって」
「む…、高尾のことか」
「高尾君っていうんですか」
「覚えなくていいのだよ!」
「何故です?屋敷に遊びに来てもらえばいいじゃないですか。そうしたら、僕も精一杯おもてなしさせていただきますよ」
「だから絶対呼ばないって決まっているのだよ!」
「……はあ、」
「もし高尾を家に呼ばなきゃならないような事態になったらお前には一週間くらい暇を出す!」
「――そんな殺生な」

 学校から帰宅して、久しぶりにバルコニーでお茶にしようと準備をしながら件の友人に対して尋ねた黒子に、真太郎はぷりぷりと怒り出してしまう。それが複雑な年齢に差し掛かっている真太郎の、どちからといえば子どもじみた感情に触発したものだと即座に見抜けてしまうから、黒子はティーカップを準備する手を止めることはしない。どうやら真太郎は、初めての友だちを黒子に会わせたくないようだ。それでもあの照れ屋が友人という一語だけは否定しないのだから黒子の心に温かい喜びが広がっていく。成程、確かに真太郎は正真正銘友だちを得たようだ。
 となると、黒子の役目もそろそろ終わりが近いのかもしれない。外に興味が向かないが故、せめて家に拠り所を設けようと放られた黒子だから、真太郎がこうして外との繋がりに意識を持ち始めたのならば、暫くはそれに集中する為にいつでも自分を手放せるようにして置いて欲しい。少なくとも黒子は、いつかはそうしなくてはならないと思っている。真太郎にとって、いくら油断すると直ぐに姿を消すような希薄な黒子であったとして、彼はもう日常に当たり前として根付いてしまっていることを彼は知らない。

「別に坊ちゃんのお友だちを取ったりしませんよ?」
「そーゆーこっちゃないのだよ!!」

 冗談のつもりで放った一言に、思った通りの反応を寄越してくる真太郎に、黒子はもう暫くはこの子を一番近くで見守っていられるのだろうと微かな安堵を覚える。少なくとも、どんどん成長してしまう真太郎を坊ちゃんと呼ぶことに、何の違和感も付き纏わないでいる間は。



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消える魔法をかけました
Title by『ハルシアン』





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