※リコ♂化



 誠凛高校バスケ部に入部して先ず驚いたことはカントクが同じ学生だったこと。次いで中学時代も自分たちを統率していたのは赤司だったかと過ぎったが、やはりキャプテンと監督は別物だなと頭を振った。赤司は監督に任せればいい部分までを背負い込んでいて、今になって思えばそれは自分だけ他の人間より少しだけ高い場所からの視点を持たねばならないという孤独を孕んでいた。そのおかげで見出して貰えた黒子が言ってもいいことなのかはわからないが、それは少し痛々しい。だが黒子の隣で昨日の練習試合のスコアを確認しているリコからはそういった気負いは一切感じられない。彼はどこまでも選手と同じ身近さで、見事に自分たち部員を導いている。ただ、個別に導くのは手間で面倒だから、部員たちを纏めて彼に託すのがキャプテンや木吉の役割といった所だろうか。
 黒子は当初、リコは選手になりたかったのではないかと思っていた。怪我、身体能力、適性等様々に欠落があって選手としてコートに立つには何も始まらない内から挫折と絶望感を抱えてしまうような自身の弱さに打ちのめされた結果がカントクという愛称なのではないかと勘繰っていた。だが観察してみるとそれは直ぐに誤りだということに気付く。
 リコは他人を育てるのが好きだった。伸びしろを見つけるのが好きだった。何か一つに本気で全力を注いで取り組むことを人の姿勢として好んでいた。そして生まれ落ちた親の影響でバスケが好きだった。だからカントクなのだと彼は言う。確かに選手として才能に溢れているかと問われればそんなものはないよとも言った。運動神経は平均的だと。黒子は顔を伏せた。薄いという地を活かすよう見出してくれた人がいた。シュートもドリブルも遅々として上達しないから、一転特化でも構わないとパスの技術ばかり高めた。そうしてあの帝光中バスケ部のレギュラーの座を獲得したことを、黒子は後悔していない。見つけてくれた人、見出してくれた人、受け入れてくれた人、見守ってくれた人、それぞれに感謝と後ろめたい気持ちはある。間違えてしまったという事実だけがそこにあり、その間違いは黒子がただ無力だったという修正しようのないバツ印だった。黒子の所為かと聞かれれば断じてそんなことはないと首を振る。彼等が抱えた才能に黒子は一握りの影響力もなかった。ただ目覚めてしまった、似た質量の才能が皮肉にも寄り集まっていたことが彼等を傲慢にした。それを厭ったのは黒子の勝手だ。そうして姿を消してしまったことも。
 きっと、リコが中学一年のまだ何も持っていない自分を見つけたとしてもこの人は赤司と同じようには自分を動かさないだろうと思う。帝光中は選手の足し算で試合が決まる。個人がやるべきことをやればいつの間にか勝っている。それが黒子の存在をより朧気なものにした。誠凛は選手の掛け算だった。誰かのミスを誰かがカバーしようとするし、まず自分たちはチームメイトだという信頼感がある。それを先輩たちも含め火神もさほど珍しいものとは認めていないようだけれど、黒子には凄く温かくて嬉しいことだった。思わずお礼を言いたくなってしまうくらいには。

「…黒子君、さっきからじっと見て来るけどどうかした?」
「――カントクは、」
「んー?」
「選手として試合に出たいと思ったことはありませんか?」
「ないよ?」
「…即答ですか」
「うん、だってそういう願望や未練を生むような体験をしてないしね。生まれた時からトレーナー側の目線ばっかり養ってたから育てる以外に興味が湧いたこともないや」
「――はあ」
「まあ試合終了の瞬間とか、コートの中で黒子君とかがハイタッチとか感極まって肩組んでるの見てたら乱入したいって思ったことはあるかな?」
「それは…抑えてください」
「わかってるって!」

 手元のスコアにペンを走らせながら、リコは黒子の疑問を一蹴して見せた。カントクは、最初から収まる場所が決まっていたかのようにこの部の監督になった。木吉が用意して日向が引っ張り込んだ。リコはそう表現する。それが喜びを含んだものであることを黒子はしっかりと気付いていた。そしてその絆を単純に羨ましいと思った。チームメイトという言葉では表現することの出来ない強固なもの。きっと、その名称は彼等がここを去った後に各々命名することになるだろう。親友とか、宝物とか、有り触れた言葉で。だけど胸の内には特別に刻まれる、そんなもの。

「…僕は、監督になりたいとか思ったことはないんですけど」
「うん」
「世の中に五万といる自分より優秀な選手を羨ましいともあまり思わないんですけど」
「…うん」
「どうして自分はこうなんだろうって思ったことは沢山あるんです」
「そっか」
「特に、あの人たちを見失ってからは特に」

 あの人たちが誰を指すかなんて疑問にもならなかった。リコは漸くスコアから顔を上げて黒子の顔を真っ直ぐ見た。悲壮感や感慨も浮かばない瞳が、日向や木吉からの伝言を届ける時と変わらない色でリコを見つめている。入部当日にリコが見た黒子の能力値は本人の意思で改竄できるものではない。器の限界値なら黒子はもうとっくに辿り着いている。誤差に近い僅かな伸びを期待しながら、今持っている技術を失わないように、工夫して新しい方向に展開出来るようにといつだって必死だ。それは多少の無理を伴うが苦痛は伴わない。バスケを好きだと思える環境で、大好きだと思える人たちと勝ち上がっていきたいから。中学時代ならばこうはいかないし、そもそも黒子はその時の現在値以上を求められなかった。やるべきことが出来るならばそれで十分。認めているようでいて諦められていたような気もする。他人のことだからと興味の外に段々と追いやられてしまったのかもしれない。
 自分の無力さを知っていて、それでも黒子はバスケにしがみつくことを選んだ。ひとりでは圧倒的才能の前に容易く散るしかないだろう。だから協力し合うわけではないけれど。黒子はただ当たり前のバスケに憧れただけだ。

「黒子君」
「何ですか」
「ほれ、」
「………?」
「ぎゅーっとしてあげよう」
「え…遠慮します」
「するな。鉄平を呼ぶぞ」
「うげ」

 徐々に空気が冷えていく気配に、リコは黒子の真正面で両腕を広げた。そして言う。飛び込んでおいでと。割と真顔だったので、黒子は固まってしまった。ハグを強要し、逃げるならば自分以上に悪意なく黒子を抱き締めることに疑問もなく腕を広げるであろう木吉を召喚すると言う。挙句に「ぶっちゃけ日向君以外なら誰でも結果は同じになると思うよ」などと恥ずかしいことを言う。愛されているみたいでむず痒いではないか。
 先輩孝行しなさいとすら言わんばかりの笑顔で徐々に迫ってくるリコに、黒子は諦めた。肩の力を抜くとそれが了承の合図となりリコが黒子を抱き締めた。バスケ部の中では平均身長付近で体型の似ている二人が抱き合っていても、体育館内ではちみっこいのがじゃれ合っている程度の認識で終わるらしい。男同士でも、全く奇異な物を見る視線を貰わない。
 そして黒子の首に腕を回して抱き締めた体勢のままリコが囁いた。

「ねえ黒子君、うちは部員が少ないでしょ」
「…そうですね」
「全国を目指してやるから、中途半端な気持ちでやられると困るってんで同好会もあるからって、黒子君たちが入部するときにも発破かけたと思うんだけど」
「覚えてます」
「つまりうちはね、少数精鋭なんだよ。設備が特別バスケ部に融通されてるわけでもない。新しいだけで、うちみたいな環境で活動してるバスケ部なんていくらでもある」
「……はい」
「鉄平とか火神君とかがいてくれたことは確かにラッキーだよ。軸が定まるのはチームが走る上で重要だから。でも日向君や伊月君たちが宣言通り本気で全国を目指す為にちょっと高密度な練習ぶっこんでも音を上げずに着いてきてくれることも今のチームが順調に仕上がる上で絶対に外せない要因なんだ」
「―――、」
「黒子君も、うちの精鋭だってことをきちんと覚えておくように!」
「え…」

 言いたいことを言いきったと、リコは抱き締めていた黒子を解放し肩を二、三度叩いた。何を感傷的になっているのかは知らないが、誠凛で帝光中で経験したような寂しさに襲われることはないよと保証するように。
 精鋭だと言ってくれる、自分がどれだけ既に間近となった限界に抗おうと模索しなければならないか、リコだからこそ理解している筈なのに。足の速さも、体力も。技術なら物によってはトップクラスの、要は癖のある厄介な人種。その辺りはキセキと同類なのだ。独りで放り出した時に脆弱さが際立つだけで。
 黒子が思わず吐き出した弱音に、リコは「せめてランニングの途中に脱落するときはコースの端に捌けられる程度には体力を向上させてくれ」と笑った。それには素直に「努力します」と頷くしか出来なかった。
 その黒子の姿あまりに自信がないように映ったのか、リコは「ふむ」と一瞬思案する素振りを見せた後、自分の前髪を纏めていたヘアピンを一本外して黒子の前髪を自分のと同じように止めた。突然のことに黒子はされるがまま、どうしていいのかわからない。

「ちゃんと見てるから、黒子君なりにまずはやってごらん」

 まるでバスケを始めたての初心者にシュートを打ってごらんと教えているような優しい声音。俯いても前髪を横に流されてしまった黒子の表情はリコには見えてしまっているだろう。照れでうっすらと赤らんだ頬を。この人はカントクとして、先輩として自分をちゃんと最後まで見ていると約束してくれたのだ。
 お礼を言うのも違うかと反応を返しあぐねている黒子を余所に、リコはそろそろ練習の時間だと首に掛けていたホイッスルを一吹きして部員たちを自分の元に集合させた。そうして集まってくる部員たちが、最初は気付かなかった黒子に徐々に気付いて次いでその髪はどうしたと尋ねてくるものだからちょっとだけ居心地が悪い。木吉は考えなしに「似合ってるな」という嬉しくない褒め言葉を寄越すし火神は逆に面白がって笑っている。日向だけがそのピンが誰のものか直ぐに察して自分の頭を指しながらリコと何やらジェスチャーで会話している。恐らくは後輩で遊ぶなといった所だろう。

「お揃いで良いじゃん。可愛いでしょ」
「男同士でもかあ?」
「鉄平と火神君でやるよりは可愛い」
「まあ…そりゃあ…」
「そして何をしなくても後輩は可愛い」

 日向相手にきっぱりと言いきったリコの言葉を拾いながら黒子は抱えていた気恥ずかしさが喜びで塗りつぶされていくことに気付く。乱れないように前髪とピンに触れる。鏡がないので確認しようがないけれど、きっとお揃いというからにはリコの前髪と同じように止められているのだろう。そんなことが、無性に嬉しくて仕方がない。自分が火神のように直情型だったら間違いなくリコに「大好きです」と抱き着いていただろう。
 それくらい、黒子はリコのことが好きだと思った。



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だから俺はまだ走れるのだろう
Title by『ダボスへ』





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