※未来捏造



 日曜日の午前中の公園はどこか閑散としていた。この界隈に住む子供らは、今頃両親に手を引かれ、若しくは休日サービスを強要された父親の運転する車に揺られてどこか遠くに足を延ばしているのだろう。そんな、自分も無関係ではいられない、父親だとか、ないしは家庭に属する一構成員としての役割は、当然日向にも例外なく与えられている。それが、こうして日曜日の朝から子供を連れて公園にやって来ることである。休日に昼過ぎまで寝ていられる生活なんて独身、一人暮らし時代までの贅沢だ。それでも、こんな近場で子供のお守りを済ませられるのは、強引ながら気遣いの上手い妻の、ささやかな優しさだ。普段ならば土日の二日間ともに休みである日向が、土曜日を返上して出社し仕事に追われていたのは主に彼の部下の尻拭いをする為であった。疲れ果てて、また休日に働いたという精神的な沈みを伴って平日と変わらない時間帯に帰宅した日向に、食卓で妻が放った言葉といえば「凄く中間管理職似合ってるわよ」と言う、全く以て褒め言葉とは思えないものだった。引きつる頬をそのままに、中間管理職とは何だと仕切りに尋ねる我が子の無邪気さに涙を誘われた切なさを、一晩経っても日向はだいぶ胸中に引きずっている。
 日曜日の朝。お決まりのテレビチャンネル。戦隊ヒーローだとか、某ライダーだとか、魔法を使って敵と戦う女の子たち。そんなテレビの中の存在に、純粋に憧れ夢を抱いている子供に、中間管理職の説明なんてしたくない。絶対にだ。まあ、その本人は昨晩過剰反応したワードなど、一夜の眠りによってさっさと忘却してしまったらしかった。当然といえば、また当然。友達などいなくとも子供は遊びに関しては大人よりも各段に天才だ。ブランコも滑り台も砂場も、逃げないと知りながら時間が過ぎれば連れ戻されるとも知っているから全力且つ急ピッチでエンジョイしようと必死だ。そんな様子を、日向はベンチに腰掛けながらぼんやりと眺めている。設置された時計は、まだ長針を、彼等が来てからそう位置をずらしてはいなかった。
 日曜日だから、そう日向は妻に叩き起こされた。部屋を徹底的に掃除するらしい。その間、日向は子供を連れて時間を潰して来るように。これが、日向に与えられた午前中の任務。子供は自分の母親の意図など知らず、珍しく父親に連れ出されることにきゃっきゃとはしゃぎ回っていた。その姿は日向にとって単純に可愛らしい。腹など痛めて生んではいないが愛しい我が子なのだ。懐かれたくない訳がなかった。ただ、遊びに全力を注入する幼児と同じテンションで遊ぶ気力は、もう日向には存在していなかったので。見守るだけの、簡単な仕事しかこなせない。


 ぐるりと視線を巡らす。公園を取り囲むフェンスの向こう側。小さく見える、バスケットコートが一面。久しぶりに見た、と日向は視線をそこに固定する。現在進行形で使用されているコートには、高校生らしき集団が何やら楽しそうに試合を始める準備をしていた。こんな日曜日の午前中からご苦労なことだと、日向は欠伸を噛み殺した。自分がこれまでの人生で一番、熱中したこと。きっと、バスケだった。自分がこれまでの人生で一番バスケに熱中した時間。絶対、高校生の時だった。今でもそうだけど。いつかずっと年齢を重ねて、それこそ人生最後の瞬間を迎えるくらい妙齢になった時。過去を振り返るなら、絶対一番長い時間を掛けて、また最良と振り返る時間。それがきっとあの頃だ。最高の仲間と、時間と、苦痛と歓喜があった。だからといって別に今が退屈だとか比較している訳ではなかった。通過してきた時間と進行する今は結局は同列だ。最終的には全部同じ自分。自分次第でどうにでもなるもの。だから日向は基本的に自分は幸せ者だというスタンスで生きている。それなりに、必死で。
 コートでバスケをしている学生達は全員男子だったが、その外で一際響く声で激を飛ばしている少女がいた。一緒にプレイしている訳でもないのに、やけに生き生きと楽しそうにゲームに見入っている。勿論、視力の悪い日向である。はっきりとその少女の表情が見えた訳ではない。雰囲気だとか、微かに聞こえてくる声だとかから判断しただけだ。だけどきっと、間違ってはいないだろう。そうして不意に、今頃家で掃除機でも掛けているであろう妻に会いたくなった。毎日飽きるほど顔を合わせている筈なのに。
 日向の脳裏に、高校生だった自分と、妻の姿が浮かんだ。それから、当時のチームメイトの姿もちらほらと浮かんで、映画みたいに、色々な場面が流れていく。どれもこれも、バスケばかりしていて、笑えた。日向が、心の中でだけで最高の仲間と呼ぶ彼らとは、まだ交流が続いている。大人になるにつれ細々としたものにはなるが途切れることはないし、またそうさせるつもりもない。伊月とはメールだけなら頻度は高いし、木吉なんかは日向が仕事から帰ると何食わぬ顔で夕食を食べていたりする。しかも日向がいつも座っている場所で。そして日向の妻の料理の腕が上達したと褒めちぎって帰っていく。日向も妻も、今木吉がどんな仕事をしているのか知らない。知る必要もない。彼は出会った頃からずっと変わらず彼らしい。それで充分だと、夫婦揃って割り切っている。
 もう、日向はバスケをしようとは思わない。体力や技術の衰え云々ではなく、あの高校三年間で全てやり尽くしてしまった。後悔も未練もない。すっきりとした気持ちで日向や、仲間達はあの場所を旅立ったのだ。今でもバスケを続けているのは火神くらいだ。
 寂しくもなく、痛みすら思い出になって、日向は大人になっていた。就職して、結婚して、子供が出来た。自分の為だけに使える時間は各段に減って以前あれほど熱中したバスケも今では遠くから眺めるだけ。それでも、嫌いになった訳ではなかった。好きなまま、心の奥にしまったのだ。決して消えないように。いつだって、ふとしたきっかけさえあれば、簡単に取り出せる場所に、ずっと置いてある記憶。
 遠くで繰り広げられる試合を凝視していると、いつの間にか近付いていた我が子が日向の服の裾を泥だらけの小さな手で引っ張った。どうやら遊びすぎてお腹が空いたらしい。もう一度時計を見上げれば既にだいぶ時間が経っていた。これならもう帰っても問題あるまい。そう判断して日向は立ち上がる。バスケの試合に名残惜しさは感じない。今の自分が立つのは、コートではなく公園だ。
 疲れきっている子供を抱き上げて、家路につく。ママはお掃除終わったかなあとぽつり呟いた子供の背をあやすようにぽんぽんと叩く。きっと終わっているだろう。昼食だって、用意して待っていてくれるだろう。家事の苦手だった、幼い少女はもういない。バスケに夢中になる自分達の一番近くで泣き笑い、激を飛ばし続けた少女は日向と一緒に大人になった。
 日向が昔「監督」と呼んだ少女は、今頃きっと自分と我が子の帰りを今か今かと待っている。あの頃と変わらない、短い髪と笑顔をたたえながら、待っている。



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最終電車を見送って、君は僕の隣で笑っていた
Title by『にやり』




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