コレの続き

 性癖が何やら妙な方向にぶっ飛んでいる部活のマネージャーが、珍しくはっきりと足音を立てながら体育館に駆け込んで来た。それでも、薄さは変わらずの薄さなので、体育館の扉が開け放たれてから数秒、火神はそちらの方に視線を向けながらも黒子を視認できずに怪現象かと背筋を軽く凍らせた。直ぐに真下から「どこ見てるんですかお馬鹿さんが」と脇腹に手刀を入れられた。このマネージャーは、黒子は本当に火神に対しては遠慮とか恥じらいとかいったものが存在しない。選手とマネージャーとして場を動けばそれなりの気遣いを頂けるのだが部活以外の場となると本当に容赦がない。良くもない運動神経を思いきり披露しながら、駆け寄っては抱き着いたり今回のように手刀を入れたり手で測られたり消えられたりと火神を休ませることなく翻弄して見せるのだ。

「この愛に名前を付けるとしたらそうですね…嫌がらせですかね!」
「自覚あるんじゃねえかてめえ!」
「愛が過ぎると憎しみになると誰かが言っていました」
「俺お前に憎まれるようなことしたか!?」

 愛の行き過ぎた先にある憎しみならば、自分よりもキセキの連中の方がよっぽど触れているべきではないのか。言いかけて、火神は口を手で押さえた。余計な言葉を吐きだすところだったから。意識だけでは心許ないと、実際に手まで動かしてしまう辺りが火神の直情的な一面をありありと物語っていて、「そういうところは好ましく思いますよ」と黒子は微笑んだ。だけども同じくらい困りものですとは黒子も口を噤んだ。勿論、手を口元に添えたりはしないまま。火神はきっと、黒子のそんな考えを見透かすことは出来ないだろう。随分と、中学時代の仲間たちを想い慕っていると思われていることに、黒子は心底意外だと返すしかない。好きだけれど、嫌いなどではないけれど。その手前までは確かに至っていた。あんなに好きだった人たちを、嫌いになれてしまうかもしれないことが昔の黒子には恐ろしくて悲しかった。嫌いたくないから、変わって欲しいだなんてきっと傲慢なのだろうけれど。それでも黒子は一人ではいられずに、バスケからも離れられずに、諦められないものが多すぎた。
 少しずつ解けていく過去の透明に近い蟠り。見抜いていた人間も、此方ばかりが勝手に見える人間もいただろう。黒子は当時、彼等に心を殴られているばかりだと思っていたけれど。自分の短絡的かつ究極の最終手段は自覚した以上に彼等を消沈させていたらしく。愛されていたのだと、最近になって少しずつ理解し始めた。愛しても良いのだと自分を奮い立たせた。だけどそれは、きっと、決して恋などではないのだ。

「火神君、火神君聞いてください」
「はいはいなんだよ」
「あれから色々調べてみたんですがね、ちょっとことは複雑かもしれません」
「……あれからって?」
「忘れっぽいですね。馬鹿ですか。桃井さんのおっぱいの所有権の話です」
「おい!」

 忘れかけていたというより、日常の中の戯れに埋没してすっかり影を潜めていたから、火神は完全に不意を突かれる形になった。崩された体勢は立て直せない。よって今回は機を伺いながら一気に攻め込んできた黒子の勝ちだった。興味もなければ損害を被るだけの黒子の趣味に走った話題に、火神は付き合わなければならない。
 そもそもだ、と火神はまじまじと黒子を見下ろした。頭一つ分以上の差がある、小さな身体。つま先から頭のてっぺんまで視線を何度か往復し、「女だよな?」と呟いたら普段の運動神経からはかけ離れた素早い突きが火神の鳩尾に打ち込まれた。鍛えているので崩れ落ちるほどの威力はないが、地味に痛みを訴えてくる。しかし流石に失言だったと理解した火神は素直に謝っておいた。他意はない。純粋にパッと見てもじっくりと見てもいかにも女の子ですと主張してくる部分が黒子にはなかった。精々肩口辺りで切り揃えられた髪くらいのものだが近頃男子でもこのくらいの長さの人間はいるものだから覚束ない。尤も、黒子のその中性的な要素があればこそ、現在こうして火神と黒子は周囲からは恋仲と誤解されるくらいの距離と気安さでじゃれ合うことが出来ているのだろうが。
 火神とは試合で直接対峙することもないので交流もあまりない桃井の胸の所有権を、声を大にして主張する黒子の背景には自身の体型からくる羨望の色が濃いのではとこの発言を当初は疑っていたのだけれどどうやらそうではないらしい。桃井曰く、大きい人間は大きいなりに肩こりなど異性に変な目で見られたりと大変らしい。しかし後者に関してはきちんと沈めているそうなので心配はしないでとも言われたそうだ。何の心配だと火神は思ったが、それよりも先に黒子と仲が良いだけあってやはり変わった感覚の人間なのかと諦めた。そして少しだけ、その幼馴染に同情した。
 黒子は単純に、自分の好奇心を満たす上で一番充足した時間を提供してくれる桃井の胸が好ましいのだと言う。そして趣味を度外視にして、胸を指し引いても桃井さつきという女性が好ましいのだと言う。本人としては言うまでもない大前提だが、火神がよほど不安な顔をしていたからなのかわざわざ丁寧に説明してくれた。感謝する要素があるかはわからない。黒子は筋肉だったり骨格だったり、兎に角人体を触ることが好きだった。その上でその触れた筋肉ないし骨格の良し悪しや美醜を測って心のファイルに保存する。それがちょっとした黒子の趣味だった。彼女の審美眼曰く、火神の筋肉と骨格もなかなかのものらしい。今後のトレーニングによる発達に期待大とのこと。どうしてか、あまり嬉しくなかったけれど。

「…火神君、聞いてます?」
「悪い、聞いてなかった」
「しっかりしてください。もう一度言いますけど、さっき図書室でちょっとした法律の本を読んで来たんですよ。所有権についてちょっと確認しておこうと思いまして」
「お前のその行動力というか熱は何か別の物に向けらんねーのか!」
「黙らっしゃい。話が逸れるでしょう。厳密にいうと法律そのものを調べたわけじゃなくて、日本人的に所有権がどういうものと認識されているかということなんですが」
「―――はあ、」
「桃井さんのおっぱいが誰かの私有財産だとするじゃないですか。そうですね、悔しいですが青峰君のものだと仮定しましょう」
「いや桃井のだろ」
「うるっさいんですよさっきから。それでですね、青峰君が桃井さんのおっぱいに顔を埋めていいと僕に発言したとするじゃないですか。そうすると僕は青峰君から桃井さんのおっぱいを貸し出されている訳ですが。日本人はどうやら借りている最中の物に対する所有権までもが自分に譲渡されたと思いがちな一面があるそうで」
「……つまり?」
「つまり青峰君が迂闊にも僕に桃井さんのおっぱいを差し出した時を狙って上手いことやれば僕にも桃井さんのおっぱいを独占するに至る道が拓けるかもしれませんよね!?」

 色白で表情筋も普段淡白な動きしか見せない黒子の顔が、爛々と輝いて火神に訴えてくる。「手を貸せ」と。謀略の立案なんて火神の頭脳からして端から期待されていないだろうから、あくまで実行部隊を担えと言っている。つまり大前提となる一歩目の布石を打つためにバスケで青峰に勝てと言っているのだ。冗談なのか、本気なのか。日本一になると誓った日から、いつか必ず打倒すべき相手の頂点近くに青峰が陣取っているのは確かだけれど、その名分が「うちのマネージャーがお前の幼馴染のおっぱいを独占したいから勝たせてもらう」だなんて貧相かつ間抜けも良い所だ。青峰だって実際そんなこと言われたら目を見開いて硬直してしまうかもしれない。そもそも中学時代はどうしていたというのだ。尋ねようと口を開きかけて、また閉じた。今度は、言わない方が良いと思ったからではない。聞くまでもないことだと思ったから。

「なあ黒子」
「何でしょう火神君」
「お前って案外馬鹿なんだな」

 そんな風にふざけて理由なんか付けなくたって。出会い頭の不意打ちだとしたって。あの少女なら、自分の胸に飛び込んでくる黒子を喜んで抱き締めて離さないだろうに。火神の言いたいことを察したのか、黒子は押し黙りぷいっとそっぽを向いてしまった。今更そんな素直になれたら苦労はしないんですよといった所か。
 仕方ないなあと歩み寄ってやりたくなるけれど、火神は一から十まで立派に男の子なもので。見えなくとも思えなくとも女の子である黒子が近寄って来るたびにおっぱいおっぱいと連呼されては何かといたたまれない気持ちになるのだ。だからせめて、次青峰と試合をするときは必ず勝って理由づけしてやるから待ってろと、女の子に対しては思えない乱雑さで黒子の頭を撫でてやった。振り払われないその手が、何よりの了承の証だった。
 数十秒後、この現場を先輩たちに目撃されていちゃいちゃしてんなよと怒られることになるのだが。その実この二人が恋人的な意味でいちゃいちゃしていたなどとは微塵も疑われていないことを知っている。半ば本気で自分と黒子に付き合っちゃえばいいのにと発言していることも。だけどもそれは、火神と黒子の二人だから。そんな思春期全開な甘酸っぱさとは、もう暫く無縁のまま火神は黒子に振り回されることになる。


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酸素がなくともきみは生きてゆける
Title by『ダボスへ』



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