火神が黒子のことを一言で形容するならばとにかく無頓着な女だという所だろうか。肩辺りで切り揃えられた髪の後ろが時折寝癖で跳ねていたり、制服のスカーフが曲がっていたり、部活中に一度脱いだジャージを再び着たらそれが他人の物と気付いても構わず着用していたり。お前は女のだからもう少し頓着した方が良いぞと思うことが火神には沢山あった。けれどそれを言うと、黒子は拗ねたように唇を尖らせて実際拗ねて火神を恨めしげに見上げてくるのだ。
「女だから頓着するんですか。女に生まれてなければ良かったんですか」
 といった具合に。そういう、火神から言わせれば随分と面倒くさい拗ね方をする黒子の言い分は、バスケ部のマネージャーをしながらもどこか羨ましそうに選手としてコートに立つ自分たちを見つめる彼女の瞳を知っている分重いものとなって圧し掛かる。だから火神は口煩く説くことを止めた。元来、誰かに説教をするほど語彙が豊富な訳でも、相手を納得させるだけの理路整然とした話が出来るわけでもなかったから当然の選択だった。その代わり、火神は態度で示した。黒子の寝癖が立っていれば彼女が持ち歩いているコームを借用し寝癖と格闘し、制服のスカートが曲がっていたらぎこちない手付きながらも「曲がっている」と直してやった。部活中に黒子が他人のジャージを着ていたら彼女の物を差し出すか手近になければ自分の物を代わりに着せてやる。長年弟分として過ごしてきた所為か、思いの外行動はスムーズに行われた。お手本があったからと納得したいが正直自分の方がまだ手のかからない子どもだったと自負したい。
 そんな手の掛かる妹分を得た気分に浸っている火神と、彼にされるがままに面倒を見て貰っている黒子を至近距離でまじまじと見つめてきたバスケ部の面々は、何というか、気まずい空気になってしまう。
「付き合ってるのあれ?」
「いやいや、単に世話焼いてるだけだろ」
「何それ、料理上手で面倒見も良い男子的な?」
「まああの二人はあれで良いんじゃないか?」
 頭を突き合わせて、こそこそとこんな言い合いを繰り返す。間違っても、火神と黒子の間に男女関係が育まれるようなことはないだろうと、年頃の高校生にしては寧ろ切ないような確信が彼等にはある。そんな先輩たちの雑談が、火神と黒子の耳にもしっかりと届いていて、そうすると今度は二人の方が申し訳ないような気持ちになってしまう。
「ふむ、あれですね。日本一を目指すチームに色恋沙汰なんて必要ないと反対されたり切り捨てられるよりも複雑なものがありますね」
「確かに俺らが付き合うとかはねえけどな」
「そうですね。………やっぱり僕に色気がないからですかね?」
「――いや、それ以前だ」
「今火神君のことがものすごく嫌いになりました」
「そうかよ」
 女の子に対して頓着がなさすぎるとか言うくせに、火神だって女の子に対して頓着がなさすぎるのではないかと黒子は憤慨する。火神の背中に引っ付きながら。何だ何だと慌てれば「火神君の顔も見たくないほど嫌いになったんです」などと心底ご立腹ですとアピールしてくる。それでも薄っぺらい黒子だから、火神がそのまま勢いよくターンすれば吹っ飛ばすことくらい容易いのだけれど、見えずとも振舞わずとも黒子は生物学上の女の子だった。それだけで、火神は何かを抑えなくてはという気になってしまう。もしかしたら、黒子にはそういった火神の下手くそな機微はいっそ不満なだけかもしれないがそれでも。兄貴分ともどもお世話になった師匠が、女子どもに対してキス魔だった所為かもしれない。間近で見つめ続けた光景は、流石に火神の習慣として取り込まれたりはしなかったが、それでも女子どもは愛でる対象ということは理解できた。愛でる、それはつまり大事にする。大事にするということは守る。守るということはその対象が弱いからだというスライドを繰り返し火神は此処までやって来た。その先で出会うのが、こんな珍妙な少女だと知っていれば、師匠だけを見つめ女は強いから多少乱雑に振舞っても問題ないとふんぞり返ることも出来たのに。
 背後から、ぎゅうっと効果音が出そうな程に必死に火神の腹回りにしがみつく黒子の腕は彼の腹正面で結ばれ、それから暫くの沈黙。ぐりぐりと頭を背中に押し付けられ若干背骨が痛い。それからアキレス腱辺りをつま先で数度蹴られた。バッシュを履いていなければ結構痛かったと思う。本当に面倒くさい拗ね方をする女だと火神が取りあえず彼女の気が済むまで無抵抗でいようかと流されかけた瞬間、それまでがっちりと火神をホールドしていた黒子の手が離され彼の両肩に触れてきた。触れたというよりは、揉んでいた。予想外の動きにぞわりと背筋が粟立って、火神はその場を飛び退いた。その反応に、黒子は心底残念といった風に眉尻を下げながら未だわきわきと火神の肩を揉んでいた手付きで彼を見つめる。そして火神は心底おぞましいといった風で黒子を指差して、叫んだ。
「お前今自分の趣味に俺を巻き込んだろ!?」
「趣味じゃないです。好奇心です。火神君の筋肉はどんなかなーって」
「何が好奇心だ!野郎の身体触りまくるとか仕事でもないし好奇心ってただの変態だろうが!」
「触りまくってなんかいません!時と場と人だって選んでます!今のはちょっとした邪心が少しばかし漏れただけです!」
「邪なんじゃねーか!」
「僕だってねえ!どんなに素晴らしい野郎の筋肉より桃井さんのおっぱいに顔埋める方が好きですよ!あれは天国です!それに比べたら火神君の筋肉なんてくそですよ!」
「くそとか言うな女だろうが!」
「差別です!女だって桃井さんのおっぱいの所有権を主張します!」
「知るか!」
 体育館のステージ前で、こんな実のない言い合いをする回数も一度や二度ではなくて。もう名物といってもいいくらい慣れたものだと他の部員たちは仲裁に入ろうともせずぼんやりと二人を眺めているだけ。単に関わり合いになりたくないというのもある。だって飛び火で触られて挙句にしょぼいとか暴言吐かれたら本気でへこんでしまうじゃないか。誠凛高校バスケ部のマネージャーは、ちょっとばかし変態だ。
 スキンシップが好きな訳ではない。寧ろ人付き合いには淡白で、影も薄くてふらふらと勝手に姿を消すことだってしょっちゅうだ。しかし気紛れを起こしては触れてきて、無表情のまま他人の筋肉を分析して去っていく。目的も理由もない。ただそうしたかったから。けれど今の所、誠凛のバスケ部で被害に合っているのは火神だけという状況で。黒子と二年生が二人きりになっても彼女はそそくさと用件を済まし去っていく。何故だろうか。触られたい訳ではないけれど、単純に不思議だった。「触るまでもなくしょぼいとかだったらどうする?」と謎の不安に苛まれる者もいた。だが確かに不思議だとカントクが尋ねたところ、黒子は困ったように小さく微笑んだ。
「昔、チームメイトに言われたんです。お前の癖は人を選ぶから出来るだけ自重しなさいって」
 そのチームメイトが主に誰によって構成されているか。カントクもキャプテンもその他の先輩たちも直ぐに理解し、あの面々にそんなことを言わせるまでに黒子はやらかしていたのだなと呆れもした。ひょっとしたら、疲労困憊まで追い込んだのかもしれない。それでも黒子を甘やかして、心配までするキセキの世代とまで呼ばれた天才たちに、彼等はこの日初めて同情した。それから少しの感謝を。だけど。
「そう言われて我慢できてたことが火神君を前にしたらあっさりやらかしちゃったのね」
「それってやっぱりさあ、そういうことか?」
「どうかな。単に家族みたいな気安さが勝ってるのかもしれないぞ。キセキ達にもそうだったみたいに」
「どっちにしたって火神が一番気安いってことだろ?同じじゃん」
「そうかなあ」
 またしても、先輩たちは頭を突き合わせて次々に言い募る。ちらちらと向ける視線の先には火神と黒子。彼等も彼等で未だに何か言い争いをしているらしい。尤も、絵面だけで見るならば火神が一方的に憤慨しているようにも見えるのだが、黒子が黙って自分の意見を押し殺すような女でないことは一同とっくに承知しているので。
「やっぱり桃井さんのおっぱいを独り占めするのに一番の障害は青峰君だと思うんです。だから火神君、彼を倒してくださいね」
「そんな理由でわかった任せろとか言う訳ないだろうが!お前誠凛来た理由あの女のおっぱい獲得する為だったのか!」
「火神君が桃井さんのおっぱいについて口にするなんて百万年早いですよ」
「うるせえよ!」
 こんな風にして、誠凛期待の大型ルーキーとちょっぴり変態なマネージャーの漫才じみた言い合いはカントクの号令が掛かるまで延々と続いた。
 ほんと、付き合っちゃえよお前ら。



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きみは火星にだって行ける
Title by『ダボスへ』



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