※未来捏造


 青峰が高校を卒業するのと同時にアメリカへバスケ留学をすると聞いた途端、黄瀬は携帯をひっつかみボタンを押すのではなく駅へ向かって駆け出していた。留学以前に卒業できるのかとか失礼な疑問も予想以上の動揺を抑えるためには必要だったけれど、ぶつける相手のいないそれは大して役には立たなかった。
 駅へ向かっていたはずなのに、最終的には目的地まで全速力で駆け抜けた。流石に呼吸が苦しくて膝も笑っていて一度止まってしまった反動でもう暫くは動けそうにない。汗と疲労にまみれた身体で辿り着いたのは中学の同級生、部活仲間の自宅前。最後の力を振り絞り鳴らしたベルに対してどちらさまと尋ねる声が帰るよりも先に扉の鍵を開ける音がする。はっとして顔を上げれば現れたのは予想外の存在。

「桃っち!?」

 未だ整わない呼吸のまま大声を出した反動で咽る。名を呼ばれた桃井の方もまさか来客が黄瀬だとは思わなかったのか虚を突かれたような顔で立ち尽くしかけていたのを、黄瀬が咽た為に慌てて駆け寄り背を擦ってやった。

「きーちゃんだったんだ。お母さんが宅配便来るって言ってたからてっきりそれかと思って確認しないで出ちゃったよ」
「お…女の子が…そういうの…危ないっス…」
「きーちゃん大丈夫?というか何か用だった?」
「青峰っちに…いや、桃っちでも良いんスけど」
「ああ、もしかして大ちゃんの留学の話聞いたの?」

 黄瀬の要領を得ない言葉を繋ぎ合わせて、彼がこんな風に慌てて駆けつけるということはと桃井も直ぐにその目的を看破した。しかし生憎青峰の自宅は桃井の自宅を数軒過ぎた場所にあるので今回は外れ。見たところ自宅から走って来たことを考えると、中学時代に数度訪れただけの場所までやって来れたことを純粋に褒めてやりたい。自分だったら絶対迷子になっているだろうから。
 青峰が高校卒業を機に日本を出ることを外の人間に漏らしたのは桃井だ。相手は勿論彼の嘗ての相棒で、その相棒の現相棒から嘗てのチームメイトにもどんどん広まっていくであろう情報の後追いは面倒だからしなかった。中学から高校と学校と仲間を変えても、校外でお互いを気に掛けあう存在ともなると六年間を通しても代わり映えのしない面子しか残らなかった。
 幼馴染である青峰を放っておけないという理由で桐皇に進んだ桃井といえども大学までは添えない。ましてや海外ともなると猶更。縋っていたのか甘えていたのか。そしてそれは青峰が桃井にだったのか、桃井が青峰にだったのか、是が非でも突き詰めようなんてそんなことは野暮以外の何物でもないのだろう。取りあえずお互いがそろそろ良いかなと繋いでいた何かを手放すときが近付いているだけだ。桃井が中学時代から抱いていた恋心をそっと憧れへと転化させた時のように。お相手だった黒子は、迷惑だったわけではないけれどと何度も前置きしたうえでそれでもやはりほっとしたと微笑んで、桃井の恋の終わりを受け止めてくれた。そしてその時と同じように桃井が青峰を手放そうとしていることを、自分が当事者であった時よりも残念そうな微笑で以て受け止めていた。青峰がバスケを続けてくれることは心底嬉しいのだけれど、やはり隣に桃井の姿がなくなってしまうということは不思議な感覚がするそうだ。
 だから黄瀬も、似たような感情を抱いて駆けてきたのだろう。青峰にどこか捨てきれない憧憬と対抗心を抱きながら、桃井には優しかった。そこは、黄瀬と黒子は良く似ていたと今更に桃井は振り返る。ただ黒子の場合、抱いた感情を自分の中で分析して相手を思いやることが出来た。もしくは体よく他人に対応を押し付けるように身を引っ込める術を持ち合わせていたというべきか。その点は、今でも少々ずるいなと思う。その一方で黄瀬は時折馬鹿がつくほどに正直だった。へらへらと笑って誤魔化せる相手とそうでない相手の落差が激しくて、一度黄瀬涼太という人間を見抜いてしまえばあとは大抵簡単だった。勿論桃井は見抜いた側として黄瀬とは良い友人関係にあると思っている。たとえ黄瀬が、自分を青峰の付属品だと思っていたとしても。

「青峰っちの留学ってほんとなんスね?」
「そうだよ。でも留学っていうか本当にバスケしに行くだけだけどね」
「――桃っちは!?」
「へ?」
「桃っちもやっぱり青峰っちと一緒にアメリカ行っちゃうんスか!?」
「いやいやいや、私は行かないよ。もう大ちゃんにはお目付け役は必要ないもの」

 相変わらず世話の焼ける人間ではあるけれど、もうひとりぼっちではないから大丈夫だ。そしてそれは黒子や火神のおかげであり、黄瀬のおかげでもあると桃井は思っている。改めてお礼を言うなんて、幼馴染の自分には過ぎた役目かなと思い黙っていたら、黄瀬は桃井が日本に残ると澱みなく宣誓してくれたことに心底安堵したと言わんばかりに地面に崩れ落ちたから驚いた。頬を伝い顎から落ちた汗が地面にシミとなって一瞬泣いているのかと思ってしまう。勿論黄瀬の気持ちなんて正確には把握できない桃井は青峰が日本を去ることを嘆いての涙だと思ってしまったことだろう。相変わらずモデルとバスケットプレイヤーの二足の草鞋を履いて女子の黄色い声援を一身に浴びている黄瀬が自分に仄かを通り過ぎた恋心を寄せているなんて微塵も気付いていない桃井なのである。

「桃っちは大学生になったらもうバスケのマネージャーはやらないんすか?」
「うーん、実はまだ悩んでるんだよねえ。やっぱり私がバスケに携わっていたのって大ちゃんの存在大きかったみたいで、それがなくなっても積極的にバスケに関わっていこうと思えるのか、今の時点ではまだ未定って感じかな。でも大ちゃんと違って勉強の方で大学は選べるしもうちょっと悩んでも良いかなって思ってるんだ」
「――あの、だったら!だったら俺と――」

 ――俺と同じ大学に行きませんか。
 似合わない敬語と咄嗟の衝動を慌てて塞ぐ。不思議そうに首を傾げる桃井の自分に対する純粋さに、黄瀬はこの瞬間怯んでいた。下心なく好きな女の子の進路を自分の路線と繋ぎ合わせようなんて誰が思うのだろう。
 黄瀬は大学も最後の夏を終えると同時にバスケの推薦で決めていた。きっと他のキセキも同じだろうと思っていた。キセキの世代という狭い世界から少し抜け出して、それでもバスケというものからは抜け出せない。抜けようとも思わない。それは確かに黄瀬の予想通りだったかもしれないけれど、まさか青峰がアメリカに行くとは思わなかった。もしかしたら火神あたりも同じ道を選んでいるのかもしれないと頭の片隅で思う。だが今考えるべきはそんなことじゃないのだ。
 中学時代の仲間。黄瀬と桃井を繋ぐ絆は随分と細い思い出だと彼自身は思っている。何より青峰がいなかったら、彼女は誰のことをも見えなかったのではないかとすら思っている。その媒介であった青峰がいなくなろうとしている今、桃井をしっかりと自分に繋ぎ止めておかなければこのままあっさりと失くしてしまう。そんな気がして走り出した自分を、浅はかで単純だと嘲笑う冷静さも少しだけ残っている。後はただ衝動に従うだけの感情。未熟なのかもしれない。だが達観した振りをして全部諦めるようなバカバカしいことになるよりはずっとましだと思えた。

「…きーちゃん、もしかして今同じ大学に行こうって誘おうとしてくれたの?」
「あ、あの…」
「大ちゃんがいなくなるからってそんな心配しなくても大丈夫なのに」
「違う!」
「――きーちゃん?」
「心配とかじゃなくて、その…つまり、青峰っちは関係なくてその…ほら、えーと」
「何?」
「単に俺が桃っちと同じ大学に行けたら良いなあと思ったんスよ」
「―――」

 好きだから、という動機は何とか伏せ字にして黄瀬は大人しく桃井の前に項垂れた。彼女は彼女で黄瀬がそんな風に考える理由に心当たりがない為にぱちぱちと瞬きながら次の言葉を何とか絞り出そうと思考している。

「……正直きーちゃんと同じ大学に行きたいなあとか考えたことなかったんだけど…」
「はは、そっすよね…」
「――でもなんか楽しそう!」
「へっ?」
「汗だくになりながら折角走って来たのに大ちゃんちと間違えて私んちに来ちゃうちょっと抜けてるきーちゃんだもんね!良いよ、私がサポートしてあげちゃおう!」

 ふふんと胸を張った桃井に、「ほんとっスかーー!」と涙声になりながらも抱き着こうとしたら流石に避けられてしまった。成功していたとしても変態の謗りを免れないので良しとする。本来の目的とは全く違う方向へと進んでしまった、そもそも対話する相手すら当初の想定とは別人というこの事態。黄瀬の輝かしいキャンパスライフへは一気に驀進してしまったのだから勢い任せの衝動とは存外侮れないのかもしれない。尤も、黄瀬が桃井に望むのは大学生活のサポートではなく人生のパートナーになってくださいという法律と年齢的にも発言可能な求婚なのだけれど今はまだまだこれで十分。出会いから五年を経てやっとスタート地点に立てるだなんてどんな遅行な恋愛なんだと我ながら呆れてしまうのだがそれでも幸せいっぱい胸いっぱい、黄瀬は込み上げる喜びにイケメンモデルの称号を溝に捨てるかのような締まりのない笑顔で今度こそ力尽きた。
 黄瀬と桃井のやりとりに口を挟めないまま、荷物を持って立ち尽くすしかなかた宅配業者に一部始終を目撃されていたことなど誰も知らない。



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充分に育った雑草君
Title by『ダボスへ』




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