※死ネタ注意


 その日は黒子テツヤの葬式だった。
どす黒い雲が一面を覆い尽くし、容赦ない雨粒が地面を叩く。その雲の黒さといったら世界中の工場やらトラック等から排出された人体に有害なガスをふんだんに染み込ませたかの如くでありそこから落とされる雨粒を傘という薄っぺらい防御壁なしに喰らえば忽ち身体を蝕まれ毛根は死滅するに違いないと今更ながらに黄瀬は考える。
 しかし辺り一面天候という要因を取り除いても世界は暗くそれでいて無感動な無色に染まっていた。見渡す限り映り込む景色の中に佇む人、人、人。それは学校にでも行けばあっさり少人数と片付けられてしまう程度の数。しかしその誰もが両の瞳からぼろぼろと大粒の涙を零している。何とか堪えている人間もいるのかもしれない。だが探そうとは思わないし、涙を浮かべずともその表情が悲しみに暮れていることは明らかで黄瀬には関係のないことだった。
 肝心の黄瀬はといえば涙を流すこともなく悲しみに顔を歪めることもなくただ無表情に呆然と立ち尽くしていた。そんな黄瀬を人でなしだの冷徹だのと侮蔑する輩もいればきっとまだ現実を受け入れられないのだと同情し憐憫する輩もいた。どちらにせよ彼等は黄瀬に同じ言葉を投げかけてから彼の側を離れていった。
『あんなに仲良しだったのにね』と。



「その一言については僕から訂正を入れることも吝かではないんですよ」
「何で訂正入れるんスか!仲良かったっスよね俺ら!」
「妄想乙としか言いようがありませんね」
「ひどい!」

 黒子の葬式から二週間と少し。黒子は元気に黄瀬の部屋に居着いていた。勿論彼の死が虚言だった筈もなく、冗談の嫌いな黒子がこんな他人を傷付けるような悪戯を仕掛ける筈も同様になかった。
 まあ、端的に述べれば黒子テツヤ享年十六歳、現在幽霊二週間と四日目であった。
 幽霊となった黒子が黄瀬の前に姿を現したのは彼の葬式が行われる前日のことで、突然の友人の死を未だ受け入れられずにいた黄瀬はきっちり三分間黒子を前に停止した。その後いい加減リアクションを寄越せと横っ面を張られた。モデルの顔になんてことを!抗議の声は「僕にとって黄瀬君はモデルなんて薄い紙っきれの上の存在ではなく身近な友人なんですよ」という何やら感動的な文句に遮られた。友人だからって、説明もなしに幽霊となって驚かせたくせに真っ当なリアクションを求めて横っ面を張って良い理由にはならない。
 驚きも疑いも混乱の最中黒子の張り手に遙か彼方へ飛んでいった。若干イグナイトの体勢だった気がするが追求はしない。交通事故だなんて身も蓋もない死に方をした黒子を前に黄瀬は悲しみなんだか喜びなんだかはっきりとしない感情の荒波に乗って大号泣した。

「まあ死に方なんて大抵身も蓋もないもんですよ」

 当の黒子はしれっと黄瀬のベッドに座り込み今にもお茶を要求せんばかりの悠々自適な態度を貫いていて、それこそ身も蓋もないことを言った。



 黄瀬が黒子の葬式で一滴も涙を流さなかった理由としては前日に既に大号泣してしまったからというのと、実は葬式には幽霊となった黒子本人も参列していて、しかもその姿が自分にしか見えていないという事実に混乱していたからというのがある。幽霊なんて非常識なもの出会う人間全てに可視だとは思っていない。それでも誠凛の仲間であったりキセキの世代であったり最低でも相棒の火神には見えるものと過信していたのだ。その過信はものの見事に砕け散り、黄瀬は優越ではなく重圧に全身を押さえ込まれるような心地だった。黒子は自分の死を悲しむ友人や先輩たちに見えないと知りながらも申し訳ないと謝り続けていた。特に桃井辺りには頭を撫でたり黒子テツヤという存在が彼女に余計な傷を残さないようにと気遣っていた。
 しかし彼等から振り返り自分の遺影やら棺を見つめる視線は涼しげというより寧ろ冷ややかで黄瀬はもっと悼んであげるべきじゃないかと不満に思った程である。


 暫くは黄瀬の部屋に居座るつもりだと黒子は悪びれもなく言った。理由は単に黄瀬にしか幽霊である自分を見ることが出来ないから。記憶も意識もはっきりとしているのに、知人他人含め誰からも無関心無接触というのは心に良くないそうだ。生前から何かと希薄だった黒子の言い分は黄瀬にはどこか奇異に響いたが、もしそれが最初から変わらぬ彼の心情であったのならばもっと伝える努力をして欲しかった。
それはきっと、黄瀬を含むキセキの皆が意見を一致させると彼は自信がある。そして理解し合えない価値観が横たわっていたとしても中学時代、彼とコートに立った全員が黒子のことが大好きだったのだから。そもそも価値観の違いなんて大なり小なり人間である以上誰もが抱えていくものなのだ。悲観して関係そのものを諦めるなんて馬鹿げている。その点黒子は諦めなかったし、具体的な諍いがあったわけでもないのに和解という表現を用いても良いかは微妙だが昨年のWCで黒子は日本一を収め一応の目標を果たしていた。そして年が明け、月末に誕生日を迎え十六歳を迎えてからの数日後、黒子は帰らぬ人となった。
 思い出すだけで黄瀬は目頭が熱くなり怒りを含む混沌とした感情が腹に渦巻き物にあたりちらしたくなる。しかし黒子は生前と変わらぬ感情の浮かびにくい瞳の焦点を黄瀬に合わせてそんなに悲観しなくても良いんですよと諭す。それが黄瀬には納得できないのだ。幽霊になるなんて未練があったからじゃないのかと問えばそうかもしれませんねと頷く癖に。日本一だとか、キセキの世代を倒すとか。青春の全てを注ぐ価値あるものだとして、この先何十年と続く人生を懸けるにはまた違うだろう。大会前にそんな願掛けしたんじゃないだろうなと疑えば神頼みなんて初詣以外でしたことがないそうだ。

「黒子っちは幽霊になった心当たりとかないんスか?」
「未練ですか」
「そうそう」
「――それを言い出したらきりがないんですよね。高校三年間、もっとバスケをしていたかったとか。好きな作家の新刊が目前だったとか、マジバのシェイクをもっと飲みたかったとか。そもそも生きていた以上死んだ瞬間によしわかりました死ぬんですねなんて諦められるわけないじゃないですか」
「――ご、ごもっとも?」

 生きている所為か、理解が覚束ない黄瀬に黒子は無理をするなと肩を叩いた。幽霊になってから少しだけ楽しかったことといえば重力に引っ張られない点だろうか。無重力とは違うのか勝手に流されていくということはないが地面に縫い付けられるという感覚もない。それ故少し浮かび上がればこれまで見下ろされるばかりだった連中を逆に見下ろすことが出来るのだ。だけどもそれを楽しいと思うのは本当に少しだけだ。だって黄瀬しか見えていないのだから。死んでから知ったことだけれど、気付かれないということを受け入れられるのは、主張すれば気付かれるという大前提が必要だった。空気とも違う、いないことが大前提の無は黒子を心許ない迷子にした。幸い、手当たり次第知人の前に立ってみようと思った矢先に黄瀬には自分が見えると知り安堵したので取りあえず彼に寄生することにしたのだ。

「僕、今なら黄瀬君のこと大好きだって思えます」
「え!?いや、言えますじゃなくて思えますってそれまで大好きじゃなかったってことっスか…!?」
「そういうニュアンス的なことは男同士まさぐらないでください」
「まさぐるってなんか変っス…」
「ほらほらそういう所です」
「黒子っちい…」
「情けない声出さないでください。死人の言葉に傷付いてはダメです」
「――何で?」
「だって死人の言葉なんて本来聞こえないんですよ。有り得ない発信源からの言葉に傷付いたとして誰に慰めて貰うつもりなんですか君は」
「黒子っちが、それは黒子っちが嘘だよとか、理由とかごめんとかなんか付け足してくれればそれで済む話でしょ?」
「―――」

 黄瀬の言葉に、黒子は何とも言えない顔をして黙り込む。永遠などなく命など儚く散りゆくものだと黒子は自らの死を以て知った。黄瀬は、自分の死に何も感じていない訳ではないのだが黒子テツヤという存在の延長を命として認識しているらしい。それは当然黒子自身の所為だが。幽霊の自分には命など宿ってはいない。心はそのまま持ってきたけれど、きっとまたふとしたきっかけで消えてしまえるような生前より淡い存在なのだ。だから黒子は黄瀬に寄り掛かってしまった。消えるのは怖い。ひとりぼっちは怖い。黒子に纏わりつく恐怖を払拭するにはどうあっても他人の存在が必要不可欠で、たったひとり縋れる対象として現れた黄瀬に迷わず手を伸ばしてしまったけれど早計だったかもしれない。黄瀬は黒子が思っていた以上にあっさりと幽霊という非科学的非現実的存在を受け入れていた。黒子テツヤだからというそれだけの理由で。
 黄瀬にとって黒子だからという一語がどれだけ絶大な威力を誇るか黒子は理解していない。幽霊として黒子が黄瀬の前に現れなかったら、黄瀬は黒子の葬儀などそもそも参加できないほど打ちのめされて泣き喚いて死んでしまっていたかもしれないのだから。

「黄瀬君、僕は幽霊です」
「…?そうっスね?」
「僕は死にました」
「うん」

 これはダメだ。黒子の言いたいことは黄瀬に微塵も伝わる気配を見せない。極端な手段を選ぶならば黒子が今すぐ黄瀬の前から姿を消せばいいだけなのだ。
 だけどでもそれは。
 黒子の寂しいという感情は。心当たりのない未練という鍵は。黄瀬涼太という自分を見つけてくれた存在は。この先という進む時計の針に抗いうる悲しい存在の黒子にとってどれだけ意を決しようともあと少しだけという逃げ道を指し示すのだ。
 だから黒子は今回もあと少しだけと黄瀬を傷付ける言葉を飲み込んだ。心の底では素直に唱えられる「好き」という言葉と共に。いつかはきっと告げるだろう。「さようなら」と一緒に。それまでは安穏と、もう突然の不幸に見舞われて命を散らすことのない平和の中で黄瀬の傍らに引っ付く我儘を許されていたい。
 それ以外に、晴らしてうっかり成仏してしまうような未練など黒子には全く心当たりがないのだから。


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わたしはわすれて
Title by『ダボスへ』





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