小さい頃、短冊に書いた願い事はもう思い出せなくて。こんなだったっけと思い浮かぶ朧気なそれは今では願い事ではなくただの幼稚な思い出だった。テレビの中のヒーローやヒロインに憧れて自己を投影させるような子どもではなかった。それでも無病息災や億万長者を願うような可愛げのない子どもでもなかった気がする。給食に添えられた星形のゼリーを思い出しては七夕と関係なく出してくれれば良いのにと思った記憶だけは短冊云々よりも鮮明なのは現在進行形で空腹を訴えて唸るこの腹の所為だろうか。存在感と比例するのか控えめに鳴り続ける腹をさすり、隣を歩いていた緑間にお腹が空きましたと訴えればそれがどうしたと言わんばかりの不機嫌面で見下ろされた。偶然に遭遇しただけの道行きだから、気分気儘に方向転換してコンビニでも立ち寄ってしまっても良いのだけれど。それはそれで昔馴染みに礼儀がなっていないと後々小言を寄越されそうで面倒くさい。図書館に行くという目的が一致するだけでも稀有だというのに、お互い苦手意識を持っている二人を廻りあわせるこの運気に黒子は今手にしていなくとも必ず装備しているはずの緑間のおは朝指定ラッキーアイテムを早々に訝しみ始めていた。 そんな緑間のラッキーアイテムに向かっていた非難の視線を自分自身へ向けられたものと勘違いしたのか、何だと問うよりも先に眉を吊りあげてしまった為睨み合いに突入する。とはいえ黒子の存在に気付かない周囲の人間からすれば緑間がひとり顔を顰めて立ち尽くしているようにしか見えない為かなりおかしな空間が出来上がってしまっている。知人にすら変人扱いされている緑間が見知らぬ他人にまで変人と思われるのは忍びないと黒子は親切心のつもりで先に彼から視線を逸らした。睨めっこをしていたわけではないが、先に逸らすということは負けを認めるような気がして普段ならば相手が折れるまで粘ってしまっていただろう。誰のせいでこんな空間が生まれたと思っているのだと真っ当に突っ込みを入れてくれる人間は生憎この場に存在していないので黒子の細やかな上から目線は誰にも咎められることなく僅かばかりの自尊心を満たしてくれる。 そしてそういえば腹が減っていたのだと思い出し、緑間に図書館に向かう途中のコンビニに寄らないかと話を持ちかける。約束をして一緒に出掛けているわけではないので、行っても良いですかと尋ねるには勝手にすれば良い話だし、無言で脇道に反れてしまうのは先に述べたとおり緑間の機嫌を損ねる。折衷案として誘いをかけて断られればひとりで行けばいいし、一緒に立ち寄るならばそれはそれで構わない。この人本当に扱いが面倒だなあと感情の籠もらない視線を送り続けていると緑間は黒子の誘いに乗ってくれるようだ。 「昔は部活帰りにみんなでコンビニに行ったりしましたよね」 「…テスト前もな」 「ああ、青峰君が桃井さんのノートをコピーするのに寄りましたね」 「紫原は菓子ばかり買い込んでいたし黄瀬は雑誌で自分の記事を見せびらかしてくるわで散々だったのだよ」 眼鏡のブリッジを弄りながら、思い出し笑いならぬ思い出し怒りを始めた緑間とは反対に、黒子は蘇る思い出に僅かばかりの微笑を浮かべる。相性は良くなかったけれど、割と常識人の類に属していた二人だったから。そういう騒がしい思い出に加わるには大抵誰かに巻き込まれる形を取ることが多かった。コンビニだって、殆どが黄瀬や青峰に誘われなければそそくさと下校してしまっていただろう。図体はデカいし喧しいしいつも似たような面子で押し掛けていたから、帝光中から一番近いコンビニの店員にはすっかり顔を覚えられてしまっていたことを騒ぎの中心にいた人々は知らないだろう。黒子は知っていたけれど、それを理由に彼等を諌めたりはしなかった。あの頃は、思い出を振り返るように傍観者ではいられなかったからつい流されるままに過ぎてしまった。それから暫くして自分の意見が緑間を含む彼等と決定的に合わないと気付き姿を隠してしまったから、コンビニなんてひとりでしか行かなくなってしまった。 けれど、一度は離れて並ぶのではなく向き合って勝負して。そんな喧嘩腰のやり取りを経なければきっと、休日に私服で出会った緑間の隣を歩いたりは出来なかっただろう。何せ相性が悪いと相手方にきっぱり断言されている。その根拠が血液型ひとつだとすれば流石の黒子もそんな馬鹿なと閉口してしまうのだが、黒子自身緑間に向ける感情と照らし合わせれば意見を衝突させる必要もないと割り切った。好きか嫌いかで言えば好きだが、言葉を自由に選ばせて貰うならば苦手だったから。今ではよくわからない。口煩く咎められるには十分な距離を挟み時折しか合わせない顔は懐かしいと存在すら思い出になるのだろうか。 どうせこの先大会で何度も顔を合わせることになるだろうと自分のもしもを打ち消しに掛かっている内に目的地の手前、コンビニの前まで到着していた。はっとして顔を上げる黒子を置いてさっさと店内に入ってしまう緑間を目で追う。図体のデカい緑間が自動扉を潜っても鳴り響く入店のメロディはひどくミスマッチに感じた。 「そういえば今日は七夕ですね」 「突然なんなのだよ」 「いえ、七夕限定のパッケージ商品があったもので」 「高校生にもなると七夕も縁遠いな」 「そうですね。クラスで短冊を書いたりもしないですし。七夕ゼリーは給食だった小学校だけでしたし」 「七夕ゼリー?」 「七夕ゼリー、知りませんか?星形で三段で色が違うんですよ」 「知らないのだよ」 「そうですか…。おいしかったですよ?」 「ふん、」 味の感想など伝えてもイメージは伝わらなかったのか緑間は不満げに口を引き結んだ。黒子は自分の説明が悪かった所為かと脳裏にははっきりと浮かぶ甘味についてもう一度説明しようと試みたがやめた。実物を用意できないのに無意味だ。 七夕限定のパッケージの菓子は中身は普段と変わらぬ味の様で。それならば通常版と限定版のどちらを手にとっても何の違いもないのについ七夕限定に手を伸ばしてしまうのは日本人だからなのか。国民性を問うには選択が少なすぎるか。本来用事のないはずの緑間は飲料の棚の前で商品を物色している。さっさと先に会計を済ませた黒子は緑間の気が済むまで入り口横の雑誌コーナーで待機することにする。途中黄瀬が表紙を飾った雑誌を発見したが前の列にある雑誌を駆使してそっと隠しておいた。他意はない。 これといって興味のない地域の有名店を集めたご当地雑誌をぱらぱらとめくる。不意に、店の外を行き交う人々の中、わさわさと揺れている巨大な影が視界を掠めて反射的に顔を上げてしまった。するとそこには七夕用の笹をかついで歩く子どもたちの姿。既に折り紙で作られた飾りと短冊がぶらさがっている。これからどこかに飾りに行くのだろう。もしかしたら図書館かもしれないと思いながら、黒子は視線でその光景を追い続ける。店内からでは当然読めるはずもない短冊の文字に託された願い事を想像してみたりして。ヒーローやヒロインに憧れるもの、誰にも読まれないと信じて好きな相手の名前を書きこんでみたりする者、欲しいものを素直に書き込む者と様々な願いが込められているのだろう。微笑ましくもあり、さて自分はどんな願い事を込めたかなと思い出そうとして上手くいかなかったのだということを思い出す。今日行動を共にしている緑間辺りは、七夕だからといって余所に願いを託しなんてことは毛嫌いしそうだなと想像する。人事を尽くして天命を待つ。それは運任せとはかけ離れた努力の結晶。そういう所は素直に尊敬していて、好きなのだけれど。 「買い物が終わったのならさっさと声を掛けるのだよ!」 「……だって緑間君飲み物見てたじゃないですか」 「あれはただの時間潰しだ」 「そうでしたか。…それは失礼しました」 素直に謝罪し、並んでコンビニから出る。日差しは鋭く、即座に店内の涼しさが恋しくなるが目的地に向かって歩くしかない。進行方向には、先程の笹を持った子どもたちがはしゃぎながら歩いている。彼等の身長よりも丈の長い笹の裾が地面と擦れ合っていて見ていて非常に危なっかしい。かといって、声を張り上げて注意するような人柄でもない。それは緑間も同様で、眉を顰めながら送る視線の先は黒子と同じものを見ているが口元は固く結ばれたまま。 「――七夕ですね」 「そうだな」 「さっき思ったんですが、緑間君は短冊に願い事とか書かなそうだなと思ったんですけど実際どうでしたか?」 「は?」 「いえ、短冊に願い事を書くくらいならその間も人事を尽くすべきとか言いそうだなと思いまして」 「確かにそう思う部分もあるが願い事が物を強請る系統であるならば親に言えばよかったのだよ。何せ七夕は俺の誕生日だからな」 「―――は?」 「む、何を呆けているのだよ」 「緑間君誕生日なんですか?今日が?」 「それがどうしたというのだよ」 まさかの告白に黒子は緑間を凝視したまま足を止める。つられるように停止した緑間は何故黒子が驚いた顔をしているのか理解できないようで。おは朝の星座占いに固執している所為で星座だけは知っていたがまさか七夕が誕生日だったとは。 黒子に祝われることなど端から期待していない様子の緑間は暑さを厭いさっさと図書館に向かいたくて仕方がないらしい。それに反対してまで緑間の誕生日話を引っ張っても今の黒子に彼にしてやれることなどほぼ皆無なので大人しくまた足を動かす。これから向かう先が図書館ではなく本屋ならば誕生日プレゼントに一冊購入してやることも出来たのだが。そもそも緑間が自分から素直にプレゼントを受け取ってくれるかどうかが怪しいか。そう考えると、少しばかり落ち込む。 「緑間君」 「何だ」 「お誕生日おめでとうございます」 「ふん、一応礼を言っておこう」 誕生祝の言葉くらい一応ではなくそのまま受け取ってくれればいいのに呆れながらもこっそり盗み見た緑間の横顔はどこか喜色を湛えているようで。まさかそれが黒子の言葉だからとは露とも自覚しない本人は、緑間でも誕生日は浮かれるものかと子どもらしさをみつけたような、そんな意外な一面を知ったような気になる。 一方、緑間は明かすつもりも祝って貰う意図もなかった自身の誕生日、おは朝の占いで見事一位を獲得したかに座の幸運が見事発揮されたことに内心相当ご満悦なのだが、それを黒子に気取られるようなへまはしない。休日と重なってしまった静かな誕生日、偶然の廻り合わせでこうして黒子と歩いていること自体緑間には十分に素敵なプレゼントを貰ったと言えるのだから。短冊に願い事を書き綴るまでもない、ほんの些細なことだった。 ――――――――――― Happy Birthday!!7/7 喜びはもろともに Title by『ダボスへ』 |