部室にて、緑間は思う。そもそも人選が間違っていたのだと。授業中寝てばかりの青峰の成績を案じて偶には赤点ギリギリではなく平均点くらい取って見せろと言う赤司の主張は尤もだ。青峰と同じクラスの緑間からすればクラス別の平均点を下げているのは間違いなく彼なのだから。
 とはいえ生まれてこのかたテスト勉強なんて真面目に取り組んだことのない人間に部長命令だからと勉強を強いてもまず方法がわからないというのがひとつ。そして言われたからやるような人間ならこんな成績を収めてはいないというのが根底。流石の赤司でも無理だろうと気を揉む緑間と黄瀬の視線など黙殺して、赤司はならばと傍らで静かに読書にいそしんでいた黒子の襟首をひっつかんだ。因みに、この場にいるのは青峰以外のキセキである。

「……なんでしょうか赤司君」
「テツは仮にも大輝の相棒だろう?相棒がいつ赤点取るともしれない現状に危機感とかはないの?」
「……確かにそれは困りますけど…僕も人のことどうこう言える成績じゃないので自分が平均点以下にならないよう気を付けるので精一杯です」
「そうか、じゃあテスト勉に励む前にひとつ頼まれてくれないか」
「命令の間違いでしょう?」
「どちらにせよだ」
「……はあ、」

 言うことを聞かないという選択肢がないので、僅かに寄ってしまった眉も了承の意と捉えたのだろう、赤司は黒子を引き寄せるとその耳元で何事かを囁いた。黒子は一瞬きょとんと眼を見開いたけれど、直ぐに「了解です」と頷いて部室を出て行ってしまった。一体何といったのかと詰め寄る黄瀬に、赤司はいつも通り余裕の笑みを讃えて「教えない」と言い切った。ひどいと泣き真似をする黄瀬になど目もくれない赤司と、事の一部始終を見守っていた緑間との視線がかち合っても、彼は何も言わず浮かべた笑みを深くするだけ。それだけで、どうせろくなことを言っていないのだろうと理解し、最悪またひと悶着起こりキセキ全員巻き込まれるに違いないと緑間はひとり腹を括ることにした。そしてその決意は強ち無駄にはならなかったということを、彼はテスト期間が開けて直ぐに思い知ることになる。


 テスト結果から言えば、青峰は何をどうしたのかいつもの赤点ぎりぎりの点数からだいぶ好成績を修めるに至っていた。毎度おなじみ桃井のノート拝借は勿論きちんと自分の教科書ノートを持ち帰って勉強をしたらしい。その青峰の幼馴染である桃井は青峰の豹変っぷりに感動するよりもきっとこれは何か悪いことが起こる前触れに違いないと驚愕していた。生憎、平均点を超えるということは出来なかったが、個人の平均だけ見れば前回より二十点以上上昇したわけで、これには教師陣も驚きを禁じ得なかった。まさかカンニングなんて疑いは青峰とは関係ない赤司の名前が出た時点で消え去っていく。そんなわけなので、テスト返却の際ほぼ全教科で青峰は教師たちに「今回は頑張ったな」という言葉を掛けられたのである。
 中学生の部活動という物は、赤点さえ取らなければ成績に関して口煩く注意を受けるものではない。現に、青峰の成績を案じていたのは顧問ではなく部長の赤司だ。案じているというよりも、単に目についたから弄ってやろう程度の気紛れだったのかもしれないが。それでも全国に名を轟かせているバスケ部のレギュラーに馬鹿がいるという事態は看過しがたいのか、赤司は毎度テストの総合結果が発表されるとその結果を報告するようレギュラーにのみ義務付けている。そして青峰の成績を見て満足そうに笑った後、既に報告を終えて体育館に向かう準備をしていた黒子を手招きして呼び寄せた。やはり全員揃っていた、青峰を除くキセキの視線が赤司と黒子に自然と集中する。
 何か用ですかと着替えたばかりのTシャツの裾を整えながらやって来た黒子に、赤司は手にしていた青峰の成績表を見せてやる。学生に於ける個人情報の塊を本人の許可なく他人に晒すのはいただけないが、肝心の青峰はさして興味がないのか赤司に用紙を渡して現在着替えている最中なので、彼の行動には気付いていないようだった。目の前に差し出された紙の内容を目で追って、理解する。そして読み終えて、黒子の顔が用紙からあげられた瞬間、彼の頭に赤司の手が置かれた。

「ご苦労さま、テツヤのおかげで大輝の成績も多少上向いたね」
「はあ」
「あ?そこは俺の努力を褒め称えろよ」
「でも大輝はテツヤが撒いた餌がなければ勉強なんてしなかったろう?」
「……まあな」

 赤司に口で勝とうなどと青峰には永劫無理だった。正論というよりも事実を着かれて黙り込む青峰に、隣に居た黄瀬が一体どういうことだとやかましく尋ねれば気の短い彼は直ぐにうるせえと黄瀬の頭を叩いた。こいつも懲りないなと呆れる緑間を置いて、素直な紫原が赤司に「餌って何?」と尋ねればそこは普段から扱いの差がある黄瀬と紫原なので、赤司は簡単なことだよと前置きをしたうえで説明してくれた。これが黄瀬だったらテスト前と同様に「教えない!」と良い笑顔でシャットアウトされていたことだろう。

「テツヤに頼んで大輝の勉強に対するモチベーションを上げて貰ったんだ」
「まあ半ば命令ですよ」
「そのネタはもういいよ。大輝のことだから僕が言うよりテツヤにお願いされた方が素直に聞き入れるだろうしね」
「ふーん、峰ちん単純だもんね」
「なのでもし今回のテスト結果で平均点が前回より十点以上上回っていたらご褒美をあげますと言ったんです」
「うわあ、それで頑張って成績あげちゃうとか流石青峰っちッスね!」
「てめえ褒めてねえだろ」
「てか俺だって黒子っちからご褒美貰えるならもっと勉強頑張ったのに!」
「涼太は別に成績悪くないから弄ってもつまらないだろう」
「何すかその基準!?」
「話が進まないよー。黒ちんご褒美って何?お菓子?」
「いえ…それがまだ決めてないんです。僕にあげられる物なら何でもという条件だったので…。青峰君、ご褒美何がいいですか?」
「おー、それじゃあ遠慮なく――」
「ちょおっと待ったーーーー!!」

 明かされた真実は何とも単純で、黒子が大好きな青峰なら成程釣られてしまうであろう餌を用意した赤司の勝ちだなと納得した緑間とは裏腹に、黄瀬はどうやら納得がいかないらしい。といよりも、黒子が青峰に提示した条件に危機感を募らせているようだ。そういえばと思い出すまでもなくこいつも黒子が好きすぎるからなと呆れかえる緑間をよそに、紫原も少しばかり不機嫌そうに唇を尖らせているし、先程まで笑っていたはずの赤司も今では真顔になっていた。これは、と厄介な気配を察しさっさと部活前のシュート練習に向かおうとした緑間の行く手を阻むように醜い争いの火ぶたが切って落とされてしまった。

「黒子っち青峰っちにそんななんでもご褒美あげるなんて正気ッスか!?貞操の危機ッスよ!?ちょっと暫く青峰っちと二人きりとか絶対避けた方が良いッス!!」
「黒ちんからご褒美なんでも貰えるなら俺だってもっと勉強頑張ったしー。てか赤ちんなんで一番要注意な峰ちんにそんなご褒美提示しちゃったのー?」
「ちょっと予想外だね。何か奢ってあげるって言っておいでと言ったつもりだったんだけど…ねえテツヤ?」
「すいません、今月欲しい本が新刊で出るので余計な出費を約束するのは避けたかったんです」
「お金より体の方が何倍も大事ッスよ!?」
「それはそうですけど黄瀬君は何の話をしているんですか」
「気にしないで良いよ。涼太の思考は思春期過ぎて不潔だから」
「この言い草!!」
「つうかうるせーよお前ら」

 青峰に渡すまいと、黒子に抱き着こうとした黄瀬は見事な動きで避けられる。しかしそれすら読んでいたと言わんばかりの赤司に捕獲されて、黒子は意味が分からないと顔を顰めている。青峰が自分に変な要求なんてするわけないじゃないですかと言わんばかりの立腹加減だが、この場で唯一傍観者に徹している緑間に言わせたって「お前は今貞操の危機に直面しているんだぞ」以外の言葉がない。お前の相棒はちっともピュアじゃないんだからなと言い切ろうにも現在黒子を囲っている面子全員が似たようなものなので言えない。
 青峰は青峰で言い出しっぺはそっちなのだからさっさとテツを寄越せと不機嫌に陥っている。お前は部活前に致すつもりなのかと切り返す赤司にとうとう黒子が「全員不潔です」と呟いて緑間以外をへこませた。あの赤司すら傷ついている様で。どうにも収集が着かない場を後にする絶好のチャンスだったのだが、一気に沈黙した部室内で黒子と目が合ってしまったのが緑間の不運。ラッキーアイテムはさっきまで着替えていた所為で直ぐ傍にあるものの手にしていなかった。そのわずかな隙をついてくるとは人生の災難はいつ降りかかって来るか気が抜けない。
 さっさと体育館に行って部活の準備をしてしまえと黒子を逃がしてやったことにより、黒子の緑間に対する好感度だけがぐんと上がってしまったことをこの日他のキセキからねちねちと責められた緑間のライフは限りなくゼロに近づいた。そして黒子に二度と青峰をご褒美で釣ってテスト勉強をさせないようにと言い含めた。必要ならば部員総出で勉強会だと宣言すれば黒子も彼の苦労を察してか頷いてくれたから良しとしよう。
 因みに、黒子から青峰へのご褒美はキセキ全員の監視の元、一緒に出掛けたマジバで黒子が青峰にポテトを食べさせてやるということで落ち着いた。それだって普通カップルがすることだろうというまっとうな突っ込みは、緑間の腹の中にセットのコーラと一緒に流し込まれた。


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約束は愚かです
Title by『ダボスへ』



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