あれは中学三年時のいつ頃だったか、たしかキセキの世代で特集を組むからと雑誌の取材を受けた時だった気がする。その数週間後だったか、取材協力のお礼として現物が送られてきたのを、取材を受けた本人たちは特に興味がないのか手にすることもなく練習へと向かってしまった。それを勿体ないと頁を捲っていた桃井が、同じように勿体ないと思って隣から覗き込んでいた黄瀬に「きーちゃんは6月生まれなんだね」と言った。桃井が開いていた頁にはアイドルでもないのに黄瀬たちの誕生日といった簡単な個人情報がしっかり書き込まれている。そういえば聞かれたっけなあと記憶を漁る黄瀬を見上げながら、桃井は指折り日数を数えながら今年は黄瀬の誕生日は平日だと割り出していた。

「私は祝日生まれだからちょっと羨ましいな」
「何で?」
「学校で友だちにおめでとうって言われてみたい」
「あー、なるほど。桃っちの誕生日っていつなんスか?」
「5月4日だよ。GW中!」
「へー、…って今年はもう過ぎちゃってるじゃないっスか!」

 確かその日は部活があったから、言ってくれたらお祝いしたのにと嘆く黄瀬に、桃井はじゃあ来年お祝いしてねと上手く話を纏めてさっさとコート内に送り出してやった。その時、黄瀬は単純にじゃあそうしようと思っていた。来年の5月、自分たちが同じ学校にいるかなんてわからなかったというのに。それでも、当時黄瀬は既に桃井のことが好きだったから、来年は絶対お祝いしようと決めていたし、それが実行されないもしくは自分の桃井へ向ける好意が薄まることなんて微塵も疑っていなかった。そして、それから一年近く経った今、あの日の自分の予想は全く間違っていなかったのだと思い知っている。

「あと5分…!」

 自室のベッドの上に正座して、何度も壁掛けの時計を見上げてはちょっとあの時計進むの遅くないスかと言い掛かり甚だしい気持ちで黄瀬はそわそわと浮き足立っている。5月3日の午後23時55分を示す時計を前に、何度も携帯を開いては閉じ、放っては拾いを繰り返している。去年、何気ない会話の中で交わした約束を、きっと桃井はもう覚えていないだろうけれど。それぞれ違う高校に進学して、桃井は結局幼馴染と一緒に歩くことを選んだ。放っておけないだけだと彼女は始終主張を違えなかったけれど、言い換えれば幼馴染である青峰を放りだせるほどの存在が、彼女の中には在り得ないということだ。それは当然、自分が同じ高校に行かないかと誘っても断られていたであろう根拠。
 中学の卒業式以降一度も顔を見ていないが、元気にしているだろうか。こうして彼女の誕生日を祝おうと携帯を前に勇んでいるものの、新しい生活に適応するのが忙しく、初めて日常の中で開いた膨大な距離に戸惑っていたこともありメールも碌に送りあっていないのに電話をするというのは不躾なことだろうか。今更な不安が浮かび上がって、黄瀬ははっと携帯を開いて停止する。一応誕生日メールも用意してはいる。お前は女子高生かと突っ込まれるような可愛らしくカラフルにデコられたメールはなかなかの力作なのだが送信者が黄瀬となると完璧ギャグの域だ。
 普段のメールと見比べれば、黄瀬がその誕生日メールの為だけに努力したであろうことは明らかなのだが、生憎桃井はその辺りは随分と鈍いからきっと気付いては貰えないだろう。誕生日を祝う文面の後に散りばめた雑談がウザったくないかなんて、そんなことを気にしてメールを打ったことは今の今までなかった。それでも、端から彼女の一挙一動に想いの成就を期待できるような恋ではなかったから、自己満足の上塗りを重ねるだけの行為でも構わないのだ。ただ、自分が桃井を想っている事実が、彼女の中の優先順位や横たわる距離を理由に諦めるのではなく忘れてしまうことだけはないように。青峰を放っておけないことを知っている。黒子を好いていることを知っている。じゃあ桃井に恋をするのはやめようとはならないのだ。きっかけなんて忘れてしまった。それでも、気付いたら一人の女の子として好きになっていた少女のことを、黄瀬は諦めながら足掻きながらこんなにも格好悪いと自嘲することになっても想っている。
 気付けば時計の針は5月4日まで残り一分を切っていて、慌てて携帯のアドレス帳を開く。中学時代に遠征先で集合場所の伝達など部活の業務連絡でしか使用したことのない番号は、着信履歴にも発信履歴にもその形跡を残してはいなくて、気軽に暇だからと電話を持ちかける相手ではないと改めて実感する。顔を合わせれば、きっと気楽に色々話すことが出来るのに。だけど。
 ――順番の一番くらい、俺がゲットしたいんスよ。
 それくらい、許されるだろう。桃井が誕生日を祝われて嬉しい人間の一番になれないのなら、せめて祝う順番だけは一番になりたい。誰と張り合っているのかすらもうわからないけれど、それだけ黄瀬も必死だった。時計の秒針が5月3日に辿り着くよりも数秒先に黄瀬は発信ボタンを押して、呼び出し音も含めれば日を跨ぐだろうと計算して携帯を耳に当てる。一気に緊張で心音がうるさく感じて、まどろっこしい機械音もよく聞こえない。

『――もしもし、きーちゃん?』
「えっと、桃っちっスか?」
『そうだよ?あれ、もしかして間違い電話?』
「違うッス!桃っちに用があって電話したんス!」
『珍しいね?どうしたの?』
「あの――お誕生日、おめでとうッス」

 肝心の用件が、段々と尻すぼみになってしまい心底情けない。今まで家族以外の異性に誕生日を祝われたことなら山程あれど自分から祝おうと意気込んで電話までするのは初めての黄瀬には格好のつけ方だってわからなかった。モデルで格好良くて、運動も勉強も出来る女子に人気な黄瀬涼太は桃井の前では完全にログアウトだ。
 一方、黄瀬から誕生日を祝われたことが意外過ぎて思わず唖然と黙り込んでしまった桃井は、そういえば、去年黄瀬に来年の自分の誕生日をお祝いしてよと冗談半分でけしかけたことを思い出していた。これを約束と取って守ってくれたのならば律儀なことだ。義務感を覚えていたのならそれは申し訳ない。思わずわざわざごめんねと謝りかけたところを寸前で思い留まる。背景はどうであれ、祝いの言葉に対する言葉が謝罪ではそれこそ申し訳ない話だ。

『――ありがとうね、きーちゃん』
「うん、どういたしまして」
『約束覚えててくれたんだね…何か意外かも』
「まあ、……友達ッスから!」
『ふふ、今年お祝いしてくれたのはきーちゃんが一番だよ』
「狙い通りッス!」
『何それー!』

 電話越しに聞こえる桃井の笑い声に、黄瀬はなんだか泣きそうになってしまう。大袈裟だけれど、約一年越しの約束を果たせたこと、ちゃんと一番になれたこと、桃井が喜んでくれたこと、久しぶりに耳朶に響く心地よい声音が黄瀬の心を揺さぶって仕方がない。
 ――こんなに好きなのになあ、
 言えない本音は、桃井が生まれ、友人や家族に祝福されて幸せに過ごすべき日に晒すべきものではないから必死に押し留める。純粋に友人からの厚意を喜ぶ桃井には、黄瀬のこんな切なさは微塵も届かないまま。時計の長針はまだ少ししか動いていないのに、もう話を繋ぐ術が見つからなくて途方に暮れる。結局、あとで男子作とは思えないデコメを送るからとまた桃井を笑わせて、ありきたりな挨拶を交わして電話を切った。途端、沈黙する部屋の空気がやけに冷たくて、堪えきったはずの涙が一粒携帯の液晶の上に落ちた。
 やっぱり、祝う順番の一位より、桃井に想われる人間としての一位の方がずっと魅力的だと実感しつつ、黄瀬は約束通り桃井にデコメを送信する。来年は、もっと上手く話せるように頑張ろう。そんな気の早いことを考えながら、黄瀬は部屋の明かりを消してベッドに潜り込んだ。どうか、愛しい彼女の誕生日が幸せに溢れた一日になるようにと願って――。


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Title by『ダボスへ』



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