ふと、氷室は想像してみた。今、床に座る自分の隣で丸まって眠っている黒子に触れること。薄いブランケットにくるまって、顔以外の素手や素足を外気に晒さないようにと頑張っている姿が猫のようで、可愛らしい。寝るならばベッドでと促すことも出来たが生憎この部屋の主は黒子でも氷室でもなかったので勝手に物を拝借する訳にも行かなかった。
 さて肝心の家主である紫原はといえばわざわざ東京から黒子を秋田まで招き寄せておきながら歓迎の準備をしていなかった。彼曰く、氷室を自分の部屋に呼んでおいたことこそが歓迎の証らしいのだがその意図は黒子には勿論、氷室にも汲み取ることは出来なかった。実際、紫原が氷室を呼んだのは黒子が自分と二人きりだと嫌な思いをするかもという過去のすれ違いに起因するのだがそれならば端から秋田になど来ないということに彼は気付いていない。
 想像の次は実践あるのみ。つんつんと頬をつつくと眉を寄せて顔を逸らされる。そうなると深追いして更につつきたくなるのが氷室の性分だ。黒子はつくづく、彼とは顔見知り程度の付き合いに留めていた方が心象は遥か良かったと思う。今だって深い眠りに落ちていたのを起こされた訳ではないけれど、うとうとと心地良い微睡みの中にいた自分をあっさりと引き上げようとする。人によってはかなり不快な行為を相手を見てぎりぎり怒らせない位置で遊んでいる余裕が腹立たしい。
 このまま眠り込む振りをしても氷室はもうはっきりと意識を取り戻している黒子を放っておいてはくれないのだろう。そう諦めをつけて、黒子は気怠げな空気を纏いながら起き上がった。秋田へやってきた長旅の疲れは出来るだけ招き寄せた本人のいない内に取り去っておきたかったのだがもうそうは言っていられない。

「おはよう」
「……おはようございます」
「怒ってる?」
「その手前です」
「うん、狙い通りだ」

 嬉しそうに、氷室は黒子を引き寄せた。それと同様に、黒子の眉も寄ってしまう。こんな人が女性にモテているらしいが嘘だろう。少なくとも自分が女だったならば絶対に氷室の様な男には捕まりたくない。有り得ないもしもの想像も結局眉を顰めるような結末で、黒子は氷室から最短で逃げるには彼が飽きるまで待つしかないと経験上理解している。だがそれが耐え難いから、黒子は本来この部屋にいるべき唯一の人間を出会ってから初めて積極的に此処にいて欲しいと念じた。

「室ちん何してんの?」
「おかえり敦」
「ただいまー、で?」
「俺を放ったらかしにして眠ろうとしてたからつついてたら起きたんだ」
「それって室ちんが黒ちん抱っこすることに繋がる?」
「…何だ敦、常識人みたいに」
「自分が逸脱してる自覚があるならいい加減に離して下さい」

 お菓子の調達という任務から帰還した紫原は、部屋に入るなり自分の客人を抱え込んでいる氷室に不満げにぐちぐちと訴えを零す。暗にそれは自分のだから寄越せと言われているのだろうが、実際言葉にすると確実に黒子に物扱いするなと怒られるから言えないだろう。そう高を括っていたら紫原の抗議に便乗して黒子までもが抵抗し始めるのだから氷室としても面白くない。当然そんな感情をありのまま表情に浮かべるほど単純ではないが。
 自分を後ろ抱きにしている氷室の腕をぺちぺちと叩く。がっちりとホールドされているので、やはり氷室本人の妥協によって解放して頂くのが望ましい。力尽くで逃げ出そうとしても上手く行くイメージが全く思い浮かばないのだ。
 ――離す気ありませんねこれは。
 黒子と紫原両人の抗議にも折れず普段通りの笑みでそれを相殺しようとしている氷室に黒子の心は早くも折れ掛ける。如何なる戦闘もやはり万端の態勢を整えてから臨むべきだ。ならばやはり自分は少し眠りたいのにと、最終的にら氷室に対する通らない抗議に戻っていく。だらりと氷室の腕の中でうなだれながら、目の前の紫原を見上げれば彼はどうにも不満そうだ。折角やってきた黒子を、何が悲しくて下心しかないような男の腕に預けなくてはならないのだ。尤も、今は疫病神にしか見えない氷室を呼んだのも自分なので、紫原は数時間前の自分は何を考えていたのかと真剣に問いたい。大人しく眠っていてくれるなら、氷室を呼ぶ必要なんてなかったのに。

「…でも室ちんのことだから呼ばなくても嗅ぎつけて来そうだよね」

 じとりと氷室をねめつけても彼は解っているなら諦めろと言わんばかりに笑みを深める。氷室のいやらしい表情は黒子からは目撃すること叶わない。だが代わりに今にもぶちきれそうな紫原の凶悪な表情はしっかりと目撃することが出来た。これは捻り潰したい的な怒りだろうか。だとしたらそれは困る。対象が自分だとしても氷室だとしても。紫原が誰かと喧嘩した所など見たことがないから、仲直り出来るのかも定かではない。自分が原因でチームメイトである二人が揉めるなど心苦しいというより後処理が面倒くさい。

「紫原君、氷室さんが帰ったら何でも言うこと聞いてあげますからあまり凶悪な顔しないで下さい」
「誰の所為だと思ってんの」
「氷室さんでしょう?」

 まさか僕の所為だとでも言うんですかと疑いなく問うてくる黒子の態度は清々しいまでに潔白だ。されるがままの黒子にだって腹が立つと思っていた紫原の気持ちなど真っ向から否定する。そこまで言うならば成程全て氷室が悪いに違いない。

「じゃあ俺が此処にいる間は黒子君を独占して良いのかな?」
「良いわけないでしょ、もう帰ってよ」
「呼んだのは敦なのにヒドいな」
「はいはいごめんなさい黒ちんを返して」
「…仕方ないな」

 また明日構いに来れば良いかと不吉な発言と共に漸く腕を放した氷室はそのまま自由になった黒子を抱え込む紫原に苦笑しながら立ち上がる。自分の時とは打って変わって言葉の抵抗すらなくまた眠気に誘われるまま瞼を閉じている黒子の姿に苦笑する。
 わざわざ遠い秋田の地にやってきたというのに、このまま二人は昼寝と称して一緒に眠りこけてしまうのだろう。仲が悪いなどと、どの口が称していたのか。せめてベッドに行って布団を被ってから寝るようにと注意すれば先程までの剣呑な雰囲気は全くないままに素直に紫原も頷いた。よほど黒子の独占権がお気に召したらしい。
 二人きりの諍いを案じて他人を呼んだって、結局黒子を不快にさせるのだって自分だけが良かったんだろうに下手くそだ。呆れつつ、二人の遅々とした関係の前進を微笑ましくも思う。だけどやっぱり、邪魔だと思われても明日も氷室は黒子を構いにやってくるつもりでいる。だってまだ、誰もゴールに着いてはいないのだから、チャンスがない訳じゃないだろう。そうほくそ笑む氷室の顔の方が、紫原よりよっぽど凶悪だったのだけれど、当のターゲットである黒子は既に眠りに落ちていて、これから降りかかる災難もとい好意への臨戦態勢を整えることすらままならなかった。



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わななく怪獣
Title by『にやり』




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