宿題のプリントを写させてくれと、また唐突に無粋なメールを寄越すものだと桃井は呆れてしまう。送信者である青峰が提出を急かされるより先に率先して宿題を片付けようとしていることを褒めてやるべきなのか。たとえそれが丸写しという宿題をやったとは到底言えない方法であったとしても。
 時刻は夜九時を過ぎていて、とてもじゃないが桃井が外を出歩くのを推奨できる時間帯ではない。いくら青峰と桃井がご近所さんで幼馴染だったとしてもだ。そもそも面倒を掛けているのは青峰の方だ。その辺りは彼も自覚があるらしくメールの末尾には今から桃井の家に出向くという旨が記されていた。きっと桃井の都合などお構いなしに彼はもう自宅を出てしまっているだろう。ならばいくら急いで返信しても意味はない。携帯を閉じて、とっくに終えて通学鞄の中に閉まったクリアファイルからプリントを取り出してもう一度答えを確認する。間違えていても青峰は気にしないし気付かないだろうが、そこは桃井のささやかな意地だった。完璧と思われたいのではなく、頼りになると思われたい。結局自分が一番青峰に手を焼きながらも甘やかしている。
 部屋を見渡せば一応は整頓されているといって良いだろう。いつも制服の上に羽織っている青緑のパーカーは椅子の背にぞんざいに掛けられているけれど、青峰の部屋の有り様と比べたら可愛いものだろう。尤も、幼馴染とはいえ桃井が青峰の部屋を最後に訪れてからはもう随分と時間が過ぎていた。何せ青峰はまんまの男の子だったので。そしてそこで止まってしまっているが為、桃井に対してというより女の子に対する気遣いや気恥ずかしさというものを一切持ち合わせていなかった。今となっては他人に対して全般的にその気が見受けられるが今は昔の話だ。
 ようするに思春期を迎えた男の子の部屋には桃井からすればいかがわしいとしか呼べない類の、しかし彼からすれば健全でしかない類の本やら、DVDやらが存在し始める。所有するのは仕方ないとしてベッドの下や鍵の付いた引き出しに隠しておくのが普通だろうにと桃井は思うのだが、青峰は随分と開けっぴろげにそれらを見えるところに放置してしまうから、桃井の足は段々と彼の部屋から遠ざかり始めてしまった。毎朝遅刻しないようにと家の前まで迎えに行く習慣は変わらなかったし、青峰の方は変わらずに桃井の家に上がり込んでいたけれど。
 部屋のチェックを終えると、桃井はドアを開けて階段の上から下のリビングに向かってこれから青峰が来るという旨を叫んで伝える。彼女のよりも穏やかなトーンで、了承したとの答えが母親から返ってくる。
 桃井が中学に上がった辺りから青峰のことを「青峰君」と呼ぶようになったことを桃井の両親は勿論、青峰の両親も少し寂しそうに、だけども「お年頃だから」と見守ってくれていた。それが最近、また昔のように「大ちゃん」と呼ぶようになったことを微笑ましく思われていることを桃井は知っている。それが少し彼女にはこそばゆいのだが、もう一人の当事者である青峰はどこ吹く風でなんとも思っていないようだった。彼が桃井に対して向ける態度は性差によって変化する類のものではなかったから、それはある意味当然のこと。
 だがもう少し、自分たちが幼馴染だからと許容されている範囲を見定めた方が良いと思うのだ。年頃の女の子の家に、男の子が夜分に押し掛けるなんて、家庭によっては 大変失礼かつ疑わしい行為なのだから。青峰だからというだけで、この家では許されてしまうのだが、それは決して一般的ではないと自覚して頂きたいものだ。

「さつきー、大輝君来たわよー」
「はーい!部屋まで来てー!」

 桃井の慣れた対応も偶に訪ねる友人には適用出来ないものだが、相手が青峰だから構わない。自分はちゃんと彼と彼以外の境界線を理解しているから問題ないのだと言い訳しておく。
 暫くして開け放したままのドアを形式のノックをすることなく青峰が窮屈そうに入ってくる。手には二人分の飲み物とお菓子が乗せられたらトレイを持っており、だから母親との会話から暫くするまで階段を上ってこなかったのかと納得する。娘を呼ばずに客人に仕事を与える辺りこの家族内に於ける青峰の位置付けが桃井の幼馴染で、気兼ねない存在と認識されているのだろう。その気安さに、青峰もまた違和感を覚えてはいない。

「宿題写してくでしょ?」
「お前貸せっつっても嫌がるだろ」
「だって大ちゃんに貸したらちゃんと提出日に学校に持ってきてくれるか怪しいし汚しそうなんだもん」
「失礼だよなお前」
「前科持ちのくせに!」

 勉強机とベッドの間のローテーブルには既に青峰の用件が一枚ぽつりと置かれており、桃井は彼からトレイを引ったくって足を向けない位置に置くと自身はさっさとベッドに腰掛けて作業が終わるのを待つ姿勢を整えた。
 青峰はこれ以上の会話は自分の過去のミスを列挙されるだけだと溜息を吐いて、床に座り持ってきた四つ折り状態のプリントをなんとポケットから取り出した。

「ペン」
「そっちのペン立てから取って」
「ん」
「それボールペン」
「別に良くね?」
「丸写しだって直ぐにバレるよ」

 普段点の印象まで下げてどうするのと呆れて見せれば、己の成績に過大な評価など下していない彼はそれもそうだとあっさりシャープペンに握り直した。
 桃井のプリントを写すだけの作業はやはり面白くはないのだろう。自分で問題を解くという勉強の方がずっと面白くはないが。兎に角少し息抜きをと思い、先程持たされた飲み物に手を伸ばし、ペンも放り投げた。桃井のもう集中力切れちゃったのと言いたげな視線は無視をする。

「そういやさっきリビング寄ってきたんだけどさ、今年はお前んち雛人形飾ってないんだな」
「ああ、忙しくて先延ばしにしてたら間に合わなくて」
「ひな祭りまだじゃん」
「ああいう人形は十日以上は前に飾り付けた方が良いんだよ」
「へえ」
「それにしても青峰君よく気付いたね」
「ん?だってお前毎年ひな祭りの翌日に片付け手伝わせたろ?大ちゃんは私がお嫁さんにいけなくなっても良いのとか怒りながら」
「…そうだったね」

 いつだって青峰の手綱を握って面倒を見るのが自分の役目だなんてお姉さんぶってしまうが、振り返れば自分も幼い我が儘に青峰を付き合わせていたのだと思い知らされて少し恥ずかしい。桃井が大切にしている雛人形の価値など解らずにお雛様の扇子を摘まんで引っ張る彼のあぶなっかしい姿は今よりずっと小さかった。

「人形早く仕舞わないと嫁に行くのが遅くなるなら、飾らなかったらどうなるんだ?」
「さあ?聞いたことないよ」
「嫁に行くのすら出来なくなるとかだったりしてな」
「やめてくれる!?」

 青峰の冗談を、桃井は本気で嫌がって近くにあったクッションを投げつけた。当然、見事な反射神経でもってキャッチされる。怒るなよと歯を見せて笑う青峰に無責任だと唇を尖らせれば、益々愉快だと声まで上げて笑い出すから桃井の機嫌は急降下。プリントを没収してやろうかとすら思うくらいだ。

「まあさつきが余っちまったら俺が貰ってやるよ」
「へ?」
「だから雛霰忘れんなよ」
「…うん」

 それで良いのか。毎年与え続けた雛霰に餌付けされた幼馴染の短絡的な思考回路に桃井は唖然として次の言葉がなかなか思いつかない。だが結構ですなんて断ってしまうのは勿体無い。だって青峰がこんなプロポーズじみた言葉を自分に言い放つ日が来るとは。
 衝撃と感動に挟まれながら、まあ何かと手の掛かる青峰の面倒を見続けられるのは自分くらいなんじゃないかと前向きに検討し始める。二人揃って生涯独り身なんてあまりに寂しいから。
 だから青峰からの提案を忘れない為にも、来年はちゃんと雛人形を飾って、雛霰をあげて、それから後片付けを手伝わせようと、桃井は密かに決意して微笑んだ。
 青峰に対して気安く開かれるこの家の扉は、きっとこれから先もずっとこのままなのだろう。



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2人の最短距離をゆく
Title by『告別』




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