急遽自習となった時間の空きを利用して屋上にやって来た黒子が見上げた空は雲一つない快晴で、こうして屋上で何をする訳でもなく座っているだけでも心地良い気候を醸し出している。が、黒子の心地はと言えば若干悪い方に傾き始めていた。手にしていた文庫本は此処に来て開いた頁からちっとも進んでいなくて、その原因なんて分かりきっているのだが如何せん取り除くというのは不可能に近い。だってそれは人間で、黒子とわりかし近しい同じ部活の先輩なのだから。
 隣に立って校庭を覗き込むようにフェンスにかじり付いている伊月は黒子とは違いどこかご機嫌な様子で視線を巡らすことをせずにじっと下を見ている。フェンスに背を預けて座っている黒子には、伊月が熱心に凝視している物の検討などつけようがないが、授業中なのだからどこかのクラスが体育をしているくらいしか候補もない。黒子のクラスは自習の為今現在屋上で寛いでいても咎められることはないが伊月は果たしてどうなのだろうか。黒子の後からやってきた際に投げた授業は良いのかという問いは軽く交わされてしまったから、恐らく彼は授業をサボっている最中だろう。あまり他人に姿を晒す位置に陣取らない方が良いのではと思いながらも不真面目な先輩を庇い立てる必要もないかと、黒子は忠告の為に開こうとしていた口を噤んだ。その代わりに自分の疑問を解決する為の言葉とをすり替えた。

「…下に、何か面白い物でもあるんですか」
「ん?さっき日向が転んでるのが見えただけだよ」
「それを熱心に見てたんですか」
「まあね」
「ちょっと悪趣味ですよ」
「そうか?」

 伊月からの回答は黒子からすれば別段面白味もなく。部活仲間の転倒を凝視するのは如何なものかと少しばかり眉を顰めればその僅かな変化はしっかりと伊月の目に留まったらしい。黒子に不快な思いをさせるつもりはなかったんだけどなと困った様に眉を下げた伊月に、黒子の方が大袈裟だと申し訳なくなり彼から目を逸らした。
 さして面白くない洒落を唐突に放つ以外、伊月は黒子にとって好ましい先輩のひとりだ。特に試合では自分の性質と役割上彼とのアイコンタクト等接する機会も多い。とはいえ、二人きりという状況に陥るのは案外珍しいものだなと、人付き合いにあまり気を配らない黒子は既に気疲れを起こしかけながら思案する。
 わざわざ隣に陣取る位だから用があるのかと思ったが、そういう訳ではないらしく。黒子が最初から読書していた所為かとも思ったが本を閉じた現在も伊月の様子にこれといった変化はない。単に顔見知りと遭遇して無用な距離を取ると相手に変な勘ぐりを与えるかもという思慮の結果だったのだろうか。黒子には、その辺りの伊月の意図は全く読めない。何せ、屋上にやってきたと同時に黒子に声を掛けるなんて芸当は、彼の薄さ故そう簡単に出来ることではない。だからこそ、伊月の目には感謝する反面厄介だと思ってしまう部分がある。
 仲間を大事にする黒子だが、それはあくまでバスケ選手としての側面で、一歩そこから離れてしまえば彼はおおいに個人主義に徹底されている。独り歩きに何の気後れもなく気儘に動き回り、その途中で自分と似たような波長の人間に出会えればそれなりに連むけれど結局その程度。他人に期待せず淡白に生きているくせに仲間への信頼は真っ直ぐで与えられるそれへの応えもひたむきで。冷たさと熱さの落差に戸惑いを覚えてしまう人間がいることすら、黒子にとっては興味の範囲外に違いなかった。
 だけど時には、波長の合う合わないを度外視したって興味が向いてしまう相手と出会うことだってある。恒常的でなくふとした瞬間の刹那的な興味、感情だとしても無視するには対象が近過ぎた。現在進行形で視界に映り込んでいる人間への感情を上手くひた隠しにする自信はあるけれど。それを見抜くだけの眼力を伊月は持ち合わせている。
 伊月はいつの間にか校庭に向けていた視線を黒子に移して何やら穏やかに微笑んでいた。

「…何でしょう」
「黒子がじっと見て来るから、何かあるのかなと思って」
「特には、用事も話題も何もないですけど」
「けど?」
「伊月先輩は、何しに屋上に来たんですか?」

 黒子の問いに、伊月は虚を突かれたのか瞳を見開いた。真っ当な疑問だが、それを黒子が気にしているとは思わなかったのだろう。伊月が屋上に現れた時点で何も尋ねなかったということは、黒子は彼の存在を許容したと見なしていた。そこに目的など、自分に関わりがなければ探らないのが黒子だろうとも勝手に決めつけていた。しかし案外、黒子は自分を気に掛けているようだと知り、伊月の頬は自然とだらしなく緩む。

「黒子が見えたからさ、追いかけてみた」
「はい?」
「予鈴が鳴ってみんな教室に戻んなきゃってばたばたしてる廊下をすいすい屋上の方に歩いてく黒子を見たら気になったんだ」
「授業は、」
「ノート見せて貰えば大丈夫だ」
「はあ…」

 伊月の告白は衝撃的なものだろう。だが肝心の黒子にはいまいちピンとこない。伊月が自分を理由に行動するということがまず黒子の想像の範囲外だ。自分が授業直前に伊月が屋上に向かう姿を見かけたからといってその背中を追うかと考えれば答えはノーだ。
 不可解だと、黒子の瞳が雄弁に語るから伊月はやっぱりなと苦笑する。隣にわざわざ陣取るだけじゃあ伝わらない気持ちを、伊月は黒子に向けている。それは紛れもない好意で、厚意などでは決してない。だから間合いを詰める機会があるならば逃すべきではないだろう。なにせ、悠長に構えて手に入るほど黒子は一人ではないのだから。

「黒子は鈍いもんなあ、」
「…馬鹿にしてますか?」
「いや俺もまどろっこしいことしてるからなんだけどさ」
「……?」
「うーん、取り敢えず明日も屋上で話さないか?」
「…明日は僕のクラスは自習ありません」

 だから無理ですと言い掛けて、止める。取り敢えずの意味も、言葉の目的も不明だが、折角の申し出に後輩のくせに失礼だなんて遠慮は黒子の中にはない。お昼休みなら大丈夫だなんて伊月の要求に妥協点を見つけてしまった自分自身に惑い黙ってしまった。
 伊月の意図も理解できずに言葉を探す沈黙を彼は責めない。その優しさに甘んじて時間を消費すれば不意に風が目の前を吹き抜けた。視認できる筈もないそれを追うように目線を空に向ければ映るのは屋上にやって来てから変わることのない雲一つない快晴の青空。
 そんな清々しい青の下でぐるぐると悩むなんて勿体ない。

「…明日もこんな青空だったら、お話ししましょう」

 ぽつりと、漸く返した言葉はどこか曖昧で。だが伊月はその返答にいたく満足した風に頷いた。彼は知っている。今週の天気予報に傘マークはおろか曇りマークすら並んでいなかったことを。約束だと黒子の隣にしゃがみこんで、強引に指切りを交わすことにもされるがまま。
 ――こんな良い天気なのだからと、思考なんて面倒なことは放棄してしまおう。
 この些細な選択が、部活の一先輩でしかない伊月を、己の懐深くまで招き入れてしまうことになるのだが、今の黒子がそんなことを予想する筈もなく。過ぎる程の青空をただ綺麗だと見上げているだけだった。


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空が青過ぎたせいで
Title by『魔女がいる


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