小柄な体躯を放り投げるなんてあまりに簡単なことだった。それをせずに優しく抱き上げてあやすように頭を撫でたら見事に黒子は不快そうに表情を歪めてしまったのだから人間は難しい。
 赤司にとって他人の機嫌とは察するものでも窺うものでもない。気に止める必要のない無価値なものに過ぎなかった。いつだって人の上に立っていたから、どちらかと言えば人が赤司の機嫌を気にすることの方が多かった。自分勝手とも子どもじみているとも見える彼の気儘さは時に他人に甚大な被害をもたらしうるものだったから。

「テツヤは気難しいんだね」
「…そんなことないです」

 人間の気質を、赤司にだけは語って欲しくないと黒子は思う。相手の質など省みずに我を通すだけの絶対を、少なくとも黒子の中学時代の彼は手にしていた。赤司に見出されて生かされた黒子が、彼に付き従う道を強いられたかと言えばそんなことはないけれど。逆らうとか、そういう考え自体が過ぎらなかった。だってどんなに赤司がバスケ部内に於いて圧倒的だったとしても端から見れば二人の関係は仲間と形容されて然るべき位置だったから。
 赤司が黒子に何を感じ入って掬い上げたのか、彼はその一切を語らない。余計な副産物を得たりもしたけれど、大好きだったバスケを思う存分プレイ出来る場に導いてくれたのだから、黒子も追い縋ってしつこく彼に言葉を求めることなどしなかった。
 だけど。今更ながらに思うのは、もっと沢山言葉を重ねておけば良かったとその一点だった。黒子は赤司のことを殆ど知らないに等しかった。彼もまた黒子のことなど詳しく知ってはいないだろう。唯一の共有した時間。赤司はきっと黒子を自分の物差しで測り決め付けて抑えつけた。それは窮屈とは言えない生温い環境で。絶対的な勝利をもたらし選手としてはあまりに弱い黒子にも役割を与えてくれた、優しさと呼んでもよかったもの。尤も、それは黒子がそう呼ばなければ一瞬で支配とその名を変えてしまう。

「…赤司君は好きな物とかありますか」
「なんだい急に」
「何となく気になっただけです。僕はあまり赤司君のことを知らないので」
「…昔のチームメイトに随分なことを言うね」
「だって赤司君はあまり僕と…他のみんなともバスケ以外の話題で話さなかったじゃないですか。放課後一緒に寄り道する機会もあんまりなかったし」
「テツヤが誘ってくれてたらいつだって一緒に帰ったのに」
「嘘ですよ、それ」
「………」
「君が僕の為に心を砕くなんてこと、あるわけないじゃないですか」

 だって君はいつだって人の心を砕く側の人間なのだからとは、赤司を責めている様に響くから言わない。ただ事実として目の前にある赤司の実像は、他人の言葉如きで揺らぐものではないが。
 黒子を抱き上げている体勢では、彼が意図しない限り赤司と顔を見合わせることはない。そして今、黒子は赤司の顔を見ないままに淡々と言葉を紡いだ。それに対して赤司の顔色を伺う気はない。怖いからとか、不躾だとは最初から解りきっているからという理由でもない。
 ――言葉なんて、届きやしないんですよ。
 言葉で疎通が叶う相手なら、黙って姿を消して決別する必要なんてなかったのだ。コート以外で向き合うことに理由はあっても成果はない。それを知っていても沈黙を選べないのは、赤司の隣を当たり前とは思えないからか。苦手ではない。緑間を以前苦手と口にしたことがあるが同じ様に赤司を形容しようとは微塵も思わない。
 黒子は赤司が好きだった。それは勿論友好の域をぐるぐると徘徊する程度の熱。彼から与えられた物を黒子は決して忘れてはいない。だが。自分が赤司に与えた物など全く思い浮かばなくて、それが酷く惨めなのだ。その上言葉まで届かないのなら何故こうして一緒にいるのか。存在していた筈の理由すらあっさりと見失ってしまうだろう。一方的に残酷な言葉を捲くし立てて、涙するのは自分の方だなんて虚しすぎる。だから黒子は、絶対に赤司の顔を見ない。引けない勝負の場にある意地が持ち込めない。黒子の赤司ひとりに伝えたいことなんて、勝敗を決する必要なんてないくらい簡単なことなのに。

「テツヤ?」
「…何でしょう」
「僕の好きな物を知りたいんだっけ?」
「ああ、はい。あるならば是非」
「端々で失礼だね。僕だって人間なんだから好き嫌いくらいあるよ」
「へえ、」

 人間ならばその通りだと頷く黒子を、赤司はよっこいしょと似合わない掛け声と同時に降ろした。そして両手で黒子の顔を挟み込んで固定する。じっと覗き込まれる瞳の色は昔と変わらず絶対的で揺らがない強さを宿している。逃げられないと悟るのは早く、目を逸らす疚しさはないからと黒子は真正面からその視線を受け止める。すると赤司は満足そうに小さく笑った。
 その微笑みが奇妙に思えてしまって、何故と理由を問おうと息を吸い込んだ口が、一瞬赤司の口で塞がれた。驚きで黒子が瞳を見開くのと、そんな彼の様子を目を細めて見つめる赤司の瞳が合わさったのもほんの瞬間的なこと。呆然と立ち竦む黒子を再び抱え上げて、赤司は楽しげにくるくると回ってみせる。

「僕はね、テツヤのことが好きなんだ」
「だからあんまりすげなく扱われると傷付いてしまうんだよ」
「ねえ、テツヤは随分僕を遠い存在みたいに捉えているみたいだけどそれは間違いだ」
「目を閉じて耳を塞いで俯いても無駄。僕がテツヤを見つけたその時から、全部が全部決定事項なんだ」
「拒まれるのに怯えて遠ざけるなんて愚かしいよ。テツヤの居場所は最初から僕の隣だけなんだからね」

 朗々と紡がれる言葉は、まるで呪文の様に黒子の内側に入り込んでくる。やがて赤司の言葉は鎖となって自分を縛るに違いない。本当に逃げ出すならばここが最後の正念場だとは本能が告げている。だが未だ赤司からのキスに惚けている黒子には抵抗という行為を選べない。
 発端が己の問い掛けであることまで理解して、黒子はああもう良いやと諦めた。友好の熱はきっと簡単に赤司の熱に呑まれて彼好みの色に染まっていくのだろう。それでも構わないと、黒子は届かないと諦めていた腕を赤司の首に回すことで応えた。まあ、赤司が黒子を隣に置くと決めた時点で選択肢なんて一つしかなかったということは、悔しいので目を伏せることにした。


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夢も恋も知らないで、ただ支配
Title by『≠エーテル』




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