休み時間の教室と、廊下にまで波及した喧騒に紛れる事もせず黒子は自分の席でただ読書に勤しんでいた。彼女の日課であり、好み心癒される時間なのである。だから、突然やって来た客人が目の前に立ち影を作りかつ手にしていた文庫本を取り上げた瞬間、黒子の感情の浮かびにくい表情にもありありと不快の色が宿った。

「…返して下さい」
「文字ばっかの本読んでて楽しいかよ?」
「文字があるから本と呼ぶんです」

 不遜な態度で、黒子の時間を壊したことになんの疑問も反省も抱かない様子の青峰に、黒子は眉を顰めて再度本を返すよう要求するがそれもまたなあなあで流されてしまう。はっきり言えば迷惑なのだ。しかし来ないで下さい、というのは流石に不躾で失礼だろう。そもそも、黒子には何故青峰が毎度毎度自分の前にこうして立って適当に話しかけて来るのか、その理由をまだ理解出来ていない。
 バスケ部で活躍しているという青峰はそれはもう背が高い。黒子の身長では立っていても見上げなければ彼の顔を見ることは出来ない。背が高いからバスケ部なのか、バスケ部だから背が高いのか。屁理屈だとは知りながら青峰に尋ねれば別に関係ないだろうという正論が返って来てやはりそうかと一人納得してみる。どちらにしろ、黒子からしたらえらく不便なものだ。

「本、返して下さい。ついでに、用が無いなら自分のクラスに帰って下さい」
「後半の方が本音じゃねえの?」
「全部本音です」
「そんなにこの本面白いのかよ」
「いいえ?それは私にはあまり面白いとは思えませんけど」

 それでも、それは私の物なのだから返して下さい。真っ直ぐ、青峰を見上げ、見詰める。その黒子の態度に何を感じたのか、青峰はつまんねえのに読むのかよ、と黒子の机に手にしていた彼女の文庫本を下ろす。その手の動きを追う様に彼女の視線が動いた瞬間、青峰の右手が黒子の顎を強引に掴んで下がりかけた顔を再び上に向かせる。

「…っ!?何ですか、一体」
「……怒らねえの?」
「怒らせたいんですか」
「別に、興味はあるけど」

 でも一番は泣かせてみてえ、とにやにや黒子を眺める青峰に、黒子はここは怒って彼の頬を殴るのが正しいのだろうかと他人事のように考える。青峰の性格が悪いだとか、鬼畜だとか、あり大抵の感情を、黒子も当然青峰に対して抱いている。もともと影の薄い自分に、わざわざちょっかいを出しに来る暇人だとも、失礼ながら思っている。だが何故か、屈伏だけは絶対にしたくないのだ。
 青峰は、きっと自分を嫌っていて、だからこうして幼稚な意地悪ばかりするのだ。黒子は青峰が自分に向けているであろう感情をこう分析している。他人に興味を示さない黒子には、この認識が精一杯だった。確か、このことをこの間桃井に打ち明けたら、彼女はにこにこと黒子の頭をなでながら微笑ましい物を見るような顔をしていた。違うのでしょうか、と首を傾げても誤魔化されるばかりで、結局正しい答えは受け取れなかった。

「俺、お前が好きなんだけど」
「………」
「何だよ?」
「……すいません、耳が壊れてしまったみたいで」
「んな訳ねーだろ」

 クラスの隅、未だ黒子の顎を捉えたままサラリと愛の告白をする青峰の神経を、黒子は今度こそ本気で疑った。もしかしてこれも、新手の嫌がらせかと勘ぐる程に疑った。それでも、真っすぐ自分を射抜く青峰の眼光が、いかに彼が本気かを物語っているようで、流石に黒子も脳内でもう一度青峰の言葉を繰り返して見る。
 好きなんだけど、好き、好きとは、果たして。読書は好むが生憎恋愛小説は読み込んでいない。しかも自分を恋愛的意味で好いて来る人間と遭遇したのも生まれて初めてだ。何より、青峰を、自分がどう思っているか考えたことなど、無いに等しい。無表情で、ぼんやりと真正面の青峰を眺め考え込む。青峰は気が長い方ではないから、急がなくてはと思うが答えはなかなか出せそうにない。

「…何か言えよ」
「…青峰君と付き合ったら…首が凝りそうですね」
「はあ?」
「見上げるのは…大変そうです」

 散々考え込んだ答えがこれだとは、自分でも情けない。頬を赤く染めて戸惑って見せればまだ可愛げがあったのかもしれないが今となってはもう遅い。青峰もなんじゃそりゃ、と呆れ顔だが直ぐに愉快そうにまた口端を引き上げた。瞬間、やばい、と黒子は本能的に察知するが生憎顎を青峰が掴んでいて引き下がれなかった。

「んっ!」

 触れるだけのキスに、黒子は身体を強張らせる。その様子をまた青峰は愉快そうに見ている。漸く解放されると黒子は手の甲で強く唇を拭う。嫌悪の前に不愉快が先立ってまた眉が寄ってしまうのが自分でもわかる。
 自分のペースを乱されるのは好きじゃない。特に、それを面白がられるのは嫌いだ。だから、青峰も嫌いなのだ。そう思いこもうとするもどうも本気で青峰を拒むことが出来ないこれまでの自分が思い出される。好悪の対象として相手を見ていなかったのかもしれない。けれど、ファーストキスを奪われたのだ。さすがに何らかの感情を抱かねばならない相手だろう。自分を乙女、と可愛らしく形容するつもりはないが、易々と唇を男に許すような安い女だともしたくない。
だから取り敢えず、青峰を無視して机に置かれた文庫本を手に取り、適当にぱらぱらと捲る。途端に不機嫌そうな気配を纏った青峰に、黒子は小さく微笑んだ。

「少なくとも、今は…こうして本を読んでる方が好きです」

 だから、もし私を好きだというのが本気なら、どうぞ、落として見せて下さい。挑発的な視線を受けて、青峰は今日一番の笑みで乗った、と呟いた。勝ち負けは簡単。黒子が青峰に惚れるか否か。教室の隅で落とされた火蓋の行方を、今はまだ誰も知らない。


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欲しがれません、勝つまでは



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