※帝光時代

 小さい頃から桃井はずっと思っていた。男の子だったらよかったのに、と。身長や歩幅も、声の高さも、連れ立つ友人も、一緒にいる時間が長くなればなるほどに遠く、違うものになって行く。桃井には、そんな幼馴染の、青峰の背中ばかり見るようになってから生まれた寂しさを、私が男の子だったらよかったのにと呪文のように繰り返すことで誤魔化そうと躍起になっていた。
 ずっと青峰が好きだった。それは、幼馴染故の気軽さで、きっと恋ではないのだろう。だけど、自分の初恋は父親や親戚のお兄さんなどではなく、青峰だったのだと、桃井は知っている。どの頃の、どの気持ちがそうだとははっきりとくり抜くことは出来なくとも、きっとそうなのだ。成長するにつれ、下世話な話を期待する周囲が欲しがっている話題と、自分の初恋の話題が見事にマッチしていることに気付いてからは、桃井はこの過去をひた隠しにして生きている。初恋は、誰かと披露しあって、その淡さや儚さに耽美なものとして価値を付加する必要などない。たったひとり、自分の胸の中で眠っていてくれればいい。一生起こすことがなくとも、決して消えはしないのだから。
 たった一本のラインを、女の自分ではどうあがいたって越えられないと気付いてしまってから、桃井は少しの諦めと意地を覚えた。ずっと男の子になりたくて、だけどなれない。心はいつだって女の自分に満足していて、ただボールを持ってコートの中に、桃井を振り返りもしないで入って行ってしまう青峰の背中を見送るときだけ、男の子だったらともしもをよぎらせて、コートのラインを踏まないようベンチに座り込む。
 マネージャーの仕事は、大変だけど、楽しかった。ありがちな感想を、桃井は躊躇なく一番の気持ちとして発する。自分にしか出来ないことを見つけて、身に付けた。それは、男の子になれない自分が、女の子のまま青峰の一番近くに居座る為の、手段と、結果だった。
 恋ではないと思う。だけど、男女の差など気にも留めずに一緒にいた時間が長過ぎた。青峰以外の人間と共に在った記憶もあまりない。いきなり離れ離れになんてなれるわけもなかった。桃井は普通の女の子だったから、寂しいという感情も普通に持っている。青峰と離れることは、寂しかった。
 青峰は、今では桃井を邪険に扱うことの方が多いのだけれど、昔はちっともそんなことはなかった。だからこそ、桃井が離れ難いと思うに至ったのであるが。そんなわけで、段々と男女の差を感じ始める小学校高学年辺りも勿論、性差をはっきり自覚して然るべき中学校に進んでも、青峰は桃井と自分が離れるなんてそんな男女の幼馴染には珍しくもないことを、微塵も疑わずに彼女に接し続けた。呼び名が、馴染んだ愛称から苗字に君付けなんて、余所余所しくなったことに最初は違和感を覚えた。だけど次第に慣れて、何も変わらないまま時間が過ぎて、少しずつ壊れ始めて、どこに引き返せば元通りになるのかわからないまま、振り返ることなどせずに突き進んで、大切な何かを見失った。それは、青峰であったり、きっと桃井も同じだった。


 黒子テツヤという人間を見つけた。青峰も、桃井も。黒子テツヤという人間が好きだった。青峰も、桃井も。ただ、桃井が黒子に向ける感情は恋だった。少なくとも桃井はそう自覚していて、青峰もふうん、と流してしまったけれど、そんなものかと受け入れた。ただ、肝心の想い人である黒子だけは、桃井のありったけの好意に礼を述べても、受け入れて同じ想いを彼女に向けて差し出すことはなかった。

「男の子だったらよかったのにって、思うことがよくあるの」
「桃井さんがですか?」
「そうだよ。そしたら私もみんなと一緒にバスケが出来るかも知れないじゃない?」
「……そうですね、」

 黒子が、一瞬返事に窮した理由を、聡い桃井は知っている。もしも、桃井が男の子で一緒にバスケが出来たとしても、それはきっと楽しいものなどではない。何もかもが、変わってしまった。桃井が気に掛け、追いかけ続けた青峰は、特に。こうして何気ない会話に興じることすら、今の青峰とは難しい。適当に流されてしまう自分の言葉を、桃井はどうしようもないのだと思うことにした。だって、自分は女の子だから。青峰の怠惰と退屈を消し去るようなバスケなど、自分には出来る筈もなかった。それこそ、男の子だったとしても不可能に近い。
 黒子は、桃井に優しかった。青峰が変わってしまってからは、とくにその傾向が顕著だったと思う。それは、一種の傷の舐め合いでしかなかった。黒子に恋をしている桃井には、それはぬるま湯でしかなくて、ともすれば残酷な勘違いを与えかねない行為だったけれど、桃井はそのあたり賢い女の子だったから、その線引きはしっかりと理解していた。昔から、見えない線引きにばかり拘って、ひとり孤独を生んでは耐えて来たのだと、桃井は自嘲する。線引きすら無意味に、もう背中すら遠い幼馴染は、こうして桃井が寂しさに震えていても、意識の端にすら自分を上らせずに惰眠を貪っているに違いない。

「…青峰君は、桃井さんが女の子でも、きっと最後まで一緒にいてくれますよ」
「それは私が追いかけるからだよ。青峰君は私のこともう何とも思ってないよ」
「じゃあ、言葉を変えます。最後まで、青峰君と一緒にいようと思えるのも、それが出来るのも、桃井さんだけですよ」

 追いかけてばかりはしんどいんだよ、と言い掛けて、やめた。追いかけてばかりなのは、きっと黒子も一緒だった。キセキなんて才能の塊の前に、黒子の才能なんて欠片にしか過ぎない。それでも、彼はどこまでもひたむきだった。同じ場所に立とうと、必死に足掻き続けた。心ばかりは、直面する現実に動かずにいることなんて出来ないまま、少しずつ離れて行ってしまったけれど。
 もう、現在とは変り過ぎて、昔と呼んだ方が適するほどに懐かしい時間を思い出して、桃井は鼻の奥がツンとする。見ているだけだった自分を、心底恨めしく思う。男の子だったら、男の子だったら、何度も繰り返して、ありえない夢想だと何度も現実と向き合って泣きたくなった。誰よりも当事者に近く、それでも傍観者だったから、変わらずにいられたというのなら、桃井はきっと、生まれて初めて自分が女の子で良かったと感じた。黒子のように、離れることを選ぶ必要もなく、まだ青峰のことを好きでいられる自分のことを、心底誇らしく思うのだ。
 女の子でよかった。恋でなくとも、一番大切な人のそばに居続けられることを、桃井は幸せと呼ぶのだから。


―――――――――――

ひとりぼっちの宇宙船とお魚たち
Title by『ダボスへ』






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -