とんでもないことだと、さっきから憤慨しきりの桃井を前に、黄瀬は取り敢えず彼女の前に置かれたまま手も口も着けられていないアイスコーヒーを凝視する。浮かんだ水滴はテーブルの上に少しずつ溜まっていく。グラスを伝って落ちていく水滴を見つめながら、涙みたいだと思って、折角部活もモデルの仕事もない休日に中学時代の同級生に呼び出されてまとまりのない愚痴に付き合わされている自分を省みたら、黄瀬もちょっとだけ泣きたくなった。
 桃井は、ずっと何かに憤慨しているのだが、その肝心の何かが黄瀬には伝わってこないのだ。有り得ないだとか頭おかしかったんだわだとか、譫言のようにぶつぶつと漏らす桃井は、午後のファミレスで見かけるには怖すぎる。
 そもそも、何故桃井の呼び出しに応じてしまったのか。黄瀬は根本的な部分を問いただし、数時間前の自分の言動を悔いる。寝起きだからといって、掛かってきた電話に相手も確認しないまま通話ボタンを押し適当に相槌を打っていたら自分の今日の予定はもう決まっていたのだ。自業自得と言われれば、それまでだった。

「桃っち、なんかあったんスか?」
「そう!聞いてよきーちゃん!もう有り得ないんだから!」
「俺の方は随分前から待ってたんスけど…」

 黄瀬のささやかな主張を、桃井は聞こえていないのか意味が分からないのか受け流す。黄瀬は割と、中学時代の面子にはこういう扱いを受けることが多い。いびられたと冗談めかして話したことはあるが、実際理不尽に虐げられていた部分もある。勿論、チームメイト、バスケ部レギュラーとしての揺るぎない地位があってこその戯れではあったろう。可哀想なポジションだと、自分では思う。黒子と桃井は、愛されポジションだと黄瀬の目を見ないで讃えてくれた。緑間は、一瞥もくれずに冷たかったし、紫原は興味なさげに菓子をむさぼっていたし、赤司は黄瀬をじっと見た後に将棋の駒を指で弾いた。ねえそれを俺に見立てたりしてないっスよね、と泣きつけば赤司は読めない笑みを残して去っていった。
 青峰は、どうだったか――。思い出そうとして、今目の前にいる桃井が憤慨している理由が、なんとなく青峰にあるような気がして、黄瀬はやっぱり逃げたくなる。
 青峰は、今では随分とスレてしまっている。なんともやるせないと思う半分、ちっとも損なわれないバスケの実力を見ればまあ問題ないだろうと思ってしまう黄瀬は、きっと桃井ばかりを擁護してやれないのだ。どんなに青峰が自己中心的な振る舞いで周囲に迷惑を掛けたとしてもだ。
 青峰のバスケに憧れて彼と知り合った黄瀬は、やはり青峰のバスケにばかり目が行く。いつかは越えてやると決めているが、今現在の実力差を素直に受け止めている部分もある。青峰は決して正しくない。しかし間違ってるわけでもない。黄瀬はそう思う。

「これ、見て!」
「えー、アルバム?」
「幼稚園の卒園アルバム、私と青峰君、幼稚園から一緒だから」

 ああ、やっぱり青峰が関係しているのだ。確信して、目の前に置かれたアルバムを手に厚いページを捲っていく。組ごとのページでは園児ひとりひとりの写真が並んでいて、青峰も桃井も簡単に見つけることが出来た。
 青峰が幼稚園の頃から既に黒かったり、バスケットボールを持っていたりと、新しいようでいて想像の範囲内の過去を知る。桃井も桃井で、今へと繋がる面影を多分に残していた。大半が、青峰と桃井は一緒に写っていて、仲良かったんスね、と当たり障りのない言葉を紡ごうと顔をあげて、停止する。
 黄瀬は、直感した。今この場で青峰と桃井の仲を褒める言葉を吐けば間違いなく彼女の機嫌を損ねると。当たるし障るしの最悪な言葉を後少しで口にするところだった。黄瀬はほっとして自分の分のドリンクを一口だけ飲んだ。

「…このアルバムがどうかしたんスか?」
「写真じゃないの!一番後ろ!」
「後ろぉ?」

 だったら最初から一番後ろを開いて渡してくれれば良かったのに。もう本日何度目か分からない、言葉に出来ない不満を内心で浮かべながらアルバムのページを一気に捲る。
 そこにはコピーされた紙が一枚貼り付けられていて、「将来の夢」と題され恐らく同じ組のメンバー全員の夢が下手くそな字で綴られている。名簿順らしく、青峰の欄は直ぐに見つけられた。バスケットの人と歪に書き殴られているのを見て、不覚にも黄瀬は吹き出しそうになる。幼かった青峰には、バスケが出来てさえいれば良かったのか、プロというものにまで発想が及ばなかったのかもしれない。
 次に桃井の欄を探せばかなり後ろ、用紙の下の方に彼女の名があった。青峰よりはだいぶましだが、それでもやはり子どもらしい拙い字で書かれていた、彼女の夢とは。

「…大ちゃんのお嫁さんって…何スか?」
「信じられないと思わない!?」
「いや、大ちゃんって誰」
「あのガン黒に決まってるじゃない!」
「…え、桃っち青峰っちのお嫁さんになりたかったんスか?」
「知らないわよ!」

 今すぐ幼稚園児の自分の目を覚まさしてあげたいと、桃井は嘆く。
 休日を利用してクローゼットの中を整理していたところ、懐かしい幼稚園時代のアルバムを見つけてうっかり中を開いてしまったからさあ大変。全く記憶に残っていない過去の自分が描いた夢にただただ絶句する。最初は、あの頃の青峰君は優しくて格好良かったものと納得もしていた。だがそれと比例して、最近の青峰君ときたら…、と日頃の鬱憤が次々と湧き上がってきてひとりでは収集がつかなくなってしまったのだ。
 あまり他人に迷惑を掛けてはいけないと頭では分かっていても、これはもう愚痴を誰かに聞いて貰わなくては気が済まなかった。そして、何となく黄瀬を選んだ。中学時代の面子で選ぶなら、実際は黄瀬一択である。理由は、上手く説明出来ないけれど、中学時代の彼が受けていた扱いとか、言い合いであまり相手を叩けない性格だとか、それなりに、他人に心の窓を開けているから、だと思う。都合が良いなんてことは、きっとない。

「なんでテツ君のお嫁さんって書いてないの私―!」
「いやいやまだこの頃の桃っちは黒子っちに出会ってないし…!」
「正論はあっち行ってー!」

 今日の桃井は声を荒げてばかりだ。ふと近くを通りかかった店員を見るとやはり困ったような顔をしていた。休日の昼間から酒も入っていないのに騒いでいる客に、声を掛けようか迷っているのだろう。これ以上面倒なことにならないようにと、黄瀬はその店員が女性だったのを良いことにモデルの撮影で鍛えた営業スマイルで懐柔しこの場から遠ざけた。黒子や緑間がいたら、きっと蔑まれるに違いない。
 未だにぶつぶつと不満を連ねている桃井に、黄瀬は取り敢えず、目の前にあるアイスコーヒーだけでもさっさと飲み干して欲しかった。きっとこの場は、自分が支払うことになるのだろう。それはまあ、構わない。
 だけど、折角の休日に呼び出されて、散々愚痴をこぼされた挙げ句、結局はそれはのろけとどう違うんだという結論に落ち着いたときの精神的疲労感はハンパない。
 やっぱり、自分は可哀想なポジションの人間だ。嘆いていると、不意に愛されポジションですよ、と囁かれた記憶が蘇った。けれど、そんな訳がないだろうと、黄瀬は力なく首を振った。

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心で繋ぐ光ファイバー
Title by『ダボスへ』






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