困った人だ。黒子は最近、恋人である氷室についてこんなことばかり思う。仮にも恋人だから、勿論先立つ好意があってこその主観なのだけれど、困ってはいても、冗談でも嫌いになりますよと言えない自分が情けない。言葉にしても、どうせ嫌いになれるのかと愉快そうに笑みを深めて返されるのがオチだ。悔しいが、黒子は心底氷室に惚れ込んでいた。
 氷室はその風貌や物腰一見穏やかな人間のように映る。彼もたぶん、意識してそう映るよう振る舞っているのだろう。分かる人には分かってしまうそれは、黒子には初対面の時から何となく気付いていた。黒子もまた、他人の前の偽りを苦としないタイプだったからかもしれない。ただ彼女の場合、皮を被るのではなく姿そのまま隠れてしまう。誤解も曲解も構わない。人任せにのらりくらりと生きてきた。存在感が薄いことは社会に生きる上では不便だが、個人として生きるにはなかなか便利な機能だった。
 兎に角、黒子はそんなだったから、正直氷室のことなどどうでも良かった。浮かべた笑顔には、いつもの無表情で淡々と応じた。黒子と氷室の初めての邂逅は、これだけだった。本当にこれだけだったのに、氷室はこの時黒子を好きになったのだと言う。黒子には、理解できなかった。彼と付き合いの長い火神だけは、特徴的な眉をしかめながらあーだのうーだの唸りながらまじまじと黒子を眺め、言った。

「タツヤは、変なのが好きだ」

 成程、と黒子は取り敢えず火神の腹にグーで一発叩き込んだ。ぐお、と情けない悲鳴を零してうずくまる火神に目もくれず、今度はぺたぺたと自分の顔、上体、脚を触り確認する。変なのとは、何だ。
 黒子は、平均的な女の子だった。成績も、生活態度も、趣味趣向も。容姿は、人によって違うだろうが、彼女を可愛いと称する人間もいたりする。好みばかりは、平均で割り出せるものではない。総じて黒子は平凡だった。平均以下なのは胸と存在感だけである。黒子はナルシストではないので、そんな自分に満足して賞賛したりはしないけれど、自分を卑下して他人を羨んだりはしなかった。もし彼女が他人を羨むとしたら、それはバスケの試合を見てる時に男になりたいと思った時だけである。桃井の胸を羨んだことも、ない。
 氷室が黒子を好きになった理由は本人の内側に秘められたまま、あれよあれよという間に二人は恋人同士になっていた。他人に流されることに抵抗しない黒子は、氷室に流されるだけ流されて彼に恋する乙女になっていた。不思議なこともあるものだと首を傾げる黒子に火神は哀れんだ視線を向けてくるから、かかとで彼の臑を蹴飛ばしてやった。またも情けなくうずくまる火神の隣に立ちながら、前方で氷室が手を振っているのが見えたから、火神を放置して彼の方へ小走りで向かう。やはり自分は氷室が好きなのだろう、黒子はそう結論付けで、氷室の彼女になった。


 困った人だ。黒子は氷室に対してそう思う。困っているのは、黒子の方だったけれど。
 氷室は、好きな人を困らせるのが好きだった。もっと正確には、好きな人の困っている顔を見るのが好きだった。そんなだから、氷室はよく黒子を困らせようと意地悪をする。
 黒子に用事がある時ばかり構ってと寄ってきたり、読書中に後ろから彼女を抱え込むように座ったまま放さなかったり、そのまま肩にぐりぐりと頭を押し付けてきたり、真正面から抱き締めたきり動かなくなったりと、淡白な人付き合いしかしてこなかった黒子には、些かリアクションに困ることばかりけしかけてくるのだ。
 氷室の彼女になったからといって、黒子の内面に劇的な変化があった訳ではない。基本的に他人に無関心を貫く彼女は、困ったような表情は見せれどそれだけだった。氷室の可笑しな趣向の改善を求めることはしなかった。昔からこうならば仕方ないと、試す前から妥協していたのである。

「…楽しいですか?」
「まあね、」

 妥協は割と得意だけれど、流石にこれはどいかと思う。自分の体をまさぐっている男を、黒子は困惑よりも呆れを浮かべた顔で見つめる。氷室はやたら楽しそうだ。
 制服の上着の中に手を突っ込んで脇腹を撫でたり、スカートの中にも手を突っ込んで太股を撫でたり、服の上からだったり、色々。セクハラだと思うが自分達は恋人同士であるから、これは普通の行為だろうかと傾いて、やはり違うような気がする。肌は触っても下着に手を掛けてこない辺り、愛の秘めごととは程遠い。甘い空気とはどんなものか、生憎、黒子にはよく分からなかった。
 氷室の手つきは、触る場所は悉く際どいのにいやらしい印象は受けない。得なことだ。

「氷室さん、これは困ると言うより怖いです」

 氷室にされるがままで暇だったので、何となく本音を零してみる。
 このまま流されて対した心の準備も出来ないまま貞操を失うことも怖い。氷室に、そういう性の対象として見られないでいることも怖い。
 涙は流れないけれど、黒子が寂しそうな顔をしたから、氷室は彼女のスカートに突っ込んでいた手をどけて自分よりだいぶ小柄な恋人を抱き締める。黒子は、身じろぎひとつしなかった。
 氷室は黒子の困った顔を見るのが好きだったけれど、こうして彼女を抱き締めていることも好きだった。抵抗しない彼女を、氷室は支配欲と独占欲を合わせて薄めた気持ちを抱えながら離せないと気付く。

「触れるの、嫌い?」
「あんまり他人にべたべた触られたことないので苦手です」
「そっか」

 苦手の言葉に満足気に微笑む氷室に、黒子はやはり困った人だと息を吐く。氷室のことは好きだけど意地悪は好きじゃない。
 氷室は、黒子があまり触られたことがないと言ったことに気を良くしていたのだけれど、腕の中にいる黒子が小さく息を吐いたのに、これは何か勘違いをしているなあと気付く。だがわざわざ尋ねたり訂正も加えない。むむ、と困ったように眉を寄せる黒子が、氷室には可愛くて仕方ないのだ。


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言葉の通じないトーク・トゥ・ヒム
Title by『ダボスへ』






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