伊月がたまたま日向とリコの教室で彼等と昼食を共にしていた時のこと。クラスメイトの、課題プリントを早く提出するようにとの呼び掛けに、日向はマズい、と言いたげな表情で反応した。リコはもうとっくに提出済みのようで、クラスメイトの声には何の反応もなく昼食の菓子パンの袋を開いていた。
 日向は小さく詫びを入れるとガタガタと立ち上がり一度自分の席に戻り引き出しを漁って目当てのプリントを提出すべく教壇に立つクラスメイトに慌てて駆け寄る。日向からプリントを受け取ったクラスメイトは女子生徒で、苦笑しながら謝る日向にあちらも苦笑で以て返していた。だが提出は遅くともしっかりと課題をこなしていたことに満足したのか、直ぐに微笑み日向と談笑に興じ始めた。元は控え目なタイプなのか、話し声は小さく伊月とリコの耳には二人の会話は届かない。盗み聞くつもりとて当然ないのだが、無関心でも居られない。自分の前にある空席の主を放って食事に集中出来るほど、伊月はこの教室に馴染んでいないのだ。

「あの子、日向君のこと好きなのよ」

 一瞥もくれず、菓子パンに噛みつきながらリコが呟く。僅かに皺の寄った眉間からは、彼女が内心面白くないと感じていることがありありと伝わってきて、伊月はなるほど、とひとり納得する。我らがキャプテンは、いつの間にか随分と罪な男になっていたようだ。
 リコがあの子、と呼んだ少女を、伊月は知らない。だから、あくまで客観的に見たままの印象を述べるならばまあ可愛い部類だろう。嬉しそうに微笑んで、日向と話し込んでいる彼女の頬はうっすら色づいていて、リコの言葉はまず外れではない。だが肝心の日向の態度はいつも通り、友人のひとりに接するものでしかない。それなりに日向と付き合いの長い伊月だから、目も合ったことのない名すら知らない女子生徒に若干の申し訳なさを覚えながらも内心でばっさり断じた。見込みないよ、と。尤も、日向の態度など確認するまでもないのだと、伊月は黙々とパンの咀嚼に集中しようと躍起になっているリコに目を向ける。この障壁は越えられまい。日向にとってはゴールだが。わかりやすいものだと伊月は思っていて、たぶん同学年の部活仲間ならほぼ全員。一年ならまあ黒子あたりが気付いているだろう。見て明らかに相愛な関係にある日向とリコは、何故かお互いが全く幸せな結末に気付かないと云う塩梅だった。急かすようなことでもないだろうから、誰も二人の背を押したりはしないけれど、見てる限り平行線で、だからこそ順調とも言えた。

「嫌なら言えば良いのに」
「なんて?彼女でもないのに?」
「じゃあ日向に好きだって言うとか」
「無理!」

 照れてるのか意固地なのか、或いはその両方とも取れる様子で、リコはもう残り少ない菓子パンにかぶりつく。伊月はあっそう、ともとより期待してないと言いたげにぼんやりと日向の方向に顔だけ向ける。視界の中央に居座りながらもピントを定めないが故ぼんやりとしか映らない日向とその他。どうでもいい会話の筈なのに、また随分と長い。
 日向もリコも真面目過ぎる。伊月はいつまでも進まない二人を括ってこう評した。キャプテンだとか、監督だとか、そんなに拘る箇所でもなかろうにと少しだけ呆れる。呼び名だって、ちょっと前は当たり前のように軽々しく「リコ」と呼んでいたのに。役職名で呼ぶことはある意味彼女だけの特別かもしれないがバスケ部全員が用いる呼称だ。直ぐに慣れて記号のように凡庸化するのがオチだ。現に、リコは日向に名前で呼ばれる女子全般を羨ましいと思っているのだから。空気の読めない、日向とリコをバスケ部に引っ張り込んだ張本人だけは未だに彼女を名前で呼んでいる。実は、日向はそれが気に掛かっていて時に無性に腹が立つ時がある。伊月は当たり前のようにそれを承知していて、何も言わない。たぶん、木吉も二人の気持ちに全くの無知と云う訳ではないだろう。興味と関係がないから、気遣いすら出来ないだけで。
 とにかく、本人達の自覚も周囲の察知も十分なのに然るべきステップアップを踏まない二人に、伊月はもうだいぶ巻き込まれてきた。だから、だいぶ前から、もうそろそろ良いんじゃないかと思うのだ。恋人になったからといって、二人の中のバスケの優先順位が下がるとも思えない。クラスメイトの女子が話し掛けたくらいで機嫌を損ねるリコは、たぶん他の誰が見たって日向の傍にばかりいるのだし。
 漸く戻ってきた日向は、椅子に座ると自分の昼食であるパンを手に取って封を切る。同時に机の上をじっと見る日向に、リコは素っ気なくジャムパンならもう食べちゃったわよと呟いた。どうやら、先ほどまでリコが食べていたパンは、日向が用意したものだったらしい。

「ああ良いよ。お前が食べると思って買ってきた奴だし」
「じゃあ何で探してたの?」
「いやまさか黙って食べるとは思わなかったわ」
「日向君がいちゃいちゃ談笑してる間、暇だったんだもの」
「何の話だよそれ」

 目の前で始まった痴話喧嘩には我関せず。伊月は漸く止まっていた自身の昼食を食べる手をせっせと動かす。何も言わない日向の視線だけでその意図を言い当てるリコもそうだけれど、頼まれもしない彼女の好きなパンを購入している日向といい、伊月はやっぱりそろそろ良いんじゃないかと心の中で繰り返す。たぶんだけれど、たいして親しくない連中の内には、この二人は既に付き合っていると勘違いしている輩もいるに違いない。だって、そう考えると、伊月が凄く邪魔者みたいに見えるから、たまにこの教室に来るとちくちく突き刺さる視線は、カップルに引っ付く人間への好奇心と邪険から来ているのだろう。カップルじゃないし、迷惑だし、寧ろフォローしてやってるのはこっちなんだぞと言いたいことは沢山あるのだけれど。取り敢えず、未だ続く痴話喧嘩を本音混じりにひやかして止めてやらなければならない。他人がいちゃついている様子を至近距離で眺めながらひとり取る昼食は、やっぱりちっとも美味しくないのだから。



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誰かの色恋顛末記
Title by『にやり』






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