デカくなったもんだとその人は笑った。だから笑いかえしたつもりだった。きっと、力なく、くたびれた笑みであろうことはわかっていたけれども。
 ウルフ・エニアクルという人間のことをアセムが思い返すとしたら、いつも一抹の後悔と、決意を持ってその回想を締め括らなければならなかった。そういう別れ方と、慕い方をした人だった。

「元気にやってるか」
「まあ、外道に落ちましたが元気ではありますよ」
「ん?ヴェイガンにでも寝返ったか?」
「いえ、家族にも連絡を取らずに宇宙海賊です」
「はは、それで外道とは相変わらず良い子ちゃんだねえお前は」
「そうでしょうか」

 こんな堅苦しい敬語を使うのは随分と久しぶりで、アセムは大してきつくもない首元のスカーフを緩める素振りをした。腰に手を当てて豪快に笑うウルフは、アセムの現在を疑っているわけでもなく純粋にそれくらいのことでしょげた顔をするなと言っている。
 良い子ちゃん、という言葉の意味をアセムは、彼を表現する言葉としてどのような思い出を含意しているのか測りかねた。現在進行形で、18歳のアセムはウルフの手を散々煩わせていることだろう。そしてやがては命すら奪うことになるのだから救えない。結果として至るスーパーパイロットの名を最も轟かせるべきだった人物は、こうして目の前にいる彼だったというのに。
 目まぐるしい日々だった。劣等感と焦燥感、敗北の恐怖と大切な人たちの視線が徐々に自分から外されていく疎外感は徐々にアセム・アスノを壊して行った。救ってくれたのはウルフだった。何度も手を差し伸べてくれた。その手を毎度掴みながら、壁を登りきれなかった己を恥じた。取り返しのつかない対価で以てしか目を覚ますことのできなかった幼さを、キャプテン・アッシュと名乗る自分は果たして捨て切れているのか、教え導いてくれる人はもう誰もいなかった。
 けれど、スーパーパイロットの名に恥じぬその腕前だけは慢心ではなく身に付いたものだと誇りたい。「ひょっとしたら貴方を技量だけならば超えてしまったかもしれませんね」とけしかけてみる。調子に乗るなよと叱って欲しかった。最後に貰った言葉は、アセムにそれを願っていたけれど、応えたいと思ってはいるけれど。優しい先人を理想としていつまでも掲げておきたい弱さは、彼の中に時折顔を覗かせる。例えば、いつかまたあの親友とだって手を握り合えるのではないかと淡い幻想に過去を照らすような、弱さ。誰かはそれをアセムのかけがえのない優しさという美点だと褒めてくれるけれど。
 アセムの軽口に、ウルフはただ「まあお前ならいつかは超えるだろうよ」と、さして悔しさも感じさせない、そんなことはとっくに知っているよという体で答えた。目を向いたのはアセムの方で、当時貰った言葉に込められた期待がどこまでも本音であったことを知る。嘘だとは思っていなかった、ただ気負うなという気遣いの延長でもおかしくはなかった。それが子どもを戦場に駆り出さなければならない大人の義務の一種なのではと思っていた。そしてそれを残酷とも思わず、素直にそこにある想いを受け取ることがアセムには出来たから、さして問題でもなかった。

「ウルフ隊長」
「ん?お前はもう俺の部下じゃないんだろ?」
「まあそうですけど、それ以外に呼び方を知らないんです」
「あー?まあそうだな」
「俺は、父さんみたいにはなれませんでしたよ」
「お前なあ、」
「大人にすらなれなかったのかもしれません」

 挙句、数々の虚妄で固めた理想の息子にはなれなくとも構わないとして、父親を理解することもできず人の親になりその子が生まれてきた日に手放してしまった。妻も、息子も、家族を。
 後悔と呼べるほど、事が片付いていないから、愚痴にもなりやしない。ただ、キャプテン・アッシュなんて、そんな仮面はウルフからすれば弱さ以外何と呼べるものか、軽蔑されることが怖くて先に吐露してしまいたくなったのかもしれない。それでも、自分で考えて決めたことだからと、それだけが、あの戦場でアセムがウルフから受け継いだ魂の進んだ結果だったから。彼の背に憧れて纏った白を今は黒に変えて、中途半端な灰色は過去を持たない。

「――アセム」
「……はい」
「お前は何だ?」
「俺は――貴方の部下だった、フリット・アスノの息子だった、そして何より――貴方を超える、スーパーパイロットです」
「よし、なら大丈夫だろ」
「はい」

 ウルフの死後追い越した身長は、こうして向き合えば彼の器に惹かれて何の効果も持たずアセムを18歳の少年に戻していた。今の己の技量が、この頃の自分に備わっていてくれたらどれだけ素晴らしかったことだろう。それは未来に辿り着いたからこそ思う取り留めのない妄想だ。見つめるべき方向はそちらではない。

「じゃあな。俺も忙しいんだよ。お前の面倒も見なきゃいけなくてよ」
「はは、まあ可愛がってやってください」
「言うねえ、ま、しっかりな」
「はい。ありがとうございました」
「何の礼だそりゃあ」

 苦笑して、ウルフは背を向け手を振りながら去っていく。きっと、拘束室送りにでもなっているか医務室送りになっている、どちらにせよろくでもない自分を迎えに行ってくれるのだろう。
 ――貴方のような大人になりたかった。
 伝えて見たかった言葉。けれど答えはどうせそれだけはやめておけと言われるだけだとわかりきっていたから、やめた。だから代わりに、謝意を告げた。それはきっとこの先どれだけ心の中で唱えても足りないほどの言葉だから。今のアセムにはもう、直接顔を合わせて告げることの叶わない言葉だから。
 ウルフから貰った力で、せめて自分の大切なものだけは守り抜いてみせると誓った、その覚悟をくれた、その礼をキャプテン・アッシュとしてではなくアセム・アスノとして、最後にもう一度去りゆく白い背中に向けて呟いた。



良識的な殺人者で在り続けたかった
title by『告別』
20130411



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