目の前にいる少女が自分の母親だとは、18歳のアセムには俄かに信じがたいことだった。見覚えのあるディーヴァ艦内は、アセムが慣れ親しんだ光景よりもまだ真新しさを残している。エミリーは彼の隣でしきりにフリットへの文句を零しながらランドリーワゴンを押す。14歳の彼女はアセムよりも頭一つ分以上小さい。

「フリットったらまたガンダムの調整に夢中になって夜更かししちゃって!お風呂にも入ってないし、夕ご飯もまともに食べないなんて身体に悪いわ」
「――まあ、パイロットは食べられる時に食べておかないといけないって俺も教わったし…」
「そういう問題じゃないわ!パイロットでなくても食事と睡眠はしっかり取らなきゃダメなの!」
「はい!」
「あ…ごめんなさい、私つい…」
「いや、俺の方こそごめん」

 4つも年下の少女に怒鳴られて、アセムはびくりと居住まいを正した。その反応に、エミリーが予想外だと謝罪してきたものだから二人の間には気まずい沈黙が流れる。
 どうやら14歳の、まだ少女のエミリーは、フリットがガンダムのパイロットとして戦場に馳せることに心底不満があるようだ。子どものすることじゃあないでしょうと、純粋な心配から、愛する少年の真っ直ぐな意思をどうにかへし折ろうとしている。それは邪悪なことではなく、確かに愛情であったのだろう。しかしその願いが及ばず、心の在り方を変えたのはエミリーの方であることをアセムは知っている。
 優しく見送る母の姿だけを知っていた。心配はあったことだろう。しかしフリット同様、エミリーもやがて優秀なコンピューター技術者として父の行く道を支えている。穏やかに微笑むばかりの母親を思い出しては、となりで感情の起伏に逆らわず頬を膨らませる少女をどう扱ったものか、アセムにはわからなかった。何より幼馴染だという少女に、生活態度に口を出されるほど無頓着に振舞う少年姿の父親というものもアセムを大いに混乱させていた。

「――アセムさんもパイロットなんですか?」
「ああ、一応」
「ご家族は反対されなかったんですか?…その、パイロットっていうか、軍人になること」
「特には。こんなご時世だから、仕方ないし、年齢的にももう大人扱いで――だから、」
「子どもですよ。18歳なんて、私と4つしか違わないじゃないですか」
「――うん」

 アセムは肩を落とす。無邪気な正論は、子どもの癇癪よりも鎮めるのが難しい。曇りのない瞳は、あの日、ディーヴァに乗り込むアセムを抱き締めてくれた母親のものと変わらない。子どもが戦争をするのはおかしいことだと真っ向から想いを謳い、しかし彼女は誰かが戦ってくれなければ死んでいくしかない自身を知っている。
 18歳はもう大人。それは一丁前な自尊心を語ったものではなく、この先激化の一途を辿る戦争を背景に、フリットを初めとする大人たちが法律として定めた事実であった。そしてアセムが軍人になるであろうことは、フリットの息子として生まれ落ちた瞬間にきっと決まっていた現実であった。それを、反抗心に変える前にアセムは父の偉大さを目にしてきた。その偉大さがどこまでも無私として人々を守る誉れ高いものと教え込まれ、抗うことは自分が如何に人として低俗かを想像で理解し、何の不正のない家庭で育ったアセムはどこまでも“良い子”であった。それはきっと、子育てとしては大成功といって差し支えないだろう。エミリーはアセムにとって良き母だった。その認識は変わらない。
 けれどきっと、今はフリットがガンダムに乗ることを憂いている少女も。アセムを産み、その手に抱いたとききっと予感したはずなのだ。この赤子もいずれ戦場に向かうであろうことを。腰の重い連邦の上役をフリットが排除できていたとしても、それは時間の問題だった。諦観は無気力とはならなかった、それだけが救いで、アセムを今日まで生かしながらも苦しめている。

「――二人とも、凄いと思うよ」
「……二人?」
「君と、その、幼馴染の彼」
「フリット」
「うん、そう、彼」

 アセムは決してエミリーの前でフリットの名前は呼ばなかった。最後まで、きっと呼ばない。そもそも顔を付き合せたり、それすら一抹の恐怖が過ぎり足が竦んだ。14歳男子の平均身長より幾分小柄な、エミリーから言わせれば不摂生な、ガンダムの設計、開発に忙殺された少年の背中すら、アセムには遠く、また偉大だった。彼が14歳だった頃、トルディアの平和を脅かすものは何もなかった。周囲の偏見に近いアスノ家に対する賞賛と期待と媚びに辟易しながらも、アセムは不安や恐怖からは遠い場所で健やかに育っていた。

「――フリットのこと、凄いって思うんですか?」
「そりゃあ、だって、そうだろう?」
「そうですけど、でも子どもなのに、そう言われると引っ込みつかないじゃないですか」
「引っ込みって?」
「凄いって評価が当たり前になったら、フリットはずっとガンダムから離れられないじゃないですか」
「それは――」
「フリットが自分で選んでしまうことだってわかってますよ。わかってますけど、戦争なんて――」

 ああ、それでも。アセムはやるせなさに瞳を細め、エミリーの震える肩を支えてやれない。今のアセムは、フリットがガンダムに乗り込むことに何の疑問も抱けなかった。彼がいずれ背負う偉大さは、アセムの首を絞める毒にもなる。だが幼い母と声を揃えてフリットを引き留められるほど、彼はまだ父親という存在の脆さを理解していなかった。完璧の連続だけ、それだけがアセムの中のフリットの映像だった。
 それでも、14歳のエミリーがフリットの身を案じているように、母となった彼女が自分の身を案じてくれていることも偽りのない真実であろうから、幼く、現実にそぐわない、恋情故の、初めからフリットが足を着けてはいなかった平和への回帰を願う言葉も、きっとどうしようもなく正しい意見だったのだと、アセムは思うことにした。
 たとえそれが、いつか向かう場所を変えたとしても、想う先にいる少年は、いつまでも変わることはないのだから。



正しい道は選べない
Title by『告別』
20130408

prev next


第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -