その子どもは泣いていた。その日は少年の、フリット・アスノの7歳の誕生日だったと聞いている。家を、友人を、母を焼かれ殺された少年の涙に濡れた瞳が、当時正体不明の敵であった機体を睨みつける姿を、キャプテン・アッシュは手を加えることも許されずに呆然と眺めていた。
 燃えかすの灰をその名に頂いたアッシュは、しかし遥か遠く過去の幼い父親こそこの時燃えて灰になってしまうべきだったと、無慈悲なことを思った。彼は希望を生み出したのかもしれない。14歳という若さで、戦場を一変させるほどの暴力、希望、そして絶望を知った。

「――僕は救世主になる」

 そんな言葉を、どこから見つけて来たのか、アッシュにはわからない。フリットの母親の遺言ともなった成すべきこととは果たして何であったのか、それも今となってはわからない。だが、ガンダムを作り上げて、戦場に飛び込みなさいと願ったわけではないだろうにと、アッシュはたった一度抱いた我が子の柔らかさと、温かさを思い出しては悲痛を噛み殺す。自分が良き父でないことを知りながら、親の目線でフリットの不幸を証明しようとすることは傲慢というものだった。

「――貴方は?」
「キャプテン・アッシュだ」
「キャプテン?」
「宇宙海賊なものでな」

 宇宙海賊、その響きにフリットの幼い相貌に不審の色が宿る。純粋な、善と悪の分離を信じる少年の、目の前にいる男が悪なのではという懐疑がそこにある。アッシュはその認識を正そうとは思わない。7歳の少年を相手にしているとはいえ、フリット・アスノという人間の頑なな心を動かすには、彼はもう諦めを覚えて姿を眩ませた、大人になりきれない、道化だった。
 正しさだけでは変えられない世界がある。フリットはアッシュにそれを示し、ガンダムと共に来てくれると信じていた。どれだけの人間をギロチンに送り、平和的対話への道を閉ざし、戦い続ければ、殲滅というどうしようもない血に塗れた出口へ辿り着けると信じていた。そんな修羅に、我が子と共に赴こうとした。その残酷さを、7歳のフリットは知らないのだ。

「――ひとりになったのか」
「……あいつらが殺したんだ」

 苦々しく、だがフリットはもう涙を煤に汚れた袖口で拭うとそれ以上は泣かなかった。炎の中、喉がひりひりと痛むくけれど、潤いなど求めはしなかった。彼は刻む、その小さな身体に、この日、ただ無力だった自分と、託された遺産と、辿り着くべき強さへの意志を。
 当時まだヴェイガンという名を知らない地球圏の人々は、このオーヴァンの陥落をどう捉えたのだろう。恐れに震えながら、また暫しの間止んだ攻撃に気を緩めてしまったのであろうか。そうでなければ、フリットだけが、使命感にいきり立って戦場に立つ必要などなかったはずなのに。だが実際にフリットを戦場へと導いたのは、彼の言葉に理解を示した大人たちの加担が大きいということも、事実だった。
 次に切り替わった光景は、恐らくオーヴァンの宇宙港と思しき場所だった。コロニーの機能がほぼ崩壊したこの場所から、生き残った数少ない人々を他コロニーへ移住させる船が数隻、慌ただしく準備を急ぐ連邦の人間も数多く見受けられる。そんな、突然の変化と漂流に戸惑い惑う人々を、フリットはどこか冷めた目で見つめながら立っていた。アッシュはそんな彼の隣に立っている。炎に焼かれた温もりの記憶を、冷徹な決意で塗り固めた少年は、一切の迷いもなく、彼を子どもとしてではなくアスノ家のモビルスーツ鍛冶として受け入れを申し出たブルーザーに応え、ノーラへ旅立とうとしていた。フリットはもう、有り触れた一生をなぞる人生を大きく外れてしまっている。

「貴方はここで何をしているんですか?」

 虚空に視線を彷徨わせたまま、フリットはアッシュに問うた。今や少年にとっての悪はUEであり、宇宙海賊という彼の前で悪事を晒さないアッシュは取り立てて騒ぐ必要のない些事に落ち着いたらしい。優先順位を正しく割り振る子どもは、確かに賢いのだろう。だがそれは、アッシュには子どもらしくは映らない。

「新天地へ赴くんだろう?見送りくらいしてやろうかと思ってな」
「頼んでいません」
「だろうな」
「必要もありません」
「こういうことは、頼まれたからするものじゃない。本当に大切な人の為に何かをしたいと思うことは、理屈とか義務とか、そういう小賢しい取捨選択を後回しにしても身体が動くものだ」
「――はあ、」
「あんたは、想われる側なんだろうがな」

 大人げないのは、アッシュの方だった。父親にわかって貰えなかった子どもの理屈は、歪んだ気持ちを抱えていた少年だった頃のアッシュより幼い父親を前にしても伝わらない。これが、二人の、父子としてあまりに通じ合うことのなかった始まりよりもずっと前の別れ。
 感情から生まれる衝動を、フリットは決して褒めないのだろう。いつかガンダムに乗り込むことになる少年が、その動機が間違いなく非常時の衝動であったとしても。やがてその継続を自らの意思で選択し、戻れない道を歩き始めるフリットは、どこまでも大人のフリをして、完璧の皮を被って、アッシュに血の呪いを繋ぐ。
 船に乗り込むよう号令が掛かる。フリットは歩き出す。アッシュの方を振り返ることもしない。だからアッシュも餞別の言葉を掛けない。いずれ出会う、親子の別れだった。
 見送る背中は、物心ついた頃からアッシュが追い続けた背中よりも小さく、救世主と謳うにはあまりに脆弱に映った。それでもきっと、キャプテン・アッシュという仮面を被る自分よりはずっと逞しい背中なのだと、彼は7歳の父に背中を向けた。


誰がヒーローを殺したの?
title by『告別』
20130408

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