堂々と往来を闊歩する。すれ違う人と肩がぶつからぬよう避けあえば笑顔で会釈しながら。日本人は童顔であると言われているし、あいらの微笑みはサラリーマンや主婦といった体の人たちからすれば幼い少女のように映っているのかもしれない。けれどあいらは――大人の女性と胸を張って言える年齢ではないにしろ――将来の道を選び始めた、幼いばかりの子どもではなかった。そう、生まれた国を遠く離れた異国の街を、恋人と喧嘩した心細さなんぞおくびにも出さず歩き回るくらいには。

「――ショウさんの、バカ」

 不満げに、慈しむように吐き出された文句は晴れた空に溶けていく。流されて、今頃途方にくれている(はずの)ショウの元に届けばいいのに。


 誰かと衝突することが苦手だった。怒鳴られると、相手が正しいように思えた。けれど自分も譲れないのだと言葉にすることがなかなかできずに、事態が行動を促すのを待っていた。プリズムショーを始めてからずっと一緒にいたりずむやみおんでさえ、クリスタルハイヒールカップへの出場を辞退してロードトゥシンフォニアに出場すると宣言したときまで――本人の意思でとは言い難いとはいえ――あいらがあそこまで自己主張したのは初めてかもしれないと言っていたほどだった。
 りずむのように勢いがあれば、みおんのように自分に自信を持っていれば。みんなをハピラキにしたいという夢はあいらのプリズムショーを輝かせてはくれたけれど大切な人と分かり合うにはいつだって決定的な言葉が必要だった。たった一度、偽りなく全てを見せた。ショウが好きだと。愛していると。想われているのではないかという期待と、時折の邪険が積み重なって身動きがとれなかった。前にも後ろにも進めなくて、現状維持で構わないと思っていた。それでも、柔らかな拒絶をはねつけて抱きしめてくれた腕を、あいらは信じている。これからもきっとその気持ちは変わらないだろう。例え、些細な諍いを繰り返したとしても。ショウに連れ出されるようにして舞い降りた異国の地は、あいらに無関心なようで優しい。紛れ込む人混みを、いつからか必要になっていた帽子や眼鏡といった変装道具を身に付けないで済む身軽さが嬉しかった。
 通りがかったウィンドウの前で人混みから外れる。立ち止まり見上げたガラスの向こう側に広がるのはあいらの夢。洋服が好きで、世界的にも有名なモデルだったみおんに憧れた。読者モデルになりたいと夢見て、それは決してなりたい大人の姿ではなかった。あいらの未来は今ようやく歩み出した。キッカケと道標はショウだ。非凡の自分を当然として、その輝かしさを見失いがちな彼に――彼のデザインする衣装に――あいらは絶えず魅せられ、時に苦しめられてきたけれど。これからは同じように自分もデザインを生み出す側の人間を目指し始めたあいらにやはりショウは眩しい。卑屈な気持ちは積み重ねたモノがないあいらには不安として訪れる。指導者と恋人の兼任バランスは二人とも判断する経験値が足りなくて。ショウだって自身の修行の為に日本を離れたのだからあいらに付きっきりというわけには当然いかない。それくらいのことわわかっている。わかっているけれど。
 二人で間借りした小さなアパートの一室。午前中はとても日当たりがいいテーブルの上に残してきた朝食は、果たしてしっかりとショウの胃袋に収まっただろうか。昨晩の言い争い、原因はあいらに言わせればショウの視野が狭いからで、ショウに言わせればあいらがお節介過ぎるからということになるだろう。その時々で家事の負担に偏りがでることに関してはある程度理解している。しかし如何にショウのデザインに対する姿勢が部屋に閉じこもって自分を追い込むことで生まれるからといっても海外に留学してまで部屋に閉じこもって何日も出てこないというのはどうだろう。食事も疎かになるし、あいらの勉強も捗らない。だからつい言ってしまった。「もっと外に出てみてもいいんじゃないですか」と。ショウの顔が不機嫌になって、マズいとは思っても口にした本音を誤魔化すことは難しい。余計な口出しだと苛立つショウに、「それでは今までと何も変わらない」とは流石に生意気だったか。公正な立場から言い放った台詞ならきっと後悔はしなかった。それくらいの気丈さは、あいらもショウに対して発揮できるようになっていた。だがあいらの胸には今チクりと刺すような痛みが途切れることなく疼いている。

「――ショウさんの、バカ」

 今度は泣きそうな震える声で呟いた。ショウを心配するフリをして(勿論全てが偽りではない)、本当は一人放っておかれて寂しい自分の気持ちをわかって欲しかっただけなのだ。描いた夢のビジョンは言葉にすれば一言で表せるけれど、叶える為に飛び出した世界であいらが寄る辺とできるのはショウしかいないのだ。忘れられてしまっては、どちらを向いて進んでいけばいいのかすら見失ってしまう。自分の意志で着いていくことを決めたのだから、もっと自力で頑張るべきなのかもしれない。そうだとしても、ショウはあいらの恋人でもあるのだし、もう少し親身に話を聞いて欲しいし彼にだって自分を求めて欲しいと願うのは贅沢な要求ではないと思う。
 煮え切らない態度に五年近く振り回されてきた。ショウへの不満を具体的に言葉にしようと思えば、本人に直接ぶつけることができるかは覗いてもそれなりの量、雑言を並べることができる。それでもやっぱり好きだから、「バカ」なんて可愛らしい一言で収めておいてあげているのだ。折角訪れた、横浜ともお台場とも違う海外の街並みを、二人並んで歩きたいと手を差し出すくらいの甲斐性は見せて貰ったっていいではないか。
 見つめるショーウィンドウの中に並ぶ衣装たちに、落ち込んでいても現金な心は浮足立つ。素敵な衣装だと、語り合える人が隣にいてくれたらもっとハピラキな気持ちになれるのに。上着のポケットに入れたスマポが、少し前からひっきりなしに震えている。まだ取らない。こうして人通りの多い往来の中で、自分を必死に探しまわっているかもしれないショウの姿を思い浮かべたら、嬉しさだとか、もうちょっと困らせてあげたいという意地悪な気持ちだとかが湧き上がって、咄嗟の行動に迷ってしまう。
 これからも、同じようなことがあるかもしれない。二人きりで世界を渡って行くのならば、有り得ないとは断言できるはずもない。休まらない関係だと、もしかしたら誰かは呆れて距離を置くことを奨めるかもしれない。けれどあいらはそれを選ばないし、ショウもあいらに離れようとは言わないはずだった。想い過ぎて疲れ果てても、それでも捨てられない恋だった。愛になれば途端に万事順調に進むとは思っていない。捻くれてしまっただろうかと、あいらは首を傾げる。
 ――けれどまあ、それでも。
 人混みをかき分けるように、あいらの耳に彼女の名前を呼ぶ声が届く。顔を上げて振り向くよりも先に掴まれた腕が強引に引き寄せられた。
 ――それでもまあ、好きなんだもの。
 仲直りの印に、どこかお洒落なカフェでブランチにでもしよう。頬笑んで見上げた先には、想像と違わないショウの顔がある。

「お腹、空きませんかショウさん」
「お前なあ……、――ああもう、そうだな」

 掴まれていた腕が離されて、代わりに繋いだ手の指を絡めながらまるで何事もなかったかのように歩き出す。
 暫くしてから、ショウがあいらを散歩と称して外に連れ出す機会が増えていくことをこの時の二人は朧気に、けれど確かに予感している。
 だからあいらは、この手を離そうとはもう思わない。



■癒されたくて愛したんじゃない
20140718






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