わざわざ玄関まで立ち上がって出迎えに来られるというのが、狩屋は苦手だった。それは彼にとっていつだって「わざわざ」という言葉を外せない労働の類だった。けれど、人によっては習慣だったり、礼儀だったり、ただの親しみの証だったりする。他人の家を訪れたのならば、勝手にドアを開けるわけにはいかないから出迎えは当然だ。ただ、帰る時の見送りはいらない。そう狩屋は思ってしまう。靴を履いているときの、背中に刺さる視線がひどく落ち着かないから。
 ただいまと言って自分の家のドアをくぐったとき、聞こえていないであろう低く小さな「ただいま」という呟きに答えるように「おかえりー」といういくつもの高い、間延びしたと共にぱたぱたとスリッパ特有の足音、裸足で思いきりフローリングを走ってくる足音が鳴って近付いて来ると、狩屋はぎくりとする。さっさと靴を脱いで、リビングへ向かう途中で自分を出迎えようとしている相手と遭遇すればいいのか、それとも相手が到着するまで玄関で待っていればいいのかわからなくなる。自分の縄張りに帰って来たはずなのに、狩屋は待てと言い渡されたように途方に暮れてしまう。
 こんな苦手意識を、誰かに相談しようと思ったことはなかった。個人の意識で終わっているそれは、決して狩屋以外の人間と共有できるものではなかったし――彼を出迎える相手が違うのだから――、克服したいというのも違っていた。苦手じゃなくなりたいのか、そう自分に問いかけてみても、いつだってそりゃあ勿論という前向きな答えは全くといっていいほど思い浮かばないのだ。ただ、放っておいてくれたらいいのにと、いつからか毎日のように思っていた。

「俺も似たように思っていたことがあるよ。マサキくらいの頃にね」

 だから何だと言うのだろう。微笑ましいものを見るような笑顔が、ひどく狩屋の癪に障った。相談するつもりはなかったけれど、口は滑るものだ。特に普段から不要な一言を発するに長けている迂闊な口は、自身の墓穴を掘るにも一躍買うらしい。
 とっくにお日さま園を出たヒロトは、それでもお日さま園の経営を支える吉良の社長として――名目上そう言ってはいるが、単に遊びに来ているだけだと狩屋は思っている――頻繁に顔を出している。子どもたちが夕飯を食べて風呂に入り寝る準備を整えるよう日々の生活習慣に従っている横で、ヒロトは大人の特権だと言わんばかりに不規則な生活態度をひけらかすようにひとりで夕飯に与かっている。狩屋は時々、その食事に相席する。狩屋自身が学校からの帰りが遅くなって夕飯を食べていない時もあるし、単に疲れているから賑やかな他の子どもたちの輪から自分のリズムを外したいという気紛れが理由の時もあった。
 ヒロトはそういう狩屋の、彼の都合で自分の傍に近寄ったり無視したりする態度を勝手だと思うこともなく、寄ってきたら寄って来たで構い倒して機嫌を損ねて一目散に逃げ去っていく様を面白いと感じている。園内の子どもたちの中でずば抜けてサッカーができたせいもあって、ヒロトを含め多くのお日さま園出身者が狩屋のことを知っている。過去の自分とは違い、ここに入る前からいい具合にひねくれていて、それでも最近では素の顔でサッカーを楽しんでいるようだから、雷門というのは今も昔もすごい場所でそこに在るべき人が集っていてくれるものだと感心もしている。

「似たようなことって?」
「放っておいて欲しいと思っていたことがある」
「ヒロトさん、人気着だったの」
「いいや、みんな大注目の嫌われ者だった」
「ええ?」
「おかえりとか、ただいまとか、そういう言葉を向けるだけの親しみを、粗方疑い尽くしてた」
「――――、」
「マサキには、ちょっとわからないかもしれない」
「何だそれ」

 そう、何だろうそれは。ヒロトは苦笑する。特別が欲しかったわけではない。本物が欲しかった。その違いを、あの頃の自分たちはわかったような気でいたのだが、果たして本当はどうだったのだろう。ヒロトの主張は、それでも確かに何かを手に入れていた事実を踏まえれば、多くの人間の耳には受け入れがたいものだったかもしれない。
 どうしてお前なんだと何度も指を差されて、けれどこれ以上叫ばれるのも堪えがたくて、ヒロトは笑うことを覚えていたけれど。それは多分、狩屋が自分の身を守る為に、また相手を値踏みする為に纏っていた表面上の笑みよりもずっと暗い闇を湛えていたらしい。鏡に向かって微笑んでみたことがないので、ヒロト自身は知らなかった。ただ玲名だったり晴矢や風介だったりには、えらく不評な笑顔だった。全てが解決した後も、その笑顔だけは受け入れてもらえないくらいに。
 手際よく箸を動かす手は留めないで、けれど表情は苦笑で固まったまま。気に入らなくて、おかずの煮物をひとつ素手で摘まんで食べてやる。驚きと、子どもっぽく抗議の声を上げるヒロトは、しかし怒りはせずに自分のおかずが奪われたことではなく狩屋の行儀が悪いよとまた笑顔を作ってしまう。浮かべるではなく作ってしまうと思ってしまうことが、狩屋にはいつだって無視できない間合いの探りあいの開始の合図になる。

「――いつかマサキも気付くかもしれない」
「?」
「言葉よりも、相手を見つけるかもしれない」
「はあ?」
「それまでは、へそを曲げるも耳を塞いで逃げ出すも自由さ」

 狩屋が言葉の意味が分からないと質問する暇を与えずに、ヒロトは箸を置き、行儀よく両手を合わせてからごちそうさまでしたと挨拶してからせっせと食器を重ねて流しに運び出す。そのせいで、狩屋は話の続きを遮られるように背を向けられてしまった。拒絶とは違う、しかし今のお前では理解が及ばないと頭を押さえつけられているような閉塞感。
 ヒロトたち大人は、狩屋を子ども扱いしてわかりやすい言葉を選ぶということをしないくせに、それで意味が分からないと唱えるといいよいつかわかるからと温かい目でこちらを眺める。子どもではなく、かつて自分が通ってきた道の平行線で、微かな既視感を纏ってもがいている一人の人間。尊重はされるけれど、全て見透かされている気もする。被った化けの皮が、最初からお古のようにそれ俺も持ってたよと言われたときの絶望感ときたら、狩屋にここの大人は酷い奴らだと憤慨させるに十分な悪行だった。

「ねえヒロトさ――」
「いつかわかる」
「……でも、」
「ひとりでは生きられないよ。少なくとも、マサキは、絶対」
「んだよ、それ」

 今はただ、降ってくる言葉を身に受けて戸惑うしかなくても。苛立ちも、恐怖も、全て相手からやってきて勝手に去っていく横暴さに向かっていることを狩屋もいつか知るだろう。おかえりもただいまも、いつかかけがえのない人から貰える日常になる。その尊さを知っているヒロトは、狩屋の憶病さをちゃんとわかっている。わかっているからこそ、知らないままでは生きて行かれないことも知っている。
 勝手に答えを渡してやった気になっていると不機嫌に頬を膨らませる狩屋に、ヒロトはやはり苦笑したまま自分よりずっと低い位置にある頭を撫でてやることしかできない。宥めるには、力及ばずの結果になるとはわかっていても。

「すぐ頭撫でるのやめてくださいよ!」
「ああ、ごめんごめん。それじゃあ、俺はそろそろお暇するよ」
「あっそ」
「――いってきますとか、言ってみるかい?」
「言わないし。それにいってきますじゃなくてお邪魔しましたでしょ」
「それもそうだ」

 軽快な会話のテンポが愉快で仕方ないと、ヒロトは今度は心から楽しそうに頬を緩めて玄関へと向かっていく。直前、また狩屋の頭を撫でてから。むっと睨むよりも先にヒロトは歩き出していて、狩屋はその背中を追い駆けるかどうか悩む。自分だったら、見送りなんかいらないから。靴を履いている最中、ずっと背中に注がれている視線が苦痛だから。
 けれど、廊下を歩いていくヒロトに次々に他の子どもたちが「またね」だの「じゃあね」だの声を掛けて手を振っているのを見ていたら、自分だけじっとしているのも礼儀に欠けるのではないかと思い至って、小走りで玄関へと向かった。相手がヒロトだからというわけではない。これは親しみではない。どうせまた直ぐにここへやってくる彼の後輩としての礼儀だと、くどいまでに自身に言い聞かせながら。
 撫でられていた頭に、ふとヒロトの手の感触が蘇る。どれだけ歩み寄られても、尊重されても、結局ヒロトと自分の間には大人と子どもという区別がついているのだ。だからヒロトにはわかっていることが自分には全く理解できないに違いない。そのことが、やけに憎たらしく思えた。





∴その大きな手が今は憎たらしい
20141205