山野バンが失踪し、それについて彼の親友である青島カズヤがある一定の理解に及び仙道ダイキが事態の傍観を選択し、宇崎拓也がバンから置き土産という名の襲撃を受け、大空ヒロと花咲ランが無関心を装い、ジェシカ・カイオスが熟考した末海道ジンに決起を促していた頃。誰も彼もが、いずれ放っておいても山野バンは帰ってくると彼のことを想い信じていたけれど。では当の山野バンは自分を慕ってくれているであろう彼等のことをどう考え捉えていたかと言うと、実はさほど深くは考え込んでいなかった。
 失踪する前は心をどんどん下へ下へと引きずり落とそうとする重りの様なものもさほど意識することなく、バンは行き当たりばったりに廻ると決めていた都市を次々と渡った。ぼんやりと出向いたことのある場所に佇んだり、同じ街の中というだけで初めて訪れる場所も多々あった。そのあちこちにLBXで遊ぶ子どもたちの姿があって、バンは毎度その中に混ざってバトルに興じた。あっさりと倒してしまい怖がられたり、感心されたり、アルテミスに出ていたことを指摘されたり、珍しいときにはサインを強請られたり写真を撮られたりもした。芸能人でもないのにそんなものを求めてどうするのか、初めはわからなかったけれどLBXを嗜んでいるものにとっては世界大会アルテミスに二大会連続で出場し好成績を修めているバンの存在は輝かしいものがあるらしい。こういう所でも、自分の評価がバンの手を離れたところでどんどん肥大していることを知る。LBX馬鹿と呼ばれて長く、開発途中から父親に原型を見せられてはしゃいでいた時期も含めれば確かにLBXに関して言えば誰よりも長期間愛情を注いできたのかもしれない。だからといってCCMを操作する指の動きが早くなるとか、バトルの状況把握や適応力が上昇するかといえばそこは才能の部分なのかもしれない。それでも、バンは自分を特別才能に溢れた人間だとは思ってこなかったから、時々こうした落差に驚いて、それから少し寂しくなる。ほんの少し傲慢な気持ちを許して貰えるのならば、バンはきっとこうして出会った子どもたちしか周囲に存在していなかったら、自分はイノベーターともディテクターともオメガダインとも戦い抜けなかったと思う。幼馴染や親友の技量が揃って高かったらそりゃあやり抜けるさ。そんな投槍を周囲は許してくれないだろうけれど。自分の実力が低いとも今では思う余地すらないけれど。
 Nシティに着いてからは、実はまだLBXバトルはしていない。何度か公園でそれをしている子どもたちの姿は見かけた。ショップの前も通ったし、覗き込んでみたりもした。店内で声を掛けられそうになったら、そそくさと逃げ出してぶらぶらと街を歩き続けた。目的地に辿り着くのに、これまでの都市のときよりも随分時間を要してしまった。それはなんとなく、此処が最後だからだろう。本当の最後はトキオシアだが、日本に戻る直前という意味ではこのNシティが最後。そしてこの街には、嘗ての仲間も暮らしているだろう。バンがひとり歩いていることを知ってか知らずか。失踪していることはたぶん聞き及んでいると思う。それでも彼等は連れ戻すでも追いかけるでもなくバンの自主性に任せてくれている。それはどうでもいいからではなく大切に想われているからだとバンは理解している。理解した上で、その大切を当たり前にしすぎると時にその優しい人たちを傷付けてしまうことにも気付いてしまったから、バンはこうして飛び出したのだ。父親のようにはなれないと思う部分と、彼のようになりたかったという憧れ。共存できない訳ではない。ただ占める幅の割合を決めあぐねた。嫌いになりそうだった。だからバンは、一度その大切な全てを遠ざけてみることにした。冷静に、全ての配置を入れ替えるように、これまでとこれからを見据えてみようとした。その為に過去を辿る。思い出は多く、過ごした時間はそれほど多くはない場所。一度も会ったことはないのにバンのことを知っている人、知らない人。LBXがあるだけで通じ合えることも多くてそれだけが嬉しかった。やはりバンは、LBXのことが好きだと思った。
 では、そこに必ず付随してくる人のことは――?

「――バン君」

 久しく聞いていなかった自分の名前を呼ぶ声に、バンは俯いていた顔を上げて声がした方を見やった。迎えを寄越されるとは思っていなかったが、もしも誰かと遭遇するならば彼だろうなと思っていた人。出来るならば、今更だと笑われても弱々しい自分なんて見せたくはなかった、そんな人。
「久しぶり、ジン。偶然だな」
「うん。――偶然じゃなくて、ジェシカからの指令なんだ」
「ジェシカ?…へえ、じゃあ頑張んないと、怒られるかもね」
「さあ、どうだろう」
 地下鉄のホーム、改札とは真逆の端に置かれたベンチに座っていたバンの前に、ジンは両手を上着のポケットに突っ込んだ格好で立っていた。ぼけっとしていて気付かなかったが、ジンの後ろを見ると丁度列車が出発する所だった。恐らく、この車両に乗って来たのだろう。バンはこの駅の改札を通ってホームまで下りてきたのだが、車両に乗り込む気など更々ないままにもう何時間も同じ場所に座り続けている。時折、親切な人は何度車両が到着しても動かないバンを訝しんで具合が悪いのかと尋ねてくれるものだから少しだけ罪悪感。だけどそんな人たちも車両に乗り込むか改札を抜けるかすれば自分のことなど直ぐに意識の端から零れ落ちてしまうに違いない。そんな風に考えると、バンの気持ちはどうしようもなく落ち着くのだ。
 バンがジンを前にしても立ち上がる気配を見せないことを察したのか、ジンはバンの隣に腰を下ろした。NICSが解散して以来の再会なのだが、思った以上に静かな対面となった。視線は殆ど交わらない。バンの瞳がぼんやりと彷徨っている所為だ。服装も上が黒のフード付きパーカーで下が赤いハーフパンツといった出で立ちで、色合いがジンの苦手な人間を連想させるものだからつい視線を逸らしてしまう。わざとではなく無意識のチョイスがこれだったというのなら、バンは思ったよりぐらついていて不安定な場所にいるのかもしれない。憧れを抱いた大人が大体テロリズムに走ってしまうだなんてそうそうないだろうに、バンはその稀有な体験をしてしまった。軽く片棒を担がされていたジンが出来る同情なんてさほど深くもなく、バンも同情して欲しいだなんて思っていないだろうから二人の関係は何も気まずい要素などないはずだった。ジンが一向に自分からバンに連絡を取ろうとしないこと以外は。
 海道義光のことを吹っ切らないジンと、山野淳一郎のことで気を沈ませているバン。お互いがお互いのことに手いっぱいになれば自然と気が向く機会すら減っていく。会いたくないとか、そういう拒絶はなくともそうなってしまう。一番気安かった。曝け出さなくてもいい気安さと、曝け出すことの出来た気安だ。正反対の安心感が混ざり合って、容易く親友なんてポジションには収めきれなかったがかけがえのないという一語は間違いなく与え合えた。今になって思えば、バンにはもうそれで十分だったのかもしれない。意地を張って、自分からは連絡をしないだなんてふてくされなくてもよかった。かけがえがないというのなら、信じることも大切なのはわかる。だけども時には意地を張ってでも掴んで離さない我儘を許して貰うべきだった。物分かりの良さだけが人間の美徳ではないのだから。
「…ジンは元気にやってた?」
「まあそれなりに。心身的な面ならすこぶる順調だ」
「そっか。俺はそっちが駄目だったよ」
「………」
「NICSが解散になって、日本に、母さんが待ってる家に戻ってこれまで通りの日常が帰ってきた。LBXの販売とか、そういうのはまだ少し問題を唱える人とかもいるんだろうけどそれに対する対処は俺たちの管轄外だって割り切って、本当に日常が帰ってきた。朝は遅刻ぎりぎりまで寝て母さんに起こされて、アミが迎えに来てくれて走りながら学校に向かって途中でカズと合流して。勉強はあんまり得意じゃないけど落ちこぼれるってほどでもなくて。流石に休んでた間の課題をいっぺんに押し付けられたときは目が回ったけどさ。放課後になって、キタジマに行ってバトルして。休日にはアキハバラとかにも出掛けてやっぱりLBXでバトルするんだ」
「…うん」
「そういう風に、何をしなくても身体は勝手に急かされて動き回るんだ。バトルも勝てる。LBXは好きだし楽しい。だけど一人になった時にふっと思うんだ。それはこれまでの積み重ねがそう思い込ませてるだけなんじゃないかって。これまでが楽しかったんだから、これからだって楽しいに違いないって信じたいだけなんじゃないかって。父さんの作ったLBXがちょっと前までは世界を混乱させていた事実をあっさり忘れて、危険な使い方があるっていう現実を直視しないで、この先誰もそんなもしもを見つけたりはしないんだって安心して。だからこの先LBXをより良い使い方で活かせるように、子どもたちを喜ばせてあげる研究を続ける父さんのことだってもう責められる謂れはないんだって、全部、思い込みなんだって、気付いた」
「―――、」
「俺はLBXのことが、父さんのことが、本当はもう、以前より好きじゃないんじゃないかって思ったんだよ」
 バンの思いもよらない告白に、ジンは驚きで目を見開く。父親への払拭されない疑惑の念が根底にあるとは察していたが、LBXに対してまで猜疑的になっているとは見抜けなかった。そしてそのことが、バンにとってどれだけしんどく、重たく圧し掛かっているか。ジンは黙って、バンの言葉の続きを待つしか出来ない。
「LBXを嫌いになっても、日常の形が変わっても、俺はきっと普通に息をして食事をして睡眠をとって学校に行って生きて行けるんだなっていうことが、今まで発想の端にも掛からなくて。そういう盲目的な部分を助長したのは絶対父さんに対する尊敬とか、そういう前向きな感情だと思った。だからそういう前向きな部分が実は違うんだよって前提から崩されて今の俺はぐらぐらしてる。LBXをしなくても生きていけるって気付いたくせに、LBXで得た物が多いことにも直ぐに気付いて、それがなくなったらどうしようって思うとちょっと怖いんだ」
「NICSの仲間たちか」
「うん、そうだね。他にも、ケイタ君とか、タイニーオービット社の人たちとかもみんなそう」
「僕の話をしても良いかな」
「どうぞ」
「僕は、おじい様の一件以来LBXに携わるのに一々理由を求めるようになった。好きだとは思うけれど、資格も必要だと思ってた。これはNシティで再会した時にも似たようなことを言ったかな。だけど僕は、バン君たちと距離を置くという発想はあっても失うという発想はなかった。自惚れるなよと言われたらそれまでだが、ひょっこり手ぶらで顔を見せても君たちならあっさり久しぶりと受け入れてくれるんじゃないかなと思っていたのかもしれない」
「――つまり?」
「この僕でだってそう思いこめるくらいの場所に君はいたんだ。少なくとも、バン君が大切だと繋がりを持った人たちは、勝手な理想を押し付けて裏切られたからといって君を切り捨てるような人たちじゃない」
「それは――、うん、そうなのかな」
「だから君が日常の中で少しLBXを遠ざけたいと思ったならそうすればいい。驚かれるかもしれないけれどそこで終わりじゃない。現にバン君たちは一時期君たちからもLBXからも遠ざかろうとした僕と今でも普通に会話が出来る。余所余所しい壁とかは特に感じてないつもりだ」
「………」
「だから、山野博士を許せないと思うならそのままでいい。でもだからLBXを想う気持ちにあの人を直結させる必要はないんだ。そしてもしバン君が山野博士を許したいと思うなら、今この瞬間からだって許せばいい。世界が理不尽に山野博士を甘やかしていると感じるのならばそれは君がまだLBXを心底好いている何よりの証拠だと僕は思うけどね」
「あはは、ジンはお見通しなんだね」
 再会してから初めて、バンは声を上げて表情を綻ばせて笑った。そしてジンの方をしっかりと見る。答えはまだ出せずとも、選択肢は貰ったと言わんばかりの清々しさで。
 許したいと思った。許せないと思った。息子であるバンがいくら気を揉んでも、世界は父親の罪を覆い隠してしまった。償うべきだとも思った。謝罪すべきだとも。だってバン達は、山野博士以外にはそれを求めてきたのだから。正しくあれと、間違っていると声を張り上げて砕いて来たものがバンには在り過ぎたのだ。償いも謝罪も誰にするべきかだなんてわからない。混乱をきたした世界に、恐怖に包まれた人々に、怪我をしたかもしれない人々に、大好きなLBXを奪われかけた子どもたちに。
 非難する気持ちは消えないのに、父親は世界のどこかで今も研究者として生きている。その成果が償いで謝罪だと開き直られたらバンはそのいい加減さを論破する言葉を持たないし、今度こそ父親を許せなくなるだろう。だけど、世界は許した。ならばそれが正しい在り方なのではないかと揺らぐこともある。バンの信念が特別強固で優れた倫理観を有していたわけではない。
「――うん、俺はきっと父さんを許したいんだろうね。もしかしたらもう許してるのかも」
「ただ、目に見えた形で罰を受けていないことをおかしいとも思う」
「そう」
「犯した罪からは逃げられない。罰はいつか必ずその人の上に降る」
「それはジンのことを言ってる?」
「誰であっても、同じだよ」
「ふうん、それこそ俺たちからすれば何も変わらないのに。もう十分じゃないの」
「僕の気持ちの問題なんだ」
「真面目だなあ」
「バン君もね」
「俺はただ欲張りなだけだよ。大切な人たちに嫌われない自分でいたかった」
「そうか」
 その立ち位置さえ明確ならば、バンはもう日本に帰るだけだ。そして今度こそ理解するだろう。バンが大切に想う人は、バンを大切に想っていること。各々が占める割合と意味合いの違いから取る態度は少しずつ違ったとしても、彼が恐れる嫌悪だけはどこにも落ちてはいない。逃げ回る必要なんてもうどこにもないのだ。
 バンは「そろそろ行こうか」と長らく落ち着けていた腰を漸く上げた。何処へ行くのかと不思議に思ったのだが、「ジンはどっちから来たの?」と尋ねられてバンはジンが暮らしている場所まで行くつもりなのだと理解した。そういえば、バンが海道邸に忍び込んで以降ジンの日常生活を覗き見たことはないのだということに思い当たる。存外いい加減なもので、客人が来ることを想定していない部屋は汚いということもないが間違いなく綺麗でもない。
 ――まあ良いか。
 バン君だし、と割り切ってしまう辺り、ジンは彼のことを無意識に慕っている。意識したって慕っていることを否定はしないが底が深いということ。

「ねえジン、」
「ん、何だいバン君」
「来てくれてありがとね」

 吹っ切れたように笑うバンに虚を突かれて、ジンは一瞬反応が遅れてしまった。しかし直ぐに微笑んで「どういたしまして」と返した。下手な謙遜はいらない。
 その素直な反応が照れ臭かったのか、そそくさと歩き出してしまうバンの手をジンが掴んで引き留めた。ジンの自宅の最寄り駅へ行きたいのならば、彼の進行方向は間違いだった。「こっちだ」と呟いて、ジンはバンの手を引いたまま歩き出す。予想外に、抵抗はない。そしてジンは、自分でもこうしてバンを導いてやれることを意外にも思い、嬉しくも思った。久しぶりに、二人でLBXバトルに興じるのも良いかもしれない。

 こうして山野バンの失踪はその必要性をなくしお終いを迎えた。もう直ぐ彼は日本に帰る。大切な人を残したままの場所、彼を待ってくれている人たちがいる場所。それがあることをまず、バンはただ嬉しく思う。割り切れないことが多量にある自身の日常の中、父親への想いは少しだけ屈折してしかし愛しさの名残は決して消えない。だから、山野バンは父親である山野淳一郎に対して絶賛反抗期中なのである。



「時にバン君、その服装のチョイスはまさかレックスに合わせた物じゃないだろうね」
「あ、わかる?なんかこうむしゃくしゃしてますって感がね、良いよね」
「――――バン君」
「―――ごめんなさい」




20120920