山野バンが失踪し、それについて彼の親友である青島カズヤがある一定の理解に及び仙道ダイキが事態の傍観を選択し、宇崎拓也がバンから置き土産という名の襲撃を受け、大空ヒロと花咲ランが無関心を装いながらジェシカ・カイオスに熟考を促すような連絡だけを寄越していた頃、海道ジンは留学先のA国でひっそりと息を潜めるように生活していた。
 ディテクターの一件を言い訳にLBXを操作していたジンは、その事態が解決した途端再びCCMを操作する手を下ろしてしまった。ただ今回は、前回のように周囲に黙って留学し姿を消すようなことはしなかった。連絡を取ろうと思えば多くの人との繋がりを維持できる。ただ、ジンから進んでそれを望むことはなく、LBXも時折訪ねてくるユウヤやジェシカと嗜む程度。生活が懸かっているので、サイバーランス社のテストプレイヤーとしてもLBXを操作するのだが以前ほどの頻度はない。LBXの存続は認められたが、今回の一件でその危険性も世間の前にまた浮き彫りになってしまった。高性能であることが子どもの欲求を満たすだけならば良いが大人たちの不安を煽る一面があることを製作側は無視することが出来なくなってしまったのだ。生産が停止するわけではないから、開発が終了することはないだろうがこれまでに比べて間違いなく停滞するであろうことを、ジンは頷きひとつで受け入れた。時間が必要だった。LBXにも、世界にも、ジンにも。自身に関して言えば、一年前も同じ理由で随分と良くしてくれた人たちから逃げるように姿を隠してしまった。再会した時に心配したのだと滾々と説かれて、反省はしたのだけれど今回も似たようなことをしている。成長しないことに頭が痛くなる。あとどれくらい時間が必要なのか、ジンにはわからない。願わくば、話題性の風化が瞬きひとつの内に終わってしまうかのように海道ジンという存在も風化してしまえば良いのに。だけど自分は、まだ何の責任も取っていない。祖父のこと。祖父の為と盲目に自分が振るった力は、きっと無関係の人を傷付けてきた。「秒殺の皇帝」なんて異名を貰うほど、叩き壊してきたけれど、その皇帝はただのお人形だったと言えばどれだけの人が頷いて、納得してくれるのだろう。だから悪くないとは一切主張しない。だけどジンにはわからない。責任の在り処は問題ではないのに、果たすべき責任の手段は未だ見えない。子どもだからと免罪されているだけならば、そんな気遣いはいらないから今すぐにでも罰して欲しかったのに。ジンを囲う人々は揃いも揃って優しくて、悪くないという言葉でジンを甘やかそうとするから困ってしまう。そういう類の甘さは経験したことがなかったから、猶更。
 このままLBXを、己の意思に反してと言う形で手放せば、この先の自分の人生は相当褪せて味気ないものになるだろう。果たしてそれは罰に当たるのか、ジンにはわからない。だけどこれは自身の罰ではあるが償いにはなっていないように思われた。だからジンは、誘われれば応じると言ったLBXとの関わり方を維持している。ずるいのかもしれない。そういうものだ、人間は。内心では割り切っている、だからそんな割り切りを許さないほどの罰と償いを求めてみても世界はジンに少しだけ優しい。
 凡庸に思考を巡らす日々を送りながら、時々外部からの干渉という名の優しさを貰う。そんな中、ジェシカから届いたメールはジンを驚かせ、停止させた。瞬きも、呼吸も忘れて。片手に持っていた飲みかけのコーヒーの揺れも視認できないほどの時間。どれだけ凝視しても新しい文句が浮かんでくることはないメールのスクロールを何度も上下に動かして、足りない情報を探し当てようと躍起になる。
『バンが失踪したの、貴方迎えに行ってらっしゃい』
 こんな一言だけのメールで何が出来るというのか。何が伝わるというのか。そもそも失踪ってなんだ。この一語だけでは明らかに漂う事件性がジンの頭を混乱させる。ジン以外の人間が、バンの自主的失踪だからと尊重した彼の自由。ジンだけが何も知らない。だって知ろうとしないからと誰もが報告を後回しにした。結局よほど面倒見のいい性分でなければ彼の尻を叩いてやれない。無駄に真面目でスペックだけは高いから。一歩引いて周囲を見回す冷静な判断力も視野も持っているのに生かそうとしないのは自堕落だ。そんな彼を上から首根っこを掴んで放り出せる人間なんて、それなりに数が限られていて。ジェシカ・カイオスがその筆頭だと嘗ての仲間たちは思っている。だからランが、ジンには伝えないで良いと言いながら彼女に連絡してしまったことには、無意識な期待があったのだ。無関心を装いながら大好きな彼が一日でも早く帰ってくれたらとても嬉しい。花咲ランは、自分を抑えるということを学んだけれど、遠慮するということは学んでいないから。
 開いたCCMを前に立ち竦んでいると、再びジェシカからメールが届いた。件名には、「焦ったでしょ?」というからかうような響き。反論する暇もない。慌てて開いたメールには、先のものよりは詳しい事情が書かれていた。勿論、バンが自分から失踪して、本当は探さずともその内帰って来るであろうことも。だけど、と。これは私の個人的な想像だけれどと前置きがされた上でジェシカの意見が続く。
 ――もし連れ戻さずに悠長に待ち続けていたら、私たちの所に帰ってくるバンはきっと今までの彼とは別人になっているかもしれないわね。
 そしてそれはとても悲しく、怖いことだとも綴られていた。その意図することを、ジンはしっかりと汲み取った。これまでのバンが、前向きで眩しくて、ジンを救ってくれた彼が変わってしまうかもしれないこと。それはきっと、一年前のジンと同じ。ただジンは時間があることを知っていたし、義務感に似た罰を求める気持ちは一種の支えでもあった。けれどバンにはそれがないのだ。
 そもそも事の発端は山野博士が起こしたディテクター事件によるこれまでの価値観の瓦解が根底にある。父親への反発と世界への恐れ。海道義光の起こしてきた罪とジンが背負うと決めた罪。バンには、悲しい哉まるで非がなかった。いつだって彼は世界を救う側にいた。英雄じみた振る舞いも品格もなくただの子どもとして自分の正しいと思った道を貫いた。少しでも間違っていたら良かったのに。誰かに叱責されて正すような分かれ道を繰り返していたのなら話はもっと簡単だったろう。だって彼は、山野バンはきっと――。
 考えを止めて、ジェシカからのメールに最後まで目を通す。どうやらジェシカはバンの失踪を放置して置くことは出来ないらしい。幼馴染ほど近くもなく、傍観するほど遠くもなく、無関心を装うほど理想を抱かず、襲撃されるほど懐かれてもいない。だけど大好きだから、そんなお姉さんのような振る舞いに、ジンは時折どうしようもなく救われてきたことを思い出す。今回のこの行動は、バンの為だろうか。ジンの為だろうか。否、きっと彼女は笑って言うだろう。自分の為だと。
 察するにジンは決断を迫られている。道を逸れた訳ではなく、端に隠れるように蹲っているバンを見つけて、手を引いて連れ戻す。それはつまり、ジンもまた歩き出さなければならないというおことだ。ただ待っているだけの身。ジェシカにはよほど楽をしているように見えたのかもしれない。罰など求める前にまずはしっかりと生きなさいと言う。罰を罰だと思えるくらいに、貴方は世界を見るべきだと。その通りかもしれない。留学という名目でジンはA国に来たというのに最低限の義務、励む学問。異国の情緒を堪能したことなどない。学校と自宅の往復。日本にいた頃と何も変わらないのだから。視界も心も閉じている今を不便に思ったこともなく、それがジェシカにはしっかりと生きていないということになるらしい。バンは今、ジンと同じように視界も心も閉じる手段を探している途中。傍にいれば無視できない大切な人たちから少しだけ離れて、閉じたら帰る。この先何にも揺るがされずに、既に手にした絆だけで生きていく。父親なんて、これまでだっていないことが当たり前だった。心の中心にいたとしても、実生活には関わらない。だから心を閉じて遮断しても大丈夫。それで得られる平穏の方がよっぽど重要だと。
 ――でもそれは駄目だよバン君。
 胸の内で語りかける。もう一度ジェシカからのメール全てに眼を通す。それから飲みかけのコーヒーを飲みほして、マグカップをシンクに戻し歯を磨いてから上着を羽織ると財布とCCMをズボンのポケットに仕舞って家を出た。まるで近所に買い物に出る際と変わらない格好と流れ。だがこれで問題ない。遠出などする訳ではないから。ジェシカからのメール、勿体ぶるように後回しにされた最重要の情報をもう一度頭の中で反芻する。活動を終えて解散という形になってから、その目的を変えて細々と存続していたNICSの装備を少々拝借したらしい。少々のレベルで国家権力の産物を拝借する辺りレベルが高い。事態にバンが関わっていたから許された部分もあるだろう。その辺りを、バンが知ったら一体どう思うのだろう。そこまで気を回さなくても良いのにと意外そうに、遠慮がちに笑うのだろうか。ほっといてよと突っぱねるような意固地ではないと思いたい。
 昼間ということもあり人通りの多い通りを歩く。途中地下鉄の入り口を下り路線図を確認する。普段の生活では滅多に使用しない地下鉄。路線図に乗る駅名も、掲示板に流れていく文字も当然英語で表記されている。そもそもこの国で触れるものの大半の文字表記は英語だ。よその国が観光客の為にと配慮して添える英語ではない。この国の掲示板は不親切だ。英語以外の文字表記が全くされていないのだから。これでもしバンが迷子になっていたらどうしてくれるのだ。それは八つ当たりだし、理のない言い分だ。本気で腹を立てている訳でもない。迷子になっていたって、これから自分が迎えに行くのだから何の問題もないのだ。
 切符を買って、改札を通る。降りたホームの掲示板はたった今電車が通り過ぎてしまったことを教えてくれる。空いていたベンチに腰を下ろして、前を通り過ぎていく人たちを無意識に視線で追い駆ける。ジンとは正反対に階段を上っていく人々。帰路に着く人もいれば、これから出掛けていく人たちもいる。さて自分はこれからバンを迎えに行って、それからどうするべきなのだろう。上手く出会えたとして、どこかへ出かけるには計画性がなさすぎる。バンの失踪自体思いつきの行き当たりばったりな感覚がする。眠る場所の確保だってきちんとしてあるかどうか怪しいのだ。それならジンの自宅に招待するのも良いが、そうなると問題が一つ。ジンの購入した切符は入場券ではない。今通って来た駅以外の改札を通らなければ抜けることが出来ないのだ。自分から駅員に話し掛けるなんて面倒だなと思いながらも、素知らぬふりで改札に切符を通して締め出されるのも恥ずかしいから、仕方ないなと妥協して。ジンは次の電車が来るのを待っていた。



 ジェシカがNICSのコンピュータを利用して調べたのは、バンのCCM反応だった。あのバンが、失踪したとしたってLBXを手放すはずがないでしょうと読んだジェシカの勘はどこまでも正しく、彼は時折場所を転々としながらも狂ったようにLBXバトルに興じていた。そしてすぐに気が付いた。転々とした場所、その法則性。子どもの思いつきの失踪にしては何ともダイナミックにワールドワイド。
 キャンベルン、ブリントン、カイル、シャンパオとそれぞれの場所の交通の便、距離を考慮しない旅路。ジェシカでなくとも、あの頃NICSに携わった者ならば直ぐに理解しただろう。バンは、これまでのディテクターがハッキングした管理コンピュータのあった地を逆から順に回っているのだ。そうすれば、ゴールは自然とトキオシアのシーカー本部、日本でそのまま彼は自宅に帰れば良い。だけどその前に、バンにはもう一か所立ち寄らなければならない場所がある。それが、Nシティ。コンピュータは地下鉄の中に置かれていたから、明確に何処とは言い難い。だがジェシカには何となくわかってしまった。あの時、地下鉄に乗って直接事態に対処したジェシカだったからわかってしまった。バンはきっとそこに来るから、ジン、貴方ちゃんと迎えに行きなさいね。
 最後まで姉のように背を押す彼女に自然と笑みが浮かぶ。彼女の直感に疑うべき点はない。だからジンは彼女が示してくれた場所へ行く。一度行ったことがある場所だから、迷うこともない。だって電車に乗って、降りれば良いだけだ。きっとバンは、ジンと一年ぶりに再会したあの駅のホームにいるはずだった。
 そう、海道ジンは決起して長いこと落ち着けていた腰を漸く上げることにした。



20120911