山野バンが失踪し、それについて彼の親友である青島カズヤがある一定の理解に及び仙道ダイキが事態の傍観を選択した。そんな中、大空ヒロと花咲ランの二人はと言えば山野バンの心配で心を痛めるということもなく。ヒロが先日灰原ユウヤと久しぶりに連絡を取り合った際にA国のアリスとシャーリーと遊ぶことになったと言っていたことについての話題で盛り上がっていた。何でも戦士マンフェアなるものが小規模ながらも行われるらしく。ヒロもA国まで来られるのならば是非一緒に行かないかとお誘いを頂いたのだがNICSに所属しA国のNシティに本拠地を置いていた時とは違い海外に出向くならば費用は自出しなければならない身。生憎そんな金銭的余裕はなかったのでヒロは泣く泣くその誘いを断った。字面通り泣きながら。しかし交通費を差し引いた分の費用ならば捻出出来たので、ユウヤにはお土産やらお遣いやらをしこたま頼んでおいた。空港までの出迎えも吝かではない。新たな戦士マンコレクションを迎えることが出来るのならば!
 そんなヒロのテンション高々な言葉を右から左に聞き流し、ランはドリンクバーで注いできた薄いオレンジジュースを啜った。オレンジと一緒に出てくる透明の液体は何なのだろう。あれを避ける様に注いだら百パーセントオレンジジュースになるのだろうかとくだらないことを考えてでもヒロの戦士マン談義は流したい。それなりに長い、というよりも濃い付き合いをしてきたヒロのことをランはどちらかといえば好ましく思っているのだが、彼の趣味についてだけは共感も共有も出来ないだろうととっくに見切りをつけていた。
 休日のファミレスの一角を陣取りながら、ヒロとランは遅めの昼食を取っている。久しぶりに連絡を取り合って、LBXバトルをしようと約束を交わし二人きりではつまらないからと子どもたちが集まりそうな公園だったり広場だったりを巡りバトルをしている塊を見つけては混ぜてとお願いし圧倒的強さを誇り何だか最終的には崇拝された。また暇だったら是非来てくれそれは勿論喜んで。そんな一通りの社交辞令を交えて場を離れた時、公園の時計は午後一時を指していた。
 山野バンが失踪したことを、ランはヒロから聞いた。ヒロは仙道ダイキから話を聞いた郷田ハンゾウから聞いたそうだ。まるで伝言ゲームのようだとランは感じ、それならばありがちに伝え聞くうちに内容が全く別の物になってしまっていたりしてと疑ってみるものの、山野バンの失踪というたった一語はそのインパクトを以て改変を良しとせずきっちり正確に人から人へと伝達されてきたらしい。まあ、それもそうだろう。
 LBXを操る者にとって、山野バンとはヒーローだ。ランにとっては一時崇拝に近い憧れの眼差しで見つめ続けた人。第三回LBX世界大会アルテミスで前評判もなく出場して優勝をかっさらった。第四回の大会でも優勝は逃したが決勝に進みその決勝進出を懸けたヒロとの勝負では会場全体を魅了するバトルを繰り広げて見せたのだ。大衆の記憶にも色濃く刻まれた存在であることには間違いない。そしてヒロとランにとっては尊敬すべき先輩であると同時に共に世界の平和の為に戦った仲間でもある。とても大事な人だと、二人とも迷うことなく胸を張って言えるだろう。
 それなのに。そんな大切な人が失踪したと聞いてもヒロとランは二人でバトルに興じ、現在もなんてことない会話を交えながらバンの心配なんて微塵も覗かせないのだから自分自身に驚いてしまう。心配をしていない訳ではないけれど、バンなら大丈夫という偏見があるのかもしれない。それは、彼が二度も世界を救った英雄だからではない。LBXプレイヤーとして一流の技術を持っているからではない。その真っ直ぐさとひたむきさで対峙した人を惹きつける魅力を有しているからではない。山野バンには、彼を失くしては世界のお終いだと嘆くくらい彼を想っている人間がいるから。だから彼は大丈夫で、必ず彼等の元へ帰って来るに違いないと確信できる。人間は、一人では生きられないのだから。そして山野バンは英雄という膜を被せられて居心地を悪そうにしている一人の人間で、子どもだった。
 ランがバンをヒーローと形容するのは、彼が行って齎した成果に見合う称号を付けると仮定した場合に尽きる。それ以外の場合、ランはバンを尊敬すればこそ崇めたりはしない。バンがその場所にひとりでは至れなかったように、ランだってひとりでなければ至れたかもしれない場所。ただ回数と、担う場所が境遇故か中核に近かったからバンばかりが持ち上げられてしまった。NICSの成果にしろ、もし自分たちが残してきた結果がヒーローと呼ぶに相応しいものだったとするならば、その象徴的存在に据える人物にランは迷わずヒロを選ぶだろう。もしくはジェシカ辺りが相応しいと思う。バンは、素晴らしい人だけれどヒーローではない。ヒロのように動機から既にヒーローになると大言して憚らないタイプに比べて、バンは自分の身近に害を被る人間がいてこそ底力を発揮するタイプなのだ。情に厚いタイプなのだろうけれど、そこが動機に繋がっているから行動規範となる世界は存外狭い。そんなバンをたった一人壇上に立たせてヒーローと讃えてまた何かあればよろしくねと無意識の期待を寄せるのは何かと失礼のように思えるそれでも、実際何か起これば真っ先にバンは駆けていくだろう。それはたぶん、世界を見渡す多角な視野を持ってしまった父親を持ってしまったが故。自分の祖父もなかなか変わっているとは思うが、山野博士は常識人ぶってスマートな人間を演じながらなかなか自己中心的な人間だった。大抵の人間の中心は自分自身だがテロリズム、あれはない。
 ――バンも大変だったんだよねえ。
 今更ながらにそう思う。だから、少しくらい失踪しても良いじゃないか、とも。世間の雑音が五月蠅過ぎるのなら、その雑音が少しでも和らぐ場所へ。戦うことに疲れたのならばあまり戦わずとも良い場所へ。世間の山野バンに対するイメージとの齟齬が目につくならば殆ど山野バンが知られていない場所へ。世界中、飛び回ればバンの気に入る場所も何カ所かくらいはあるだろうから。
 でも帰ってくるときはお土産くらい買ってきて欲しいなあ。そう思いながら、注文してからだいぶ待たされて漸く出てきたパスタをフォークに巻き付ける。ヒロの頼んだハンバーグとエビフライのセットはまだ時間が掛かるようで何やら羨ましそうにランの手元を見つめているが遠慮なく先に頂かせてもらう。お恵みはなさそうだと理解したヒロは拗ねたようにドリンクのグラスを手に取りストローを噛む。変なところで行儀のよい彼は中身の炭酸をぶくぶくと泡立たせたりはしない。
 そしてふと、そういえばと思い出したように口を開いた。
「そうだランさん、暫くアキハバラには行かない方が良いみたいですよ」
「ふーん、なんで?」
「バンさんの失踪で一番心穏やかでない人が放課後から休日までバトルしまくってるそうです」
「……バン、あの二人にも何も言わないで失踪したんだね。てっきり三人でグルになってるのかと思ってたのに」
「僕もです。まあバンさんの行く先は知りませんし、フォローなんて出来ませんよね」
「バンの事ならあの人たちの方がずっとわかってるよ。ただ私たちよりずっと近過ぎるから気持ちが収まらないんだよ」
「ランさんがそんな他人の感情の機微を察しているとは…驚きですね!」
「ヒロのエビフライは私の胃袋に収まることになると思いなさい」
「ええ!?何でですか!?」
「ふん!」
 相変わらず、ヒロはランに余計な一言を添えるのがうまかった。これまでなら、ランは遠慮なく敵わないと知りながらヒロに口喧嘩を吹っかけに行くことを選んだのだろうけれど、ここは場所が悪いし、何より自分たちのくだらない喧嘩を苦笑しながら治めてくれたバンがこの場にいないのだから、うっかり拳を繰り出してしまやもしれない行動は控えた方が良いだろう。自分を抑えるということ、ランはしっかりと覚えている。
 数分後、出されたヒロのエビフライを宣言通りかっさらい、涙目になった彼の口に自分のパスタを放りこんでやる。すると大人しく咀嚼に専念してくれたのでこれでこの場は丸く収まった。そしてこれからのことを考える。今日はもう、このまま帰ることになるだろう。そしたらあとは空手の稽古をして、夕飯を食べて眠るだけ。明日は誰とLBXバトルをしようか。一番手っ取り早いのは学校の友人たちに相手をして貰うことだけれどもう粗方対戦し終えてしまった。ならば次に手軽かつ強豪と戦えるのがアキハバラなのだが、そこはバンが戻るまでは立ち寄らない方が良いのだろう。現在そこで暴れている女性に、ランは個人的には是非ともまた手合わせをお願いしたいのだけれど。今それを願うのは、あまりに無神経というものだ。
 嫉妬というほどどす黒い印象ではないけれど。それに近しい何かを、彼女は自分やヒロに向けている。それは、幼馴染としてバンの隣に立つことか、誰よりも頼りになる仲間としてバンに認められることか。どちらを彼女が重視しているのかがわからないランには見極めることは出来なかったけれど。彼女をスレイブプレイヤーに利用することはバンを奮い立たせるには有効だった。しかしディテクターの正体を知れば彼女からすればひどいと詰りたくもなったろう。だって彼女は優秀だった。強かった。優しかった。バンの傍にずっといるのが当たり前のような人だった。だから、日本での治療を理由にバンの傍を離れ、その間もバンは新しい仲間と歩んでいくといるという事実は少なからず彼女を傷付けただろうから。だからランの眉はぎゅうっと寄ってしまう。彼女のことといい、人伝に聞いた奥さんのことといい、山野博士ってもしかして。
「――女の敵か!」
「…!?なんですかいきなり!?」
 突然拳でテーブルを叩いたランに驚いて、ヒロはフォークに指していたハンバーグを落とした。器の上に落ちたので問題ないのだが何故かヒロは慌てて再びそれを突き刺して口に運んでいた。物言いたげなヒロの視線を黙殺する。男のヒロに説明してもわかるまい。それにしても、どうしてこんなことを考えていたのだっけかと振り返り、次のLBXバトルをどうするかを考えていたことを思い出した。またヒロと遊んでも良いのだけれど、彼はこの先ユウヤから戦士マンフェアなる怪しげなイベントの戦利品を受け取ることに想いを馳せるのだろうし、実際受け取ってからはユウヤを巻き込んで実物を吟味しながらDVDを見たり語らったりと戦士マン漬けの日々を邁進するに違いない。それならばランは全力でヒロを回避しなければならない。
 こんな時、嘗てNICSで一緒だったジェシカが身近にいてくれればいいのにと思う。何度か一緒に買い物もしたけれど趣味がかけ離れているということもないし、手が空いたら公園でバトルだって楽しめる相手だった。ジンもまたA国にいるだろうがランは彼とは連絡を過密に取り合うような仲ではないので会いたいと切なさを抱くような相手ではなかったりする。だからランは、今日は帰ったら久しぶりにジェシカに電話でもしようと決めた。こんな風に自分の中で優先順位の高いことをこなしていって、日常を謳歌する。そしてそうしている内に、きっとひょっこりバンも帰ってくる。
 そう判じて、大空ヒロと花咲ランは無関心を貫き好き勝手振舞うことをやめない。



20120820