部活のない日に決まって剣城が真っ先に向かう場所を、葵はちゃんと知っている。だから、急遽部活が中止になったという連絡を受け取った時、葵はいの一番に剣城の元へと向かい「一緒にいって良い?」と尋ねた。剣城は一瞬虚を衝かれたような表情をしたけれど、直ぐに「勝手にしろ」とそっぽを向いた。普通に「良いよ」と言ってくれればいいのに、一々尖った物言いをする剣城に葵は「ありがとう」と礼を言って自分の教室へと戻って行った。 剣城の言葉に毎度胸を痛めるような繊細さは、今の葵には必要ない。そんなものは、彼の優しさを知らない女の子が他の男子に気に掛けて貰いたい時にでも発揮すれば良い。つんけんした物言いの裏側にある剣城の優しさや照れ臭さを、どうして誰も掬って気付いてやれないのかが葵には不思議でならないし、それと同時に自分だけが気付いてやれることを嬉しくも思う。この際、サッカー部は身内の為カウントしない。 剣城が、部活がないと決まって兄である優一の見舞いに行くことを、葵はなんとなく他の誰にも打ち明けられずにいる。他人の身内の事情を口軽く言いふらすこと自体に嫌悪を覚えるし、やはり自分だけ、という特別に安心と優越を感じているのかもしれない。それでも剣城と葵は付き合っているのだから、そうした微かな傲慢が働いてもやましくはないのだ。 「ねえ、ケーキでも買って行こうよ!」 「……自分が食べる用か?」 「それも買うけど!それだけが目的じゃないからね!?」 放課後。校門に向かう途中での剣城の言葉に、顔を赤くして反論する葵を、周囲は仲の良いカップルが痴話喧嘩しているのだと受け止めて視線を送り、そして逸らす。大勢の生徒が行き交う中で、剣城と葵は如何に幸せそうであっても目立つことのない、ただの風景に過ぎなかった。 病院によっては、お見舞いに定番の花束を土産として持ち込めない場所があるのだと、以前テレビで見た雑学番組でやっていた。優一の入院している病院がどうなのか、葵は確認していないから知らないけれど、それ以前にあの部屋に花瓶があったかどうかすら思い出せないのだから、花よりも食べ物の方が喜ばれるかと思ったのだ。勿論、最初から優一の分だけを買うなんて選択肢にはなくて、だけど一個だけ買って優一に差し出してさあ食べて下さいと言っても遠慮させるだけだろう。様々に言い訳は用意できるけれど、剣城は結局葵の考えなんて分かり切った上でからかっているだけなので、どれもこれもが無駄だと思うから、葵は「意地悪!」とそっぽを向くしか出来なかった。剣城は珍しく、人通りが多い場所だというのにおかしそうに笑った。それでも病院へと向かう途中にある洋菓子店に何も言わずに足を踏み入れてくれるのだから、葵はやはり剣城は優しいのだと頬を緩めてしまうのだ。 「どれにしようか?」 「どれでも良いんじゃないか」 「うん、確かに優一さんなら何選んでも喜んでくれそうだけどだから困るんじゃない」 「お前が食べたいのを選べばいいだろ」 「だからそれはついでなんだってば!」 「はいはい」 言い合いながら、葵はケーキのショーケースにしゃがみ込む陽に張り付いており、彼女の後ろに立つ剣城の顔は全く見ていない。だけど、今小さく溜息を吐いた気がする。本当に、ついでなんだってば。抗議するように唇を尖らせれば、ガラス越しに葵の表情を見た剣城に軽く小突かれた。店員のお姉さんに微笑ましいと言いたげな目線で見つめられていることに気付いて、葵は気恥ずかしくてケーキ選びに集中する。 苺のショート、モンブラン。ミルフィーユ、タルト・タタン、ガトーショコラにザッハトルテ。ミルクレープにフルーツタルト、チーズケーキ。次々に目移りしてしまう上に、視線を真横や背後に巡らせればカートの中にはバームクーヘンやスコーン、クッキーやブラウニーといった焼き菓子まで揃っている。もっとこじんまりした洋菓子店を選ぶべきだったかと唸る。だが病院までの道の途中にある所だと此処が一番楽なのだ。 「どうしよう剣城君…全然決まらない」 「……種類多すぎんだよここ」 「それが売りなんじゃない?」 「あー。もう苺のショート三つでいいか」 「えー、つまんなーい」 「お前がさっさと決めないからだろ」 「じゃあミルフィーユ食べたい!」 「なら苺のショート二つとミルフィーユだな」 「え、」 剣城はそう纏めると、葵の口を挟む隙など与えずに店員に苺のショート二つとミルフィーユを注文してしまった。会計もそのまま剣城が済ませてしまった為、レシートも覗けない葵は慌ててミルフィーユのプレートの下にある価格を確認してから店を出て行く剣城の後を追った。流石に、剣城に奢らせるつもりなどない。 「剣城君、お金お金!私ちゃんと払うよ!」 「別に良い」 「でもケーキ買って行こうって言い出したの私だよ?」 「良いって言ってんだろ」 突き放すような言い方に、葵は傷ついたりはしないけれど。それでもめげたりはするのだ。自分から見舞いに着いて行きたいと言い出したのに、ケーキを買って行こうと言い出したのも自分なのに数の多さに目移りして時間を食ってもし剣城を退屈させていたのだとしたら。彼女として、人間として気遣いが出来ていなかったかもしれないと思うと、自分で自分が情けない。剣城に嫌われたかもだとか、怒らせたかもだとかそんな勘違いはしない。その辺りを間違える葵ではない。剣城も、その面では自分を信頼してくれているのだと葵は知っている。 お金は要らないと言い張る剣城の主張を崩すことが出来ないまま、病院に着いてしまった。病室の優一は、もう何度目かになる葵の訪問を快く迎え入れてくれた。剣城が優一にケーキの箱を渡し、「ミルフィーユはコイツのだから」と指を差して葵はまた羞恥で顔を赤く染めるのだけれど、優一はにっこり微笑んで三人のケーキをそれぞれ部屋にあった紙皿に移し替えてくれた。 一人だけ違うケーキをチョイスしていることが居心地悪くて、洋菓子店での一部始終を暴露して「とにかく違うんです!」と必死に何かを取り繕うとする葵に、優一は笑顔を崩さないまま呟いた。 「京介は葵ちゃんを甘やかしたいんだよ」 この一言で、今度は葵だけでなく剣城まで赤くなってしまう。優一はそんな二人を見て、やはり微笑んだまま「苺みたい」と呟いて、ショートケーキにちょこんと乗っている苺を口に放り込んだ。うん、甘酸っぱい。 ――――――――――― 甘やかしの精度 Title by『にやり』 |