※葵→天水

 ――幼馴染に恋人が出来た。だからといって、一体私の何が変わると言うのだろう。
 幼馴染の天馬が、葵の先輩でもある水鳥と付き合うことになったと息を切らして報告しに来たのは、もう二か月も前のことだった。
 その日は、七月に入ったばかりの晴れた日で、もう何日も雨の降る気配を感じさせることのない炎天が続いていた。もう真夏といってもいいのではないかと浮かぶ汗を拭いながら誰もがこれ以上の暑さを想像もしていなかった、そんな日。期末が終わったばかりで、一日を締め括るのはいつだってテストや勉学ではなく部活のサッカーだったけれど、これでもう夏休みだなんて気が緩んでいたのかもしれない。手帳を開きながら、終業式までの日数を数えていた葵の元に、天馬がやって来て、水鳥と恋人になったのだと前置きもなく宣言した。これは本人に対する愛の告白でもないのだし、確かにムードなんて考える必要もないけれど、ちょっと心の準備が出来なかったと葵は今でも少しの不満を抱えている。だって本当に突然だったから、ただ呆気に取られてしまって、なんとかおめでとうの一言を絞り出すことしか出来なかった。後から振り返れば、天馬が水鳥さんのこと好きなんて知らなかったとかどっちから告白したのとか、何で相談してくれなかったのとか、色々文句に近い疑問は割と大量に浮かんでくるのに、今となってはそのどれもが言葉にすることは叶わず葵の中で消化不良を起こしている。
 天馬に好きな人がいて、両想いになったからといって、彼と自分の幼馴染という関係が変化することなど有り得ないと思っていた。実際その通りで、天馬と葵はいつまで経っても幼馴染のままだった。ただ葵は自分が勘違いしていたことに直ぐに気が付いた。幼馴染というだけでは、当り前のように傍に入られない。殊に、相手に幼馴染以上の特別が出来てしまえば尚の事。
 自然と減って行く一緒にいる時間は、葵の学校生活の中の大半を占めていて、寂しいと感じた。これまで自分が天馬に対して放って来た世話焼き故の言葉達を、どれ程水鳥に譲れば良いのか迷っている内に、掛ける言葉まで失くしてしまった。いつの間にかやってきた夏休みに、丁度いい間の置き所かもしれないと安堵したのも束の間。今までだったら気楽に出来た遊びの誘いすら上手く出来なくて、気付けば部活以外で顔を合わせることは殆どなかった。ここまで天馬との距離や接し方を測り倦ねる理由を、葵ははっきりと正しい言葉で表すことは出来なかった。ただ、寂しいだけだと思っていた。

「葵と二人で会うのって久し振りだね」
「天馬が水鳥さんとデートばっかしてるからねー」
「なっ…!してないよそんなの!」
「冗談よ。部活で顔合わせてるんだからそれくらい知ってますー」
「…からかうなよな」

 照れたようにそっぽをむく天馬に、葵はくすりと小さく笑む。夏休みの宿題を一緒に終わらせようという名目で、久し振りに天馬の部屋へとやって来た。図書館でやるという手もあったのだけれど、ああいう沈黙が大前提の場所で他人と共同作業をすることは全く以てミスマッチだ。特に天馬は、分からない問題にかち合うとうんうん唸ったり近くにいる人に助けを求めるので、司書さんからは生温い視線半分、咎める目線半分だ。どっちにしろ、一緒にいる葵は気恥ずかしい思いをするので最初から天馬の部屋を選択した。
 天馬が久し振りと言った。だけどもその前に、木枯らし荘の扉を開けた瞬間に、管理人の秋から言われた「久し振りね」の一言が葵の胸をちくりと刺した。葵は久し振りだけど、頻繁に訪れている人なら別にいるのでしょうと、まるで此処が自分の縄張りであったかのように卑屈になるのは横柄というものだろう。「後でお菓子持って行くわね」と微笑む秋に「お構いなく」と答えた。今までなら素直に礼を述べて喜んでいたのに、急に畏まって見せたのは、やはり天馬の住む世界が余所余所しく映るようになってしまったからだろう。

「私…、間違ってたのかな」
「何が?数学?」
「天馬と一緒にしないでよ。問題集は答え合わせまでばっちり終わってるんだから」
「わあ、見せて!」
「答え貰ってるのに何でよ。自分でやりなさい」
「ちぇー」

 お門違いも甚だしい。期待外れとなった天馬は仕方ないと自分の問題集に向き合い始める。こんな至近距離で天馬を眺めたのはいつ振りだろう。遠い思い出ならば滾々と溢れ出てくるのに、何故近付けば思い出すことすら困難になるのだろう。
 そうして葵は気付くのだ。こんなにも寂しいのは、「寂しい」の一言では到底言い表せない悲しみがあるからだと。自分がどれだけ天馬を好きだったか。それは、幼馴染だからという単純な理由ではなく。確かに恋とも呼べる気持ち。いつまでも自分たちは変わらずにいられるなんて、無意識な傲慢があったから、自覚する必要のなかった好意。いつの間にか、天馬だって同じだろうと思い上がっていた自分がいた。それが何より、子どもの妄想でしかなかったということに、結局離れるまで気付けなかった。

「天馬は…水鳥さんが好きなの?」
「…な、何だよ急に!」
「好きなら好きってはっきり言ってよ。好きなの?」
「好きだよ、当たり前だろ」
「うん、そうだね。そうだよね」
「…葵?」

 躊躇ってはくれない。そんな天馬の正直さを、好ましく思う。本当は、幼馴染の殻に隠れて、想い続けるだけなら自由だと思う部分もあった。身勝手で、酷い想像だとは思うけれど、だって想い続けていればもしかしてが起こるかもしれないから。天馬が、恋に恋しているだけの初な少年であったのならば、あと少し頑張ろうと葵は思ったのだ。けれど、天馬の言葉と、表情を見ていれば、幸せの零れる隙間などありはしない。
 ――これでお終い。
 まだ好きだけど、好きだから。黙り込んでしまった葵を心配するように覗きこんでくる天馬を安心させるように、精一杯の笑顔で見つめ返した。本当は、とても泣きたい。だけど葵は嘘を吐く。遅すぎた恋を終わらせて、ただの幼馴染に戻る為に。見つめ合うだけで愛しくて、浮かびそうな涙を必死に堪える。天馬は視線を逸らさない。どうか一秒でも長くこの時間が続きますように。二人の視線が解けた時が、葵の恋の終点だ。


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だから恋人には一生なれない
Title by『ダボスへ』




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