※剣葵+優一


 ある日、剣城が頻繁に病院に足を運んでいると、サッカー部の中で噂が流れた。怪我か、風邪か、持病とか?様々な臆測が飛び交う中、当の剣城はそのどれもを否定した後見舞いだとだけ言い残した。見舞いって誰のだと、剣城の恋人でもある葵は気になって仕方なかったのだけれど、他の部員の面々はなんだお前の具合が悪い訳じゃないんだなと早々にこの話題から手を引いてしまった。それはそれで薄情じゃないかとも思ったが剣城にとってはこれが好都合なのだろう。終わった話題をいつまでも引きずるのは鬱陶しく思われること間違いなかったけれど、その場しのぎに誤魔化して後々まで剣城に探るような視線を送り続けるのも嫌だった。

「誰のお見舞いなの?」

 部室を出てから暫くして二人きりになってから、彼の背中に向かって聞いた。剣城は一瞬葵が何について尋ねているのか理解出来なかったらしく、間を置いて彼女の方を振り返る。それから部室での会話を思い出して、葵の質問の簡潔な答えをさらりと呟きそうになった瞬間、はっとして口を噤む。

「聞いてどうする?」
「知る」
「何を?」
「剣城君のことを」

 それだけで、他意はない。「だって私、剣城君の彼女だよね」とは調子に乗っていると自分を戒めて言わなかった。恋人同士とは、友人同士であった頃から、どれだけ相手を自分の領域に受け入れればそう呼べるようになるのか、その線引きが難しい。特に剣城は、縄張り意識の強い猫のように周囲を警戒することから人間関係を始めてしまうような、不器用なタイプの人間だから、一層距離を測るのが難しかった。

「…放課後、空いてるか」
「…?うん、部活もないしね」
「教室まで迎えに行く」
「…わかった、」

 剣城が葵に迎えに行くと言った時。それは二人で一緒に帰ろうという誘い文句と同義だった。年頃の男の子故の気恥ずかしさなのか、剣城はあまり率直な物言いで葵に好意を伝えることをしない。一緒に帰ろうとも、手を繋ごうとも、デートしようとも直接はっきりと言われたことはない。迎えに行く、ふらふらして危なっかしいから、休日暇か。どれも言葉の裏に隠された気持ちを汲み取れなければ気付けない、剣城の精一杯で。こんな稚拙な言葉でも、剣城が考えて選んだものだから、葵は気長に待っている。
 だけど、剣城は葵が待っている間も前に進んでしまうから。時々、葵から距離を詰めようと駆け寄らなければならなくなる。今回のように。
 放って置けばそこで止まってしまう。友情ならばそれで良いのかもしれない。今、目の前にいる剣城をありのまま信じてやれればそれで十分だった。ただ葵が剣城に向けて抱く感情は友情ではなく愛情だから、今だけではなく過去も未来も知りたいと思う。剣城京介という人間を形成するように至った全てをくるんで抱き締めてあげたい。
 ――ああ、でも。私ってそんなに懐の深い人間じゃないか。
 まだ中学生の葵が、自分よりずっと難しい生き方をして来た剣城の全てを受け止めてやれるだろうか。冷静に捉えれば、自信なんてきっとない。でもいつだってそう在りたいという気概だけは誰よりも持っているつもりだから、俯いたりはしない。
 ――結局誰のお見舞いに行ってるのか教えて貰えなかったな。
 放課後。教室で剣城の迎えを待ちながら母親に遅くなるかもしれないとメールを送る。実際はいつも通り一緒に帰るだけだろうけれど、帰りが遅くなるくらい一緒にいれたら良いのにと願う葵のおまじないみたいなものだ。そうこうしている内に、剣城は迎えにやって来ていて、葵は席を立って彼の後に続く。
 他の生徒達が下校している時間帯に二人で歩くのは久しぶりで、つい自分達が他人から見てちゃん恋人のように映っているか気になってしまう。だが剣城は無言のまま歩調を緩めることなく歩き続ける。雰囲気に怒気は含まれていないがどうにも変だ。呼び止めて、どうしたのか聞こうにもタイミングが掴めずにいると、不意に剣城が立ち止まる。葵も彼に倣った後、現在地を確認しようと辺りを見回せば病院の前らしかった。

「これから見舞い行くから、一緒に来たければ来ればいい」
「いいの?」
「そう言ってる」
「行く!」

 あくまでメインはこの病院にいる誰かへの見舞いであるから、葵は剣城が自分の質問にちゃんと応えてくれたことへの喜色が返事に滲み出ないよう注意を払う。剣城は葵の意思を確認するとさっさと入口に向かって歩き出す。置いていかれないよう、葵も小走りで彼の隣に並んだ。
 目的の病室に着くまでの間、剣城は入院しているのは自分の兄の優一で病気ではなく脚が悪いのだと端的に説明した。病室の前に着くと葵を待たせて先に優一に事情を説明する為に入室した。それから直ぐに内側から扉が開いて、剣城が葵に入室を促す。普段の威勢の良さが消えて、踏み出す一歩が自然と慎重になっているのが分かる。それが病院独特の空気の所為か、初めて彼氏の身内に会う緊張の所為かは分からなかった。

「はじめまして、葵ちゃん」
「は、はじめまして…!」
「…俺、何か飲み物買ってくるから」
「え、」
「わかった」

 剣城から聞いたのか、最初から葵を名前で呼んでくる優一とは反対に、葵の声はぎこちない。それなのに、剣城は初対面の二人を残してさっさと病室を出て行ってしまった。
 まごつくしかない葵とはまたも反対に、優一は色々と聞きたいことがあって仕方ないといった風に楽しそうな表情で彼女を見ていた。

「京介が突然彼女も来たって言うから驚いたけど、なんだかすっごく良い子そうで安心したよ」
「あのっ、突然すいませんでした…」
「何で?京介が此処に誰かを連れてくるなんて初めてだからね。嬉しいよ」
「そうなんですか?」
「よっぽど君を信頼してるんだね」

 なんだこの褒め殺しは。思わず赤くなる頬を隠したくて下を向く。顔を見ずとも微笑ましいものを見る視線が寄越されているのを感じる。初対面から数分しか経っていなくとも、この視線に籠められているのは葵への厚意それ以上に剣城への愛情だと分かる。それを自覚した途端、葵の中に一つの感情が湧き上がる。
 ――負けたくないな。
 心と頭の中に浮かんだ言葉が、とてつもなく低俗な気がして葵は静かに頭を振ってその言葉を打ち消した。自分の今いる場所が、グラウンドだったならば、思っても当たり前で許される言葉だったろう。だが今葵がいる場所はグラウンドではなく病院の一室だ。
 まして、一体何に勝つというのだろう。兄弟の間にある家族故強固な絆に、他人であるが故生まれた恋心を抱える葵が張り合う舞台すらありはしないのだ。
 未だ穏やかに微笑んでいる優一と、おずおずとながらに目線を合わせる。こうなってしまっては簡単には逸らせまい。緊張で強張る背筋を意識しながら、葵は早く剣城が帰ってくることを願い、それまでは出来るだけ沈黙を貫こうと決意する。
 初対面の人間に、いつか貴方の義妹になりたいですなんて、言えたものではないのだから。


―――――――――――

僕を好きな君だけちょうだい
Title by『Largo』



「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -