※×GO時間軸・未来捏造

 午前中出掛ける前に干しておいた洗濯物が、夕方帰宅するとリビングのソファの上に取り込まれているのを見ると、春奈の頬は無意識に緩む。
 帰りが夕方になるから取り込んでおいてねとは、いつからか頼まなくなった。一緒にこの部屋に暮らしている木暮は、誰かと共同に一つの部屋に暮らすということに、最初はやけに戸惑っているように映った。家事の分担もはっきりと分けておかなければ何に手を付けていいのか逆に分からなくなるくらい、ぎこちなかった。
 そうして、くっきりと明確にしていた線引きが曖昧になって来たのはいつからだったろう。どちらかの都合や手間の不備を埋めるように、お互いが少しずつお互いの領域に浸透していくような、そんな感覚。
 荷物を置いて、洗濯物を畳もうと膝を屈めると、タイミングよく木暮が寝室からリビングへと顔を覗かせた。

「あれ、帰ってたのか」
「うん、ただいま。洗濯物ありがとうね」
「いいよ。畳もうか」
「大丈夫、それは私がするよ」

 だって木暮君私の下着とか畳めないでしょ、とからかえば木暮は恥ずかしそうに合せていた顔をぷい、と背けてしまう。洗濯物は、普段春奈の仕事だった。正確には、家事の殆どが春奈の仕事だったりする。お互い職に就いていて、単純に帰宅する時間が春奈の方が早い為、必然的にそうなった。木暮の仕事は休日に春奈の家事を手伝ったり、風呂掃除だったり、ゴミ捨てやたまの力仕事だ。それも、春奈がやる時だってある。
 初めに仕事を分担する際に、木暮は明らかに春奈の方に分量が寄っていることを気付いていたし、そのことを不満そうに追及してきたりもした。それでも春奈はもはや意固地とも呼べる頑なさで、笑顔のままこれでいいのだと押し通した。その理由が、いつか訪れたらと望む将来への打算だとは、二人暮らしに馴染むのに精一杯だった木暮は気付かなかったけれど。
 結婚とか、家庭とか、我が子とか。そういう木暮と出会った頃はまだ将来のどこかだった事柄を、あとどれくらいだろうと身近に迫って考えるようになる程度に、春奈は年を重ねた。隣りを歩いてきた木暮だって同様に大人になって来た。二人とも、何人かの友人は既に結婚して家庭を持って子どもまでいたりする。自分もそういう風になってみたいと思うことは、何も贅沢なことではないと春奈は思う。だって、相手はいるのだから。
 高校までは二人の間には馬鹿みたいに長い物理的な距離が横たわっていて、春奈はいつだって目の前に在る、だけど全貌を移せない距離というものを倒そうと躍起になっていた。パソコンや時刻表を駆使して新幹線の時間や料金を調べてみたり、地図帳で自分の住んでいる辺りと木暮の住んでいる辺りを定規で測って計算して数字を弾きだしたり。高校受験の際は京都の高校をいくつか調べてしまったくらいだ。離れて解けた絆を、身を以て知っているから、やはり時間も距離も比例して強固にしておくに越したことはないと、割と真剣に考えていた。

「俺大学はそっち行くからさあ、それまで頑張ろうよ」

 電話越しに、中学三年生の冬に貰った言葉。別々の場所で、と敢えて挟まなかった一文に、春奈はまた自分たちの臆病さを知った。怖いのは自分だけでは無かったのだと、ありのままに曝け出して貰ったあの日から、春奈はしっかりと未来の為に前を向いて歩いてきたつもりだ。
 一緒に暮らそうと切り出したのは木暮の方で、春奈もまだかまだかと待ちわびていた訳ではなかったけれど、やはり心のどこかで期待もしていたから、二つ返事で頷いた。それすらもう昔と呼ぶ時間だなんて、少し信じ難い。月日が経つのは早い。以前そう音に乗せてみたら、木暮にはおばさんだとからかわれた。

「今日遊んだのは高校の友達なんだけどね、」
「うん」
「先週彼氏さんと別れちゃったんだって」
「…へえ」
「だから今日はその憂さ晴らしと称してケーキバイキングに付き合ってきたの」
「ダイエットしなきゃとかこの間言ってなかった?」
「女の子はいつだってそう言うのよ」

 洗濯物を畳みながら、その隣に腰かけた木暮と他愛無い会話に興じながら、ぼんやりと色々なことを考える。先週彼氏と別れたという友達は、当然春奈と同い年な訳で。学生時代、どちらに彼氏がいようと何とも思わなかったのに、年を食えば食うだけ相手にやたらと共感や同情してしまうのは何故だろう。自分も相手と同じような事態になったらというもしもが、子どもだった頃よりも身に沁みるようになったのはいつ頃からだろう。
 ソファの前、カーペットに座っている春奈は、不意に木暮の方を盗み見る。目の前で任せきりは流石に悪いと思ったのか、自分の着替えやタオル類を中心にだが春奈の作業を手伝ってくれている。少なくとも、春奈にはこの人と離れるもしもなんて想像も出来なかった。ただ、相手も同じだと自惚れるくらいの愚かさもなかった。
 好き合っているから一緒にいるのだと、そんな当たり前のことを今更まざまざと確認する必要はなかった。春奈が欲しかったのは、あくまできっかけだったから。
 日常を、二人で傍にいて幸せと呼ぶようになった。だから、今度はその幸せを当たり前と呼ぶ為に、二人の関係を少しだけ変質させて、前進させるきっかけが欲しかった。
 悲しいことになのか、幸いにもなのか。木暮も春奈も、日常も幸せも当り前ではないと知っている。骨身に染みる寂しさを、冷たさを、きっと今でも拭いされてはいないのだ。だけど、温めることが出来たから。瘡蓋のままの傷を抱えてでも、握る手があればまた転ぶことも恐れずに進めると知ったから。春奈はもう一度、忘れたふりをして、愚かだっていいから前に進みたかった。勿論、相手が木暮だからこその話。
――でも、木暮君約束とか嫌いだからなあ。
 それが問題だと、春奈は手を止めることなく考える。こういう所は、器用になった。大抵の人は、春奈が物思いに耽っていることには気付かない。洗濯物を畳む作業に没頭していると思うことだろう。ただ、その大抵の人に木暮は含まれない。伊達に、春奈の恋人と同居人を兼任して、長い付き合いをしてきた訳では無かった。彼は、先程から訝しむように視線を寄越してくる。
 気に掛けてくれていることが嬉しくて、片思いじゃあないんだよ、と自分を肯定して。小さく息を吸って春奈が漏らした言葉は、直前までの葛藤が嘘のように簡単に彼女の口から滑り落ちた。

「結婚しようか」

 約束じゃなくて、実行しよう。あまりに軽やかに耳に届いて溶けたから、木暮は最初夕飯のメニューの提案でもされたのかと彼女の言葉を頭の中で反芻した。そして数秒の間。

「…は!?」
「…嫌だった?」
「そういう問題じゃないだろ!?こういうのはさあ、もっと…」
「慎重に考えるべき?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ何?」
「……男の俺から言うべきことだろ」
「…言う気あったの?」
「当然だろ!」

 何年も同居してるの何でだと思ってんだよ。顔を紅潮させながらぼそぼそと呟く木暮のリアクションが予想外過ぎて、春奈はぽかんと彼を見上げるしか出来ない。だが、木暮と同じように、何度も頭の中で彼の言葉を再生する内に胸がむずむずしてくるのが分かる。これは、恥ずかしくて、だけどそれ以上に嬉しくて幸せだという合図。その幸せがぱちん、と音を立てて弾けるように溢れ出た瞬間、春奈は膝の上にあった洗濯物を放り出すようにして木暮に抱きついた。

「木暮君!」
「うわっ、いきなり何!」
「私、木暮君のこと幸せにするからね!」
「それ俺の台詞!」
「私の台詞でもあるの!」

 突発的とはいえ、プロポーズ直後とは思えないじゃれあいに二人して呆れつつ、笑顔を浮かべずにはいられない。
 きっと、誰かはこんな所帯染みたプロポーズはロマンチックじゃないと言うのだろう。だけど春奈は全く構わないと思えた。劇的な演出など必要なくて、これで十分幸せだと思えた。だって、春奈はこんな所帯染みた日常を幸せと呼んで、当り前と呼びたいのだから。そして木暮となら、それが出来るのだから。
 うんと幸せにしてあげよう。それから、うんと幸せにして貰おう。散らばった洗濯物の柔軟剤の甘い香りに包まれながら、春奈は静かに目を閉じてそう思った。


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孤独を奪った人
Title by『にやり』



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