唐突に悲しくなって、辺りを見渡したら誰もいなかったので、春奈は声を押し殺すこともせずにわんわんと泣いた。そうしたら、こんなに悲しんでいる自分を誰も見つけてくれないことが悲しくなって来て更に涙が溢れた。
 人間ってなんでこんなに泣くんだろう。考えて、悲しいことが散らばり過ぎているからだと思い至った。例えば、悲しいことも辛いことも一カ所に纏まっていてくれたら良いのにと思う。街中を歩くみたいに、楽しいことはショーウィンドウの中やコンビニのスイーツコーナー、吹き抜ける爽やかな風の中だったりにまばらに多分に散らばっていてくれたら良い。悲しいことは、関係者以外立ち入り禁止の店裏にでも捨て置いてくれたら良い。
 どうして、横を走り抜けた貨物トラックの荷物が落下して来て、高確率で自分に降りかかるのだろう。悲しいことは、こんな風に有り得ない場所から突拍子もなくもたらされたりするから困る。
 ぐずぐずと鼻を啜る情けない姿を、大丈夫かと慰めてくれる優しい人に会いたかった。間違っても、人の不幸を笑って横っ面を張るような人には会いたくなかった。例えば、今春奈の前にいる、佐久間のような人には、特に。

「…何泣いてんの?」
「見てわかりませんか、」
「わかるわけないだろ」

 貴方になんか、わかるもんですか。唇だけで象った罵声は、当然佐久間には伝わらない。春奈だって、ただ突然悲しくなってしまったのだから明確な理由なんて示しようがない。
 泣き出す前に、自分が何をしていたのかを思い出す。使い終わったタオルの洗濯だ。運動部の部室棟には運動部用の洗濯機が備え付けられているが如何せん、つい最近まで運動部の中で冷遇を受けてきたサッカー部の部室はひとつ外れた場所に設置されている為、グラウンドから近くもなかった。だから春奈は保健室に備え付けられている洗濯機を使用するようにしている。こっそり保健医に頼み込んで許可を貰った。保健医という弱った子どもを保護する立場にある為か、逆境の中懸命に頑張るサッカー部はなかなか好意的に受け入れられたらしく、春奈のお願いはあっさりと了承された。以来、春奈は洗濯を任されると決まって保健室に向かうようになった。部活は放課後行われるので、保健医はあまり保健室に駐在していない。よって顔を合わせる機会は殆どなかった。春奈としても、外に面した扉の鍵が開いてさえいればそれで問題なかった。
 タオルは全部洗濯機にぶち込んで洗剤を水量よりも若干割合少な目に投入して蓋を閉じる。ぐおんぐおんと音を立てる洗濯機をぼんやりと視界の隅に起きながら椅子に座って待つ。この隙にグラウンドに戻って次の指示を仰いだり、他の仕事を手伝うべきかもしれないが、割り振られた以上の仕事をすると、春奈の先輩達は決まって申し訳なさそうな顔をするから春奈はそれをしないことにしている。気にしないで下さいとは簡単に言えるが、気にしないでいることは難しい。他人に委ねることと、実際に行動に移すのとでは雲泥の差がある。
 そんな風で、春奈は洗濯機がけたましい終了音を発するのを待っていた。二十分以上、三十分未満。平均してその程度の時間。その程度の時間の中で、春奈はなんだか悲しくなってしまったので、わんわん声をあげて泣いていた。そしたら他校生である佐久間がやって来た。一体どうしたことか、春奈がぱちぱちと瞬くと、流れ損ねていた雫が頬を伝って落ちていった。

「廊下まで声聞こえてたぞ」
「もう校舎には殆ど人なんて残ってないでしょう」
「うわ、もう涙引っ込んでるとかあれ演技?」
「そういうこと言う人の前で泣き続けるとか追い討ちをかけるような言葉しか出てこなそうなんで、気合いで引っ込めました」
「じゃあ今ならなんか言えば泣かせるのか」
「ほんと、佐久間さんてサイテーですね!」

 大体なんで帝国の佐久間が雷門にいて校舎に上がり込んだ挙げ句に保健室に出現するのだろう。疑問はいくつかあって、迷子だろうかと、自分としても予想外の可能性を打ち出してみても直ぐに有り得ないだろうと打ち消す。
 適当な言葉が浮かばなかったので、視線だけを佐久間に向けて訴えてみる。訝しみや、邪険に思う気持ち、疑問や他にも顔だけはお綺麗ですねと皮肉も込めてみる。それはやはり、友好的なものではない。そして、そういう類のものの方が如実に伝わるのが人間の不思議。
 佐久間は舌打ちをひとつと苛立たしげな視線を向けてくる。春奈は、この程度で萎縮するほどか弱くなかった。少なくともこの佐久間が相手となれば。

「…佐久間さん、何しに来たんですか」
「練習試合の申し込み」
「キャプテンと夏未さんはグラウンドでしょう。響木監督は今日は来ませんよ」
「あっそう」
「…すっごく図に乗ってるかもですが、私、情報処理は得意ですが部のスケジュールまでは管理してないですよ」
 でも取り敢えず、今月はどの週末も空いてますよと教えて、佐久間に向けていた視線をまた洗濯機に戻す。残ったのは沈黙。
 横目ですら佐久間を見ないように意識している春奈だが、彼からの視線をありありと感じて居心地が悪い。他校生に通い慣れた学びやの居心地を悪くされるなんて、と段々と不機嫌にすらなりそうだ。
 春奈はちっとも気付かないが、彼女を凝視する佐久間の表情も不機嫌一色である。
 雷門に、電話で済ますことも可能な試合の申し込みをしに訪れたのは気紛れだ。顔馴染みへの挨拶をする気になったからというのが一番大きかった。ただ敷地内に足を踏み入れ、真っ先に目に入ったのが洗い物を抱えた春奈だったので足が矛先を変えてしまった。
 春奈は気付かずにさっさと室内に入ってしまったけれど、窓をノックすれば挨拶程度なら簡単に済ませると思った。偶々なのか、通常通りかは知らないが、窓は全部カーテンが閉まっていたし、春奈が入るのに使った扉は鍵を閉めてしまったらしい。必要ないだろうにとは思ったが対面もしていないから文句も言えない。挙げ句室内からわんわん泣き叫ぶ声が聞こえてきたものだから、佐久間は驚いて保健室を目指したのだ。保健室の廊下側に回り込んで窓を開けて飛び越えた。誰かに見られていたらかなり厄介なことになっていただろう。因みに、春奈も佐久間も気付いていないが、相当慌てていた為、彼はまだ土足で入口に突っ立っていたりする。

「…どっか痛むとか何かされたとかで泣いてたんじゃないんだな?」
「…違います?」
「疑問形かよ」
「まあどうあるにせよ、佐久間さんの心配には及びません」

 佐久間は春奈のこういうところが気に入らない。尊敬すら抱いた元チームメイトの妹は、時々変な意地を張る。関係ないでしょうと佐久間を遠ざけながら、なら簡単ある人間に素直に胸中を打ち明けて甘えているかと思えばまた違う。
 情報収集や処理等の手際は良いのに、何故こうも下手くそな生き方をするのだろう。
 佐久間はそれが分からなくて、そんなことを気にしている自分自身も分からなくて、戸惑っている。

「佐久間さんまだグラウンド行かないんですか」
「俺の勝手だろ」
「まあそうですが。それなら洗濯物干すの手伝ってください」
「お前本当に図太いな」

 矛盾していると気付きながら、だが春奈は自分にこう思っていて欲しいのだろうと思うから、佐久間は本音を簡単に隠す。
 春奈が自分から遠い人間である方が遠慮なく図太くあれるのならば、佐久間はもう暫くは彼女を遠くから眺めているだけでいようと思う。
 いつか近付いてどうするかなんてそんなことは知らない。ただ春奈がひとりで泣いてそれを隠すくらいならひっぱたいてでも自分の目の前で泣かせてやる。
 傾いた思考が耳に刺さった音に引き戻される。雷門中の保健室の洗濯機の終了音は、佐久間の知っているものより多分にうるさかった。


―――――――――――

あなた以外からの救いがほしいの
Title by『オーヴァードーズ』




「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -