※豪夏←半←夕
※半田が教育実習生


 言わなければならないことがある。きっと半田は知っていて、その話題を自分とだけは展開しないように意識しているのだろうけれど。
 夕香は、ここで黙り込むことが如何に半田にとって都合が良いかを知っている。しかしそれが優しさだとか空気を読んだ行動だとは認めない。今まで散々に逃げ続けた半田を、最後の最後まで逃がし続けることは、夕香にとって自分の気持ちを中途半端に投げ出すことと同様に思えた。

「お兄ちゃんと夏未お姉ちゃん、結婚するんだよ」

 夕香の言葉に、半田は一瞬肩を揺らした。それは、唐突に声を掛けられたからか、話の内容の所為か。豪炎寺と夏未が結婚することなんて、半田の耳に入らないことの方がおかしい。中学時代から想い合っていてそのまま結婚するなんてすごいと何も知らない周囲は持て囃すかもしれないけれど、正確には、中学校以降の彼等の世界はあまり広がって行かなかったように思う。個人々々では選んできた道の違いから知り合う人間も多様にいただろけれど、二人共通の知り合いといえば専ら中学時代の友人たちばかりだった。それだけ濃い体験をした時期が二人して同時期だったことが理由かもしれないが、仲が良すぎて他人の入り込む余地すらなかったのは如何なものか。元より、入り込む気もなく二人の近くにいることが出来た夕香の疑問など、抱くことすら遅すぎた。
 半田が兄の恋人である雷門夏未のことを好きだったと知ったのは、割と最近のことだ。だが彼がいつから彼女のことを好きだったかを指折り数えると、夕香が半田と知り合った時分まで遡ってしまうのだから相当の年月だと言わざるを得ない。それは、夕香を基準に考えると彼女が小学校低学年という幼い頃からという計算になるからそう感じる。当時中学生だった半田からすると、長いと感じるのか、あっという間の短い年月だったと感じるのか、夕香は知らない。
 数日前、兄と、既に彼の家に同居している夏未とに夕香は呼ばれた。夕食を食べ終えた後の、リビングでの出来事。二人とも微笑んで、あまり仰々しく伝えることでもないかもしれないけれどと前置きをした上で、結婚しようと思っていると夕香に説明した。確かに、いつかはするものだろうと妙な確信を持っていた夕香は驚きもしなかったし、そうなる未来しか予期していなかったから、それが叶うならば純粋に嬉しいと素直に二人を祝福した。夏未に抱き着いて、何度もおめでとうを告げて、照れくさそうに微笑む夏未とそんな彼女を優しく見つめる兄の祝福を心底願った。その時は、正直半田のことなど頭の中からすっぽり抜け落ちてしまっていたのだ。
 家族である夕香に、そして父にも報告したのだろう。となると、次はきっと中学時代からの友人たちに報告するに違いない。そう気付いたところで、夕香は漸く半田の夏未への気持ちを思い出した。
 彼は悲しむだろうか。そう考えてみて、直ぐに心の中で首を振る。彼は動揺もせずにへらりと笑って二人を祝福するだろう。半田の夏未への恋は、追いかけるには随分と褪せていて、諦めるにはどうにも根強いものだった。夕香が半田から直接聞いた限りでは、彼は夏未を好きだったけれど、見つめるしか出来なくて、彼女が豪炎寺と結ばれた時も痛みよりも納得を覚えてしまったらしい。そうしてそのまま、半田は自分の恋を放置した。風化することもなく劣化することもなく、淡い気持ちはずっと彼の中に眠り続けている。その代わり、どんなきっかけが訪れても再び花開くことはないであろう、そんな恋を、半田は夕香の未来の義姉に対して抱いている。

「半田さんは、二人の結婚式出るの?」
「そりゃあ出るよ。まあ、まだ招待状とか来てないけどさ」
「すぐに届くよ。きっと中学時代の知り合いが一番多いよ」
「だろうなあ。…あ、今学校だから言葉遣いね」
「今更過ぎ」

 具体的な日取りさえまだ決定していないのだろから、招待状なんて届く筈もないけれど、だけど絶対届くから、夕香はじっと半田を見詰めながら尋ねる。彼の答えは、まあ予想通りだった。そして普段の様に、夕香の親しげな口調を注意する半田に苦笑する。何もそんなに警戒しなくても良いのにと思う。決定的になってしまった恋の終わりにつけこむことは、普通どおりに恋の手順を踏んで行くよりもずっと簡単なのかもしれないけれど。それは、夕香に言わせると、ちょっとずるいことだから、しない。何より自分の大好きな人を利用するなんてこと自体が許せないのだ。

「半田さんはまだ夏未お姉ちゃんのことこれからも好き?」
「……。そういうことは職員室で聞かないでね」

 率直する夕香の言葉は、いつも半田の頬をひきつらせる。敬遠したいとか、そういう感情は抱かないけれど、物事に潔癖であろうとするその姿勢は彼の直接の兄よりも、今も同居しているという夏未の方に似て来てしまっているようで、微笑ましくもあった。そんな、真っすぐ過ぎる少女の言葉を、いつも適当にはぐらかして逃げ回れるくらいには、頭の良くなかった自分も言葉を知ったし、それを使いこなせるようになっていた。嫌な大人になったものだと思いながら、未だ親の脛をかじっている現実に己の幼稚さを見る。いつまで経っても、中途半端だ。
 好きでいたいとか、好きでいようとして、幼い恋を未だに引き摺っている訳ではない。何となく、終わらせることが出来ずに、終わらせ方も分からずにいる。だけど、いい加減終わりにしなくてはいかないのだろう。人妻に恋しているなんて、体裁としてはあまりよろしくないだろう。想うだけなら自由なんて、その通りだけど、線引きしておくことだって大事だと思う。
 自分と何の関わりもないままに幸せになる夏未に対して、思うことも特にない。なるべくしてそうなるのだと思っているから、夕香が探るような眼で自分をじっと見つめて来ても逸らさずに微笑むことだって出来るのだ。
 処理していたプリントをまとめて机上に置いて、隣に立っていた夕香の顔をじっと見る。椅子に座っている半田と彼女とでは、いつもとは逆で彼女の顔の方が上にある。思えば、自分から彼女と目線を合わせるなんて久しぶりの様な気がした。それ程に、普段の夕香の押しが強いということでもある。

「俺は全然平気だよ。だから、夕香ちゃんがそんな泣きそうな顔する必要はないんだ」
「…だって、そんなのずるいじゃないですか」
「……何が?」
「私は好きな人とは一緒にいたいです。自分を選んで貰いたいです。相手が幸せなら相手が自分じゃなくても平気なんてそんなの、何かずるい」
「ずるいかなあ?」
「……だってそれは恋じゃなくて愛でしょう?」

 いつの間にか泣きそうな顔で眉を下げる夕香の言葉に、半田は言葉を失くし、だが実感も湧かずに首を傾げた。彼女はやたらと自分を持ちあげた捉え方をしてくれているらしかった。昔馴染みの松野辺りに言わせれば、ただのヘタレと称された自分の恋を、そんな綺麗な言葉に例えて掬い上げてくれるのだから。
 そんな、純粋な彼女が選ばれたいと思っている相手がまさかの自分だなんて、未だに疑いたい気持でいっぱいの半田は、結局いつだって逃げ腰なのだ。
 誰かを好きになるということが、一体どういうことなのか。正しい形なんてきっと半田は分かっていない。決まった型があるものでもない。だけど、今ここで自分を好きだという少女の気持ちに甘えてしまうことだけは絶対違うと分かっているから、半田は夕香に触れることすらしない。手を繋いだり、抱きしめたり、キスしたりなんてことは絶対に。好きだといえば好きだし、愛しいといえば愛しいのに。二人の向け合う感情には、昔からずっと大きな齟齬を孕んでいた。
 どうにもならないと投げてしまうにはあまりに不誠実だが、どうにもならないと構えることしか誠実と呼べない事態に、半田はただ突っ立っている。いつだって自分に駆け寄って来る夕香を受け止めてやるには、彼の持つ愛情はあまりに薄い。

「大丈夫だよ」

 結論の出ない会話を終わらせる為に吐き出した言葉は、本音のつもりでもどうにも弱々しく嘘臭さを孕んでいた。心配そうな表情を崩さない夕香に、慰めの言葉も浮かばずに微笑むだけの半田は、半人前教師の皮を被った、只の臆病な大人だった。
 愛される自分なんて、知る由もなく気付けない。瞼の裏に浮かぶ恋しい少女と目の前の少女をすり替えようとする自分が嫌で、半田は逃げるように夕香から視線を逸らした。



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もしもきみが吐いた嘘にキスひとつできたならそれが愛になるのだろうか
Title by『深爪』




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