8月31日の夜とは学生である内はきっと誰にとっても切ないものなのだ。たとえ宿題に追われていない身であったとしても、過ぎ去った一つの季節の思い出ばかりが一気に蘇って来る。
夜に一人で出歩いた事など、冬花には無かった。良識的かつ少しばかり過保護な父に育てられた彼女に、父は夜の外出を望まなかったし、何より冬花もそう夜更かしをする子ではなかった。普段ならもうお風呂に入って寝る準備万端と言った時間帯。冬花は初めて父の望みを、大袈裟に言えば裏切って公園へと繰り出していた。

『花火をしよう』

そうミストレに切り出したのは、冬花の方だった。夏の初め、小さなきっかけで出会ったミストレと冬花は、その夏の殆どの時間を共有するようにして過ごした。尤も、大半はミストレが冬花の行く先々に現れるという若干の誤解を受けても仕方ないような接触だった。だが何故なのか、冬花はすんなりとミストレを受け入れた。絆された、というのとはまた違う。冬花は何処かで悟っていた。ミストレと過ごす時間は、自分の一生の中できっと短い時間でしかないだろうと。そして時々、ミストレはそんな冬花の予感を肯定するように遠くを見ては呟くのだ。

「もうそろそろ帰らなくちゃいけないんだ」

何所に、とは当然尋ねた。答えは、ずっと先に、だった。ミストレはあっさりと自分を未来人なのだと打ち明けた。過去にはちょっとした任務で訪れ、偶然自分に出会ったのだと。だけど、どうして自分がこうまでして冬花に接触を持ち続けるのか、それはミストレ自身よく分からないのだとも言った。だから冬花は、ミストレが未来人という情報だけを脳にインプットし、それから少しだけ、お別れを嫌だと思った。

夜の公園には、ミストレと冬花以外誰もいなかった。驚くことに花火をしたことがないというミストレに、冬花は未来には花火はないのかと尋ねた。ミストレはおかしそうに首を振って自分の育った環境の問題だとだけ言った。その環境は果たして未来に於いて普通なのか異常なのか、判断しかねた冬花はとりあえず持ってきたバケツに水を汲んでくるという口実でその場を離れた。スーパーで購入しておいた花火のセットをミストレに押し付けどれからするか決めておいて、と小走りで水道まで向かう。
夏の夜の空気、耳にざわざわと届く音と肌に纏わりつく暑さ。水がバケツの底を打つ音を、冬花は出来るだけこの身に刻もうとする。直感が、訴える。きっと、もうすぐお別れ。だから思い出が欲しかった。冬花にも、ミストレと同様、何故自分が彼をすんなりと受け入れこの夏の大半を共に過ごしてきたのか、その理由は曖昧なままだと思い込んでいた。だけど、本当はなんとなく気付いている。ミストレもきっと気付いている。
それでも、そこに自覚という息を吹き込んではいけないと、お互いが幼い経験の中で理解している。避けられない別れがきっとある。結ばれない恋だって、世界には沢山ある。その中の一つが、きっとこの想いなのだ。

「水、まだ?」
「……まだ」
「……いや、もう満タンじゃん」

水道の蛇口を締めて、花火の消火には不必要な程に水の張ったバケツを片手で持ち上げて歩くミストレの背を見つめる。待ちくたびれたのでは無く、重くなったバケツを代わりに持つ為に声を掛けて来たのだと見抜ける程に、冬花はミストレを知りすぎた。だから、この夏を、無言で通り過ぎる事も、冬花には出来ないのだ。

「あっという間だね」
「花火ってこんなもんなんでしょ?」
「うん、花火も、季節も、楽しい時間はあっという間」
「……冬花、」
「良いよ、…別に、良いんだよ」

(――何も言わないでいい、貴方は。)

必死に噛み殺した言葉の代わりに洩れた吐息が、きっと泣いていたことを、ミストレは知っている。深入りすればするだけ別れまでの時間が辛くて速くなる。誰かがミストレに放った言葉。どれもこれもが的確すぎて、プライドの高い彼にしては珍しく言われるが儘だった。だけど今この夏を振り返る中で、ミストレはたった一つ言い訳をする。確かに、冬花との時間は辛くて速かった。だけどそれ以上に幸せで穏やかだったと。着実に別れとの距離を詰める二人は、間違いなく笑い合い手を取り合っていたのだから。
会話を弾ませるでもなく、時間と花火は確実に消費されていく。楽しいのか、と聞かれればミストレは首を傾げる。沈黙は決して楽しくはない。だがきっと忘れない思い出としては刻まれる。隣りに冬花がいるという、たった一つの理由で。

「これで最後」
「……これ、花火?」
「うん、線香花火」

手にした細い花火をぶらぶらと揺らすミストレに火を着けるから、と促せば危ないから俺が着けると火を取られた。その時触れた指が細くて、余りに自分と違わな過ぎて、冬花は夢を見ているような気がする。それは、ミストレが未来人ということか、彼が未来に帰らなければいけないことか、自分達が出会ってしまったこと自体か、或いは、全てが。
灯った火は小さい。自然と蹲って真剣に花火の先を見詰めるミストレに、自然と冬花の頬も緩む。

「地味だな、これ」
「でも綺麗でしょう」
「冬花がね」
「冗談はいらないよ」

冗談じゃない。出会った頃から、ミストレがずっと思っていること。冬花は綺麗だ。顔についてなら、自分も随分綺麗、綺麗と、ちやほやされて来た。だけど、冬花の綺麗さは、彼女の内面が生み出す雰囲気だとか、そういったもの。そしてそれが、本当の美しさの様に思えた。ミストレは、そんな冬花の内面を知りたくて、触れたくて、いつしか離れたくなくて、ずるずると時を重ねてしまった。一カ月と、少し。長い人生という尺度で測れば、きっと一瞬のように短い時間。その間の全てを、ミストレは一生忘れないと断言できる。それ程に、冬花を想った。自覚など、本当はずっと前からしていたのだ。ただ、それ以上に伝えないという覚悟が強かった。それがきっと冬花を苦しめるだろうことには目を伏せてしまった。

「ミストレ君」
「ん?」
「競争しよう」
「競争?」
「どっちの火が、最後まで消えないで残るか、競争しよう」
「……良いよ」

戯れにしては、声が真剣だったから、ミストレも真面目に線香花火を握る手に神経を集中させた。結局は運任せな勝負ではあるけれど、冬花が、この競争に何らかの願いを込めている気がして、それならば自分の願いもこの花火に伝わってくれやしないかと思う。何を願うのか、どうして、誰に願うのか。きっと二人の願いは最初からたった一つでしかなかった。

「――忘れないで」
「冬花?」
「お願い、私を…、どうか…、」

とうとう堪え切れなくなった涙が、冬花の瞳から零れ落ちる。その中の数滴が線香花火に降ってその火を消した。それと同時に、ミストレは冬花を引き寄せていた。手にしていた花火は、地面に落ちている。
忘れないでと繰り返す冬花の涙を肩で服越しに感じながら、ミストレはただ歯を食い縛って何度も頷いた。行かないでとは、冬花は言わなかった。言えなかった。だからミストレも帰りたくないとは言わない。きっと今すぐにでも訪れる別れは二人だけが知る。この夏が終われば、二人が共に過ごした時間は夢のように思い出として心の中に溶けてしまうだろう。それならば、他の誰を悲しませたって構わないから、今ここで、この夜の闇に溶けて消えてしまいたかった。叶わないと知りながら、広過ぎる世界の一角で、身を寄せ合って二人は願った。
地面に落ちたまま燻り続ける花火の灯がまた一つ、幼い二人に現実だけを突き付けていた。



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季節は過ぎた
Title by『彼女の為に泣いた』




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