何かあったら、必ず力になるから。だからいつでも電話してくれて構わないと微笑んだ恋人の言葉を、リカは何度も反芻してはやはりどこか他人のように遠い言葉だと感じる。ひとりきりの部屋で握りしめる携帯はいつだってリカが迷わず使用する他人と繋がる為のパイプだったのに、最近のリカは携帯を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返して、結局それをベッドの上に放り投げている。
 少し前の自分ならば、持て余した時間を消費する為に誘いを掛ける友達に困ることなんてなかったと思う。そして、別に今だって困っているわけではない。リカからアクションを起こさずとも、友人の多い彼女は声を掛けられることだって多いのだから。しかし、そのどれもこれもを断ってリカは今日も自分の携帯と睨みあい、投げ出すことを選んでいる。その原因となっている人物は、リカの恋人であったから、リカは友情を大事だと知りながら恋をするとそちらにのめり込みがちな自分にいつも苦笑するしかない。そんな自分と変わらぬ付き合いを続けてくれる友人等に、ただ感謝するばかりだ。
 恋人であるマークが、自分に送って来るメールや、掛けてくる電話に払っている多大な気遣いを、リカは取り除いてやることも出来ずに、同じように不要なそれを積み重ねてぎこちなさばかりを覚えた。確かに向けられる好意が、なぜそんなにぎこちないのか、それは初々しさからくるものでないから、リカはどうしようもなかった。時間が自然と解決してくれるような問題ではない。時間が経てば経つだけ、人間は慣れる。今回も、そう。マークは慣れてしまった。かつて、一之瀬一哉という人間に、一途に想いを寄せ続けたリカを愛することに、慣れてしまったから、なんの疑問も抱かず、受け入れた。
 どんなリカも好きだよ、とも、カズヤを好きなリカも好きだよとも平然と言ってのけるマークの心情を、リカは測りかねる。あんなこと言ってはいるけど、本当は自分だけを想っていてほしいんだよと誰かが耳打ちでもしてくれたなら、リカは喜んでマークだけが愛しいと抱き締めに駆けだすことだって出来るのに。マークとリカの恋人という擦れ違った関係を知っている人間なんてどこにもいなかった。誰かに相談しようとも思わなかった。だってきっと理解できない。付き合う、という関係に至るには、互いの好意の確認を経るのが一般的だろうから。なかには利害の一致だとか、妥協や諦めで繋がっている人間たちもいるのだろうけれど。だけど自分たちは、このどれにも当て嵌まらない気がして、周囲に前例が転がっていないものを、一から組み立てて説明するのは、リカには難し過ぎた。
 マークがリカに初めて好きだと告げた時、彼女はまだ一之瀬のことが好きだった。リカの一方的な片恋慕であることは明らかだったけれど、そのあけっぴろげな好意は割と周囲にも広く知れ渡っていた。きっとその恋は報われないであろうことも、同じくらい知られていた。それでも誰も彼女を止めなかったのは、リカ自身がはっきりとそれを自覚した上で一之瀬を好きでいたからで、一之瀬が申し訳なさそうに笑めばリカはわかっているからとその先に釘を刺すように笑んだから。そんな二人を一番近くで眺めている内に、マークの感覚は段々と鈍って行ってしまったらしい。何度目かの告白で、リカがマークの想いを受け入れたとき、素直に嬉しいと思いながらリカはまだカズヤが好きなままに違いないとも思っていた。疑っていたわけではなく、それが当然の事実だと思い込み表情を歪ませることなく言葉にすらしてみせるマークに、リカは悲しみとか恥ずかしさとかショックだとかよりさきに申し訳なさが勝った。どうやら自分の周囲を顧みない想いのぶつけかたは、他人の恋愛の在り方を捻じ曲げるだけのおかしな影響力があったようだ。他人、と称するにはあまりに身近すぎた相手では、あるけれど。
 今は、マークのことがちゃんと好きだと、リカはきっと本人に伝えるべきだとわかっている。両想いなのだから、ありふれた恋人のようになりたいのなら、根強過ぎるマークの偏見に似た思い込みを払拭しなければならない。ただ根強過ぎる偏見は、その中心の話題に及んだだけで固く扉を閉ざしてしまうのだから面倒だ。
 リカは、自分が賢い部類の人間では無いことを知っている。愚直と思われ、そこに良い悪い両方の意味を内包させていることも知っている。理屈っぽいことは嫌いだった。だから、サッカーをすることが好きだったし、自分を着飾ることだって好きだった。体を動かすことの楽しさも、女の子だからと可愛らしい外装に憧れるのも、誰も疑問に思わず、説明する必要なんてどこにもないものばかりだった。単純なものが好きだ。それを、馬鹿だといわれるのなら、リカはじゃあ自分は馬鹿なんだろうと冷静に受け止めている。それとは反対に、マークは頭の良い人間だと思っていた。他人の上に立って、纏めて、それが出来るだけの力が備わっているということは、立派なことだ。立派は大袈裟だとしても、くだらないことなどではないだろう。
 マークの振る舞いが好きだ、と言えば恋人の言葉としては淡いかも知れない。勿論、マークというひとりの人間の抱える全てを愛していて、その中で細分化した好ましい箇所のひとつとしての例だ。並び歩くときの、自然なペースダウンも、繋ぐときに淀みなく差し伸べてくる手も、絡める指も、離れるときの、名残を惜しむ表情だったり、最後に触れる指先の感触だったり、リカはマークのありとあらゆる箇所が好きだった。
 だけど、そのずっとずっと奥の方に眠ることなくマークを突いているリカに対する偏見だけは、好きにはなってやれなくて、マークがその偏見の所為でリカからふい、と視線を逸らした瞬間に、リカはマークって馬鹿だなあと思う。好きだけれど、すっごく愛しいのだけれど。馬鹿な男だと、愛おしんでいる。
 こんなマークとリカを交互に見詰めながら、空気の読める男である一之瀬は何も言わない。しかし、相変わらずリカに対して申し訳なさそうに笑むのだ。リカも、相変わらずわかっているからと笑い飛ばしてその先は言わせない。謝罪なんて寄越そうものならその人受けの良い顔面を拳で殴り飛ばしていただろう。
 そんな申し訳なさそうな顔をするのなら。リカは思う。一之瀬とマークを同時に呼び出して、一之瀬の前で自分からマークにキスしてやれば、マークも少しは頭を柔らかくして現在と、これからの二人の関係について目を開いて見てくれるかと。
 何度も開閉してベッドに放り投げられたままになっていた携帯を取り上げて、久しぶりにカチカチとメールを作成する。アドレス帳から呼びだすのは勿論一之瀬とマークだ。自分は馬鹿だから、取り敢えずやってみて駄目だったら次を考えるくらいの無鉄砲が丁度いいのだ。送信ボタンを押してから、五十音順に並んでいるアドレスの、わざわざマ行の人物を一番に選んで作成されていたメールに、やっぱり自分はマークが好きなんだなあと実感して、また携帯を閉じた。


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やすりで心をけずらないで
Title by『ダボスへ』





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