※ずっと前の話

 かしゃん、かしゃんと針の入っていないホッチキスを二回ほど押して、楽しくもない手遊びをする。秋の右手に収まっている青色のそれは、彼女の向かい側に座っている円堂が使用している赤色のそれとセットのものだった。任された作業はまだ終わっていない。秋は緩慢な動作で予備のホッチキスの針を装填して、もう一度かしゃん、かしゃんと二回ホッチキスを押す。今度は、二本の針がぽとん、と落ちて来た。無駄にしてしまったと思いながら、文具屋では千本入りの箱が三箱一組で売っている大量消耗品だから、二本くらい大丈夫だと思うことにした。
 放課後の教室に残っているのは、もう円堂と秋しかいなかった。何度か教室に忘れ物や荷物を取りに来たクラスメイトもいたけれど、それもここ数十分の間はとんと姿を見せなかった。それほど時間が経てば、休みながらも地道に手を動かしていた甲斐あって、担任から押し付けられた明日の学年集会の冊子作りという面倒な仕事も半分は終わっていた。
 快く、引き受けたわけでは無かったけれど、頼まれたなら、まあ仕方ないかと思う。担任が、申し訳なさそうに笑って、学級委員に頼むのをすっかり忘れていたのだと言った。放課後を迎えた校舎はにぎやかで、だけど閑散としている。もう教室にいなかった大して仲良くもない学級委員の男女二人は、きっとどちらももう部活に向かってしまったのだろう。だから、たまたま目に着いた円堂と秋に、担任はクラスの人数分の冊子を纏めるようにと、二つのホッチキスと大量のプリントを押し付けた。職員室前の、廊下でのこと。
 円堂は何も気にしてないようで、任されたのだからと、さっさと教室に戻って行った。押し付けられた荷物を全部何も言わずに持って歩きだした円堂に、普段ならば秋は温かい気持ちになったりもしただろうに、今日はそんなことと思ってしまうほど、秋の胸の内は悲しみばかりが溢れだして、泣かないように下を向きながら円堂の後ろを着いていくことしか出来なかった。教室に戻って、机を二つ向かい合わせて作業台を作るときも、どっちのホッチキスが良いかと聞かれたときも、教室に入って来たクラスメイトに別れの挨拶をするときも、笑う円堂の隣で、秋は笑おうと努めていただけだった。段々と、悲しみが苛立ちに変わってきたことには、直ぐに気付いたけれど、ぶつける相手が見つからなくて、ぶつけるようなタイプでもないと自分で決めつけて、秋は沈黙を選んだ。こういうとき、円堂の沈黙を下手に勘ぐらない性格は今の秋にとってはありがたかった。

「秋…怒ってる?」
「怒ってないよ?」

 一度だけ、円堂は秋に尋ねたけれど、秋はホッチキスを動かす手を止めずに嘘を吐いた。円堂は、違和感を覚えても疑い続けることは苦手のようで、彼女の言葉に納得する外なかったし、した。思考と作業を別々に同時に行うことは、円堂には出来なかった。
 嘘を吐いた。だけど、全てが嘘だったわけではない。怒っていたわけではない。ただむしゃくしゃしているだけなのだ。秋らしくないと、中学に入ってから出会ったばかりの友人たちは言うだろうか。だけど、秋だって人間だし、子どもだし、好きなものがあればそれ以外もあるし、周囲に圧迫された日常の中で少しずつ、欝憤として蓄積されてきたものに、見ない振りを出来なくなることだってある。秋は、どうあっても円堂のように排他的には生きられない。出会った人間から何か情報を受け取る前に、自分の感性ばかりを押しつけて微笑んで去るなんてことは出来ない。ぶつかることで先に進めるらしい円堂が、秋には眩しくて仕方ない。秋は最近、息苦しい。
 部活に行ってしまった学級委員を呼び出しもせずに、自分たちに仕事を押し付けた担任を、秋は少しだけ嫌いになった。仕方ないと思いながら、やっぱり仕方なくないと内心で意見を翻した。担任の申し訳なさそうな笑顔の裏を探ったつもりはないし、疑ってもいない。だけど秋は決めつけている。馬鹿にされたのだと思っている。
 だって、私達だってちゃんと部活をしていたのよ。秋は、俯いていた顔を上げて、円堂を見る。丁度、同じように顔を上げた円堂と視線がかち合って、ぎょっとしたように自分を見る彼の表情から、自分はひどく情けなく泣き出しそうな顔をしているのだろうと察した。
 二人ぼっちの部活を、少し寂しく思っても恥ずかしく思ったりはしない。サッカー部を銘打ちながら部員は二人しか在籍しておらず、選手に至ってはキーパーひとりしかいないからといって、何だと言うのだろう。おかしそうに指をさす人間のそれを、秋はいつだってへし折ってやりたい。物騒だけれど、つまり、失礼だと言いたいのだ。二人だけのサッカー部は、部活としては全く機能していないのに、その存在だけはなかなか有名だった。校庭は使わせて貰えないけれど、円堂がサッカーの特訓をしている姿は頻繁に目撃されているし、その直ぐ傍には橙色のジャージ姿の秋がいる。放課後には部員勧誘の為に声を張り上げていることもあるから、帰宅部の面々にだって認識される。それなのに、あの担任は部活中の二人にあっさりと仕事を押し付けたのだから、秋は納得いかない。部活としての体裁が整っていなくとも、そこに込める情熱は絶対負けていないのにと、披露する場もない言い分だけが、秋の内側でわだかまっていた。

「秋…どうした?」
「なんでもないよ、部活したいなあって思ったの」
「…ああ、そうだな!」

 今度は、嘘は吐かなかった。心から思っている。こんな、ホッチキスでプリントの角を揃えて纏めて留める単調な作業よりも、円堂と泥で汚れるのも構わず部員勧誘に奔走したり、彼の特訓に日が暮れるまで付き合っている方がよっぽど楽しくて、充実しているのだから。秋の言葉に、その通りだと笑顔で頷く円堂を見つめながら、秋はその想いをより強くした。
 残りの作業を終えると、時計は既に下校時刻間際で、今日はもう部活など出来そうになかった。纏め終えた冊子を、また円堂が全部抱えて職員室に向かう。半分持とうかと声を掛けたけれど、円堂は笑って秋の申し出を断った。教室に戻って来た時とは違い、秋は男の子みたいな円堂の仕草に、胸が温かくなった。礼を言って、円堂の隣に並んで歩く。ちらりと彼の手元を盗み見ながら、明日この冊子が配られるときは、少しだけ端の乱れた不格好なものを選ぼうと思う。円堂が、赤いホッチキスで留めた、それを。夕陽の差し込む廊下には、二人分の影が並んで伸びていた。


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あなたのザイルは何度でも結ばれるから
Title by『ダボスへ』





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