目の前を歩く不動の腕に血が滲んでいるのを見つけた。夏未は一瞬だけ思案してそれから迷わず不動の腕を掴んでやった。怪我の、真上から押しつぶすように、だ。

「いってえ!」

 当然ともいえる不動のリアクションに、夏未は心底安堵する。痛むならば、大丈夫だ。怪我を怪我として認めるならば、自分が手当てをする理由のこじつけもまた簡単だ。たとえ、不動の自分を煙たがり遠ざけようとしても、夏未は彼が怪我をしているならば手当てをするべきだと思う。これは、人間として、在るべき姿勢の話。夏未は、自分の身の回りの事象全てに潔癖だった。倫理や道徳は好ましい。言葉で説くのは難しい、理詰めの話はいつだって煙たがれるから、感覚で捉え態度で示す。妥協は苦手だった。
 不動は、誰にでもそうといえばそうだったが、夏未には特に刺々しい態度を取っているように感じられた。それを不満と感じながら、自分の振る舞いに非を探して見るのは彼女が真面目だからだ。人に不快な態度を取られるのは、自分がその人に何か不快な思いをさせたからだと信じている。
 顔が赤いから、熱があるのではと手を伸ばしたら、振り払われるか後ずさりされるか。ドリンクやタオルを手渡そうとすれば顔も見ずに置いておけ、とそっけない言葉で追い払われる。お互いひとりの時に声を掛ければ、ぎょっとしたように目を見開く。いついかなるときでも、不動は夏未との間に一定の距離を保とうとしているらしかった。
 指折り事例を数えてみる。数の多さではなく、その内容を思い出す。どの記憶を持ち出しても、夏未にはつまるところ不動は自分が嫌いなのだろうということしか思い付かない。嫌われるようなことをした覚えはないが、特に好かれるようなこともしていないのだと思えば、納得出来るような気もした。好意や嫌悪にはある程度のきっかけや理由は必要だろうが、人間には合う合わないがある。それはきっかけ云々ではなく、その人同士の価値観や経験値といった内側の問題が大きいのだから。

「不動君、怪我してるから手当てしましょう」
「…別に、いい」
「駄目よ。血も出てるし。舐めれば治るって大きさじゃあないわよ」
「だったら手で押さえんなよ」
「…ごめんなさい」

 素直に謝れば、不動はぐっと言葉に詰まる。夏未を責めたいけれど、責めたくなかった。
 不動は、夏未を好きだと思うのだけれど、恋愛なんてしたことも無かったから、上手く行かない。自分が他人にどういう風に映っているか、不動は割と客観的に分析して理解していた。
 人でなし。人間を形容するのに、ひどい言葉もあったものだ。だが我ながら的確な言葉だろうと思う。基本的に思いやりとか、興味とか、他人に対してプラスに働く感情が希薄なのだ。他人より先ず自分。人間として当たり前の、時に勝手と嫌われる価値観を、不動は隠そうとはしなかったし間違っているとは思わなかった。事実、間違っている訳ではない。結果として、生きづらく自分の首を絞めるような環境に自分を追い込んでいるとしても。周囲が敵だらけならば、それはそれで構わない。いつ裏切るかわからない味方に囲まれて不安や疑いに心を削られるくらいなら、最初から叩き潰す相手と認識していた方が気も安まる。そうしてひとりでいることに有意義さを見出して、落ち着いていたから、不動は夏未に対して惑うしか出来ずにいる。
 夏未は、胡散臭い言い方をすれば善良な人間だ。人間の、社会の概念として、彼女の心根と立ち振る舞いは好ましいものだろう。良くも悪くも真っ直ぐで、折れ曲がりを良しとしないのは、頑固者や融通の効かない面として疎まれることもあるだろうけれど、それは彼女の品格を損なわない。
 不動は、自分とは真逆の存在ともとれる夏未の姿に憧れ、恋をした。扱い方も分からず、目指したいものも朧気だから、不動の夏未に対する態度は下手くそなものばかりだった。
 夏未は少し、不用意に自分との距離を詰めすぎじゃあなかろうか。熱があるのかと触れようとしたり、ドリンクやタオルを渡す為に手が触れそうな位置までやって来たり、他の誰もいない場所で何とはなしに話しかけてきたり、ほかにも色々と。
 とっさのことに、驚きとか、緊張とか焦りがごちゃごちゃになってしまって、いつもすげない態度で逃げ出すことしか、不動には出来ない。他人から寄越される厚意に慣れていない不動は、好きな相手から与えられる優しさを真正面から受け止める術を持たないのだ。
 だから夏未は不動に逃げられる。眩しさに逃げ回る臆病者に、無理矢理にでも受け取らせたいのならば、策を巡らせ追いつめるしかない。例えば、その人の怪我を痛ませて、痛むのならば治療をするべきだといった具合に。小賢しい言い訳は、もう沢山だ。
 じっと不動の瞳を見つめながら、夏未は彼を追いつめる。逃げ道なんて、ない。

「私、不器用だけれど怪我の手当てくらい出来るわよ?」
「…わかったよ」
「!…じゃあ!」
「頼むわ」

 ぶっきらぼうに、諦めたように夏未が望んでいるであろう言葉を告げてやる。途端に、夏未はぱあ、と輝いた表情で踵を返して駆け出した。救急箱を取って来るからそこを動かないように、と走りながら訴える夏未の声は次第に遠ざかっていく。
 ひとり取り残された不動は、これは逃げるチャンスだと思いながら一歩も動こうとしない自分の両脚の正直さに心底呆れる。怪我の治療ひとつ任せたくらいで、あんな嬉しそうな顔をされるとは思わなかった。世話好きというよりは、お節介の気がある夏未は、きっと他人に頼られるのが好きなのだろう。不動は、他人に頼るのが苦手だった。頼る、ということは、相手に借りを作ることだった。無償の好意なんて、そうそう信じられるものではないのだから。
 それでも、不動はこの場を動かずに、夏未が救急箱を手に戻ってくるのを待っている。きっと、行きも帰りも駆け足なのだろう。
 自惚れたくなってしまうから、夏未の不用意さは怖い。不動の、夏未が自分に近付いたり、声を掛けたりする仕草全部が、彼女の都合だったら幸せなのにと思う身勝手さを、夏未はきっと知らないのだろうけれど。自分を思いやっての行動ならば、それは逆に残酷だから。少しでも、夏未が不動を想う故の無意識な衝動ならば、それが良い。
 救急箱を手にした夏未が、こちらに向かってくる姿が見える。諦めて接近を許してしまったことを、不動は今更後悔手前の戸惑いを胸に受け止める。
 怪我の手当てとはいえ、好きな子に触れられて意識しない人間なんて、いないだろう。
 夏未はやけに、嬉しそうに微笑んでいる。



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だめぜったい触らないで
Title by『にやり』





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