懐かしい名前の人から、手紙が届いた。数年前に、数か月の間だけ、毎日のように隣にいた男の子。夏未は、もうロココを懐かしい人のように感じた。夏未が、生まれて初めて、誰かの為に何かをしたいと思って、生まれ育った国をひとり飛び出したのも、この頃だ。高校生になった今、夏未には、あの頃の自分の行いがとてもお転婆に思える。だけど、よく頑張っていたと褒め讃えてもやりたい。今の自分は、きっとこの四角い教室から誰かの為に飛び出して行ったりはしないのだろう。良くも悪くも大人に近づいた。誰も彼もが、あの頃のようには振る舞えまい。
 コトアールという国を、夏未は日常生活の中で聞くことはなかった。地理や歴史の授業でも、国際ニュースのチャンネルを見ても、そんな国の名前は挙がらなかった。まるで、自分が過ごしたあの場所が、時間が夢だったのではないかと思えてしまう程、彼女の日常にあの国の影はなかった。思えば、連絡先だって残してこなかった。あの国に、気軽に使えるネット環境が整っていない以上、伝えたところで、頻繁に交流を持つことなど出来るはずがなかったけれど。
 届いた手紙の宛名の部分には、ロココの筆跡で、でかでかと夏未の名が記されている。大きさが整っていなくてバランスが悪いが、どこかロココらしくて、夏未は小さく微笑んだ。
 ロココの字を見るのは、二回目だ。一度目は、夏未がコトアールの戦術オペレーターになった日、自己紹介をした後、何の気もなしにロココとは一体どんな字を書くのだと尋ねたときに、彼が地面に指で字を書いたのを見たのだ。コトアールの字に触れたことのない夏未には、折角で申し訳なかったが彼の字は記号や絵と大差なく理解できるものではなかった。ごめんなさい、わからないわと謝罪した夏未に、そんなに自分の字は下手くそだったかと首を傾げたロココを思い出す。彼は、あの頃とどう変わってしまったのだろう。変わっていないなんて、そんなことだけはあるまいと夏未は寂しさを覚えながら手紙の封を切った。
 やはり、ロココからの手紙は中身も全てコトアール語で書かれていて、そのままでは夏未には読めそうになかった。自室の本棚に向かい、参考書類がまとめてある列の一番端に、もうずっと手すら触れていなかったコトアール語の辞書を取り出す。非常に珍しいその本は、本当に一部の人間にしか必要とされないので、夏未も手に入れるのに色々と苦労した。その話は割愛するが、きっと新しい版が刷られることはないのだろうと思う。本としての最低限の供給にすら、需要が追い付いていない状態なのだ。
 ただでさえ読みなれない字を、読みづらい字面で綴られた文面をひとつひとつ単語で区切って訳していく。英語の予習よりもずっと骨の折れる作業だったが、幸い夏未は勉強に払う労苦を厭わない人間だったので、休むことなく一気に最後まで全ての単語に訳を振った。そうして、単語ばかりの言葉を繋げるように文章にしていく。随分と、長い手紙だった。募る話も、あるのだろう。もしかしたら、チームみんなの近況なんかも書き込んでいるのかもしれない。途中、辞書にない言葉がいくつかあったが、あれは人の名前なのだろう。
 一通りの翻訳を終えて、不自然な点を補いながら、声に出して手紙を読んでみる。


夏未へ、

お久しぶりです。お元気でしたか。覚えてますか。ロココ・ウルパです。最近、コトアールでは例年に増して暑い日が続いています。そんな中でサッカーをしていたら、何だかナツミのことを思い出しました。そしたら、すごくナツミに会いたくなって、だけどそれは無理だから、手紙を書くことにしました。ナツミが昔教えてくれたメールというものが、やっぱり僕にはよく分かりません。ナツミのいる所は、今でもずっと、コトアールより便利なんでしょうね。羨ましいです。こちらの話です。
住所は、ダイスケに聞きました。いろいろ必死になって探したけれど、思った以上に僕の周りには今のナツミに繋がるものが残っていなくて、少し寂しくなりました。こちらの話です。
僕は相変わらずサッカーをしています。まだまだだなあと思うことが多くて、だけど少しだけ、他人より上手に出来ることもあって、そんな風なので、最近では近所の村に出掛けて子どもたちにサッカーを教えてあげるようになりました。やっぱりフォワードが一番格好いいと思ってる子が多くて、だけど時々、あの世界大会の僕を見てキーパーになりたいと思ったと言ってくれる子に出会うと、凄く嬉しくなります。あの時、決勝戦でナツミはもう僕たちのそばにはいなかったよね。チームの誰も言葉にはしなかったけれど、本当は、最後までナツミに僕たちと同じベンチにいて欲しかったと思っていたことを、ナツミはきっと知らないだろうね。僕たちは、本当に、ナツミのことが好きだったよ。お礼も上手に言えないような子どもばかりで、お別れだって綺麗にしてあげられなかったけれど、嘘じゃないよ。ナツミがいなくなって落ち込んでる僕を励ますことに必死だったウィンディやゴーシュだって、僕と同じくらい寂しかったんだ。念のために言っておくと、責めている訳じゃありません。全部こちらの話です。
長々と書いてもあれなので、もう一つ僕の近況を書くね。ダイスケは今では世界中を飛び回って、子どもたちにサッカーを教えているのは知っているよね。実は、近々僕もダイスケに着いて回ることにしたんだ。あの世界大会以降は、コトアールを出たことはなかったけれど、世界はまだまだずっと広い筈だし、僕と出会ったことで一生を変えるような、そんなサッカーとの出会いを果たしてくれる誰かがいたら、良いなと思うんだ。
最後に、一つだけ。さっき、僕たちはナツミが大好きだったと書いたよね。勿論、今でも大好きだよ。嫌いになる理由なんてどこにもない。だけど、僕はね、君のことが好きだったよ。伝わらないのなら、愛していたと言い換えてもいい。ありきたりな友情の中に滑り込ませることでしか伝えられなかったけれど、ずっとひとりの女の子としてナツミのことが好きだった。最後まで、君には届かなかったけれど、僕は今でも君の懐かしい姿を思い浮かべては恋しく思うんだ。
返事が欲しくて書いた訳ではないので、この手紙はナツミの胸の中にそっとしまって、いつか捨ててしまって下さい。返事を出しても、その頃僕はコトアールにはいないだろうから。今更過ぎる告白も、どうか笑って流してしまって下さい。受け止めて欲しかった訳でも、応えて欲しかった訳でもありません。ただ、伝えたかった、全てこちらの話です。
それでは、さようなら。遠い空の下、ナツミが幸せでありますように。

ロココ・ウルパより。


 読み終えて、夏未はどうやら自分が泣いているらしいことに気付く。最後まで理解してやれなかった好意に対する罪悪感ではなく、自分を慕ってくれていたことへの喜びでもなく、ただ懐かしかった。自分の記憶の中よりも、ロココは少し大人になっていたようだ。きっと、自分と同じくらい、少しずつしか進んでいないのだろうけれど。
 返事は要らないとあった。だけど、夏未は便箋とペンを手に取った。伝えたいことなら、自分にだってある。届く頃には、彼はそこにはいないと言うけれど、届け方なんて、きっといくらでもある筈だ。例えば、彼が訪れる国に先回りして、面と向かって押し付けるとか。そういえば、今年はまだ学校も授業も一度だって休んでいないのだから、一週間くらい席を開けても大丈夫だ。なんなら、長期休暇に被るように出掛ければ良い。
 夏未が、初めてひとりで自分の生まれた国を飛び出した日のこと。あの時の気持ちなんて、もう正確には思い出せない。ただ強い衝動があった、それだけ。だけど、今自分の胸に湧き上がって来る気持ちは、きっとあの時の気持ちと似た強いものなのだろう。今すぐにでも、手紙を持って駆け出してしまいたい。あの頃と少し違い、誰かの為では無く、自分の為であるという目的に差はあるけれど、それだけの、ことだ。


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あの星のコロニーでお会いしよう
Title by『ダボスへ』





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