※綱海とキャンが幼馴染。そして音キャン。


 理由もなく、だが敢えてこじつけるなら、そこに海が在るからとかたぶんそんな理由で、綱海は毎日海へ繰り出す。脇にサーフボードを抱えて、彼はいつも輝かしい笑顔を浮かべて海へと走る。朝と夕方に、よほど天候が荒れない限り、綱海は決まってサーフィンをしに海へ出かける。日の出が昇るのと同時に海に出て、昼は学校へ行き、夕方は陽が沈むまで海に浸かっている。
 キャンの朝は少し早い。綱海ほどではなく、だけどクラスの子等よりは格段に早く起きる。彼女の体のサイズには少し不釣り合いな大きさのベッドは、いつだってふかふかしていてあと少し寝ていても大丈夫なのにと彼女を未練たらしく誘うけれど、カーテンを開けて、そこに太陽が見えたのならば、彼女は決してベッドには戻らない。洗面台の間に置かれた踏み台の上で背伸びをして寝癖を直して顔を洗う。お気に入りの貝殻を模した帽子を被って制服に着替える。鞄を持ってリビングに向かうと、母が朝食の入った袋を手に微笑んでいる。今日はおにぎりよ、と言って手渡してくるそれを受け取りながら、キャンはいただきますではなくありがとうと答える。そうして、行ってきますと玄関の戸を開けるのだ。
 キャンが綱海の玄関のベルを鳴らさずに彼の家に上がり込むようになったのは、二人が小学生になってから暫くしてのことだった。キャンならいいよ、と笑う綱海と、それもそうねえと頷く彼の両親にあっさりと流された。ベルを鳴らすと、寧ろ他人行儀な気がして寂しいからと、この地方特有なのかよくわからないおおらかさに、キャンは逆らう術を持たなかった。それは、中学生になった今でも変わらない。
 ベルを鳴らさずに玄関の戸を開けて、大きな声でおはようございますと声を掛けると、ぱたぱたとすりっぱの音を響かせながら、綱海の母親が両手に荷物を持ってやって来る。荷物の一つは、綱海の通学かばんで、もう一つはスーパーの袋だった。朝一で、海パン一丁で海へ駆けて行く綱海は時計を持っていない。登校時間になっても彼は自宅へ帰ってこないのだ。だから、キャンはいつも早く起きて、彼の家で荷物を受け取って、浜辺まで届けに行ってやる。幼馴染だから、と一言で片づけるには随分な重労働であった。特に、小柄なキャンには尚のこと。だからキャンは、自分の内側で沢山の言葉を探して、これは習慣なのだと位置づけた。外から帰って手を洗うように、寝る前に歯を磨くように、そういった日常の中にごろごろ転がっている習慣の一つだから、苦に感じたり、やめてしまえたりする代物ではないのだ。
 浜辺に着くと、大抵綱海はまだキャンの声が届かない沖の方にいる。だからキャンは荷物を砂の上に降ろして、自分の腰も降ろして、それから母親が持たせてくれた朝食を食べるのだ。こんな生活サイクルを送るようになってから、彼女の朝食はいつもおにぎりかサンドイッチであった。不満は、そんなになかった。
 さして量もない朝食を食べ終えると、キャンは膝を抱えながら、黒い影にしか見えない綱海をじっと眺めている。ひとりだというのに、彼はいつだって楽しそうに声を上げて波に乗っている。一度だけ、キャンも綱海に誘われてボードに乗って見たことがあるけれど、バランスは取れないし、ひっくり返るし、綱海の指導は厳しいし、散々だったことしか覚えていない。きっと、自分が綱海の隣で一緒にサーフィンをすることはこの先一生ないだろう。この、朝の習慣がいつ終わるかは、わからないけれど。

「おはよう、キャン」
「……おはよう、早いね音村君」
「キャンほどじゃないよ」
「私も条介君ほどじゃないよ」

 いつの間にかやって来た音村は、キャンの隣にある荷物とは反対側に腰を下ろす。音村は、遠くにいる綱海を視界にとらえて、相変わらずだな、と呟いた。小さな声だったけれど、隣にいるキャンにははっきりと届く。そして、音村君は昨日も同じことを言っていなかったっけと思い返す。一昨日だったかもしれない、そう自信がなくなってしまったので、キャンはそうだね、と別の言葉を返した。
 音村は、キャンが毎朝綱海を迎えに行くように、毎朝キャンを迎えに来る。それは、二人が所謂お付き合いをしている仲だからだ。キャンの朝の習慣は、彼女と綱海の共通の友人には周知のことで、音村も、キャンと付き合う前からそのことを知っていた。最初は、綱海が羨ましくて仕方なかったし、少し腹が立つ部分もあったのだが、その内慣れた。キャンが習慣かなあと言ったこの朝の一連に、いつしか音村も巻き込まれ、組み込まれていった。音村にとっても、毎朝この浜辺に立ち寄ることはもはや習慣となっていた。キャンがいる、という前提はいつだって必要だったけれど。
 綱海は、遠くに見える影が二つになると、そろそろ時間だと浜辺に戻って来る。そうして、大分遅いおはようを二人に告げて、そのまま礼を言いそうになって、慌てて飲みこむ。礼は言わないと、決めている。いつか言おうとは思っているけれど、それはこの朝の習慣が終わりを迎える時なんかでいいんじゃないかと、綱海は思っている。その方が、ちゃんと伝わる気がするのだ。
 綱海は、幼馴染のキャンと、クラスメイトで部活仲間の音村が付き合っていることを知っている。最初は、身近な二人がそういう関係になったことよりも、朴念仁だとばかり思っていた音村が、他人に恋愛感情を抱いていたことに驚いた。そして、それをうっかりキャンの前で漏らしたらしこたま怒られた。音村の良い所を懇々と説かれ、自分の知ってる所と、きっとキャンしか知らなかったであろう所と、沢山聞かされて、綱海は二人の関係を祝福した。綱海とキャンは、いつだって兄妹みたいな関係でしかなかったから、何も寂しくはなかった。何も変わらなかった。朝の風景に、視界に映る影がひとつ増えただけ。そしてそれは、楽しさを増やしただけだった。
 綱海が浜辺に戻って、キャンが持ってきた荷物を漁って、だらしなく制服を着終える頃、音村は浜辺の道路沿いに停めていた自転車に戻っている。彼は、いつもこうして自転車でここまでやって来て、キャンをその荷台に乗せて学校まで行くのだ。綱海は、荷物が多いから、置いて行かれる。仮に、荷物が少なかったとして、そこまで野暮じゃないと綱海は思う。浜辺から、二人を見送る時に、微かに見える二人の横顔を見れば、わかること。デートみたいなものだ。邪魔する気はない。
 そんな風にして、本当はもっと一緒にいる方法があるだろうに、それを選ばずこうして毎朝この浜辺にやって来てくれる二人を見送りながら、綱海はうんうん考えて、二人とも、俺のこと好き過ぎー、と大声で叫んだ。急がないと、遅刻である。


―――――――――――

ただ何故だか船は遠ざかっていく
Title by『ダボスへ』




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -