※捏造しかない


 小さい頃は、とにかく手を繋いでいた気がする。それは義務感だったり、使命感だったり、それと少しの優越感だったように思う。
 なにもない掌を見詰めて、そのまま握ったり開いたりを繰り返して見る。小さい頃、毎日のよう握りしめていた感触だとか、温度だとかはもう大分前に霧散してしまっていて今更どうあがいても思い出せそうになかった。
 三浦大夢は、小さい頃、近畿希望の手を引きながら歩くのが習慣だった。それは、希望が危なっかしかったからとか、他人の輪からはぐれがちだったからとか、そんな理由では無かった気がする。では、どうしてそんなことをして歩いていたのだったか。考えて、思い出す。希望は、少しだけ歩くのが遅かった。確か、そんな理由だ。だから、大夢はいつも希望の手を引いて歩いてやった。歩くのが遅いのに、道端に咲いている花に目を取られたり、擦れ違う人にひとつひとつ挨拶をして手を振ろうとする幼い彼女を、大夢はいつだって引っ張って導いていた。あまり強くひっぱりすぎると、希望が痛いと泣きそうな声を出すから、丁度いい力加減や歩幅を覚えるのに、大夢は幼いながらそれは多大な苦労をした。最終的に、大夢も集団で出掛ける時は最後尾を歩かなくてはならなくなった。だから大夢は、いつだって必死に自分達が歩いてきた道を覚えようと躍起になった。前を歩くみんなとどんどん距離が開く度、大夢は心細くてたまらないのに、振り返れば自分に手を引かれた希望は楽しそうに着いて来ているから、間違っても泣くなんてことは出来なかった。
 小学生になっても、基本的に大夢は希望と手を繋いでいた。希望の歩調は、どれだけ成長しても速くなることはなかった。そんなに心配しなくても、学校に遅刻したりするほど遅くはない。周囲がお兄ちゃんみたいだねと茶化しても、大夢はぼんやりとそんなんじゃないと思いながら、でも否定はしなかった。朝、玄関を開けると、一足先に外に出て待っていた希望がにこにこ手を伸ばしてくる。これを握らないで、一体どうすればいいのか、大夢は分からなかった。帰りは、クラスの違う二人はばらばらになることが多かったけれど、大半は大夢が先にお日さま園に着く。そうして用意されていたお菓子を食べて、数分。じっと座って、ちらりと時計を見上げて十秒数える。もしその間に玄関の扉が開く音がしなかったら、希望を迎えに行く。大夢はそう決めていた。
 希望はいつも、帰り道にしゃがみこんでいることが多かった。具合が悪いのでは無く、蟻の行列を眺めていたり、自販機の商品見本を数えていたり、散歩中の犬と戯れていたり、ふらふらと心惹かれるものに抵抗もなしに引き寄せられているのである。大夢は、彼女の名前を呼びながら、近づいて朝の登校時とは逆に自分から手を伸ばしてやる。希望は直ぐに嬉しそうな顔をして、それからはっとしたように自分の両の手をじっと見る。手がばっちいと落ち込む彼女に、大夢は気にするなと言ってもう一度手を伸ばす。早く帰らないとお菓子がなくなるぞと急かせば、漸く彼女は彼の手を取る。そんな風景を、小学生の頃はもう何度も繰り返してきた。
 手を離してしまったのは、いつ頃だっただろう。いつの間にかだったろうかと思って、直ぐに原因を見つけて大夢は少しだけ胸が痛くなった。希望と手を滅多に繋がなくなった理由は簡単だ。サッカーを始めたからだ。その内学校に行くこともなくなって、登下校もしなくなれば、二人が手を繋ぐ機会もなくなってしまった。
 広い基地の中を歩く時、大夢はいつも希望が一人遅れてしまっていないか気になったけれど、振り返って、そこに彼女がいるのを確認するだけで急かす言葉をかけたりもしなかった。変わってしまわなければいけないのだと思い込みたくて、きっと彼女もそう思っているのだと言い聞かせ続けた。

「サッカーは手を繋いだままじゃ出来ないんだよ」

 いつだったか、サッカーが義務じゃなかった頃。大夢よりも少し年長の子が言った言葉を思い出した。男の子だったように思う。相手の顔はもう、朧気だ。思い出せれば、きっと今も同じ屋根の下で暮らしている誰かなのだろうけれど。印象に残ったのは、その人ではなく言葉自体だ。
 サッカーは、幼い頃から割と身近だった。一つの道具で大勢が遊べるというのは、なんとも効率の良いことだ。自分達が父と呼んだ人は、何だか色々おかしくなる前からサッカーに対して好意的だったから、みんな比較的好んでサッカーをやっていた。思えば打算的で、物悲しいきっかけだったのかもしれない。
 大夢は、もう既に希望の手を引くことに慣れていて、外で遊んでおいでと言われれば決まって彼女の手を引いて外に出た。先に遊んでいた子等に、混ぜて貰おうと近づいて、声を掛けて、返ってきた言葉がこれだ。そんなことは知っている、と繋いでいた手をほどこうとして、でも希望がぎゅっと自分の手を強く握ったから、大夢は何も言わずサッカーに混ざることを諦めた。その後のことは、覚えていない。
 もう昔のことだと欠落してしまった記憶の、余った部分を継ぎ接ぎみたいに拾い合せて、大夢は自分の過去を総じて面倒見の良い子どもだったとは思わない。自分は贔屓をしていただけなのだろう。希望という一人の女の子ばかり贔屓して、守ってやりたかったのだ。結局、自分の都合で手を引いて振り回しただけだったかもしれないけれど。何故希望だったのか、その理由だけは大夢の過去の中には落ちていない。歩くのが遅いだけで、何年も離れずにいられるものか。いられるのなら、ただそれだけのことだろうか。

「それって恋じゃないの?」

 希望には及ばずとも、もう見慣れ過ぎた緑の髪の少年は、大夢にあっさりと答えの候補を差し出した。大夢にとっての大事なことは、他人にとってはちっぽけすぎることだ。サッカー行ってくると駆けだしてしまった友人の背を見送りながら、大夢はもう一度自分の掌を見詰める。恋だろうか、そう問いかけながら。
 手を繋いだままじゃ、サッカーは出来ない。あの時、当り前を砕いてしまった頃から時間が経って、元通りにはならないことを残しながら自分達はありきたりな日常に回帰した。もう、サッカーは義務ではない。学校にだって、また通うのだ。それなら、また、人より少し歩くのが遅いままの少女の手を引いて歩くこともあるのかもしれない。恋人とかなら、理由もつけずに、手を繋ぐなんて簡単に出来るだろう。でも、もしかしたら手を繋ぐなんて簡単には出来ない難しいことなのかもしれない。だって、好きな子の手を、平然とした顔で握るなんて、そんなの、恥ずかしいに決まってる。


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世界のどこかに旅したい
Title by『ダボスへ』




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