※パラレル


 上の階の住人の足音がうるさくて仕方ないのだと、久しぶりに外で顔を合わせた春奈が盛大に嘆くから、鬼道はよほどストレスになっているのかと心配になった。これまで音無の家で平穏に暮らしていた春奈が一人暮らしを始めたのは数ヶ月前。事後報告だった為、鬼道は春奈が家を出た理由も、何故その部屋に決めたのかも知らない。一番の理由は音無の家よりも今の部屋の方が彼女の仕事場にずっと近いからだろう。それならば鬼道に口を挟む余地はないし、選んだ部屋が五階建てのアパートの三階の部屋だったから、別段文句もなかった。女子の一人暮らしで、一階に陣取るのだけはいただけないと鬼道は思っているからだ。
 春奈が今の部屋に越した当初、真上の部屋は空き室だった。そこに新しい住人が入居したのがほんの数週間前だ。吹雪士郎という名の入居者は、春奈から言わせると身成りの整った浮浪者だ。仕事をしているのかいないのか、春奈が部屋にいる時は決まって吹雪もまた部屋にいる気配がする。何より足音がやけに響くのだ。気にし出すとそれはもう酷くうるさく感じる。
 入居して数日は引っ越しの荷物整理でばたばたしているのだろうと我慢のしようもあったのだが、一週間を過ぎても変わらず騒がしいのならば流石に物申さねば気が済まない。そう意気込んで真上の部屋を訪ねれば、吹雪は春奈を友人のように迎え入れた。部屋の中にまで通され、自分の部屋と変わらない間取りのそこを見渡すと、荷物整理など必要ないのではと思える程に物がなかった。呆気に取られて、だが尚更足音がうるさいのは吹雪自身に問題があるに違いないと、春奈は肝心の要件を伝えた。階下にまで足音が響いているから、もう少し静かに歩いて貰えないかと。
 吹雪は春奈の要求に申し訳なさそうに眉を下げて謝罪した。新しい部屋が、以前暮らしていた場所よりも広々としていて何だか落ち着かないのだと言う。ご近所付き合いへの心配などもあって、案外ナイーブなのだと苦笑して見せる。
 予想外の吹雪の人柄に、春奈はあっさりと心を開いた。休日に、お互いの部屋を行き来してお茶を飲み交わす程度には親交を持った。殆ど物がない吹雪の部屋は、場所としては退屈でしかないのだが吹雪といるとそうでもなかった。人付き合いに不安を覗かせていた吹雪は喋り上手だったから、会話も弾んで楽しかった。話題の種がないのなら春奈が自分の部屋から持ち込めば良かったのだから、春奈は吹雪の部屋を訪ねるのを内心楽しみにもしていた。
 物がない吹雪の部屋とは対照的に、春奈の部屋には物が溢れ返っていた。乱雑に放置されている訳ではなくきちんと整頓されているから、部屋はちゃんと綺麗だが、壁にぴったりと寄せられた家具の数々は吹雪の部屋とは比べ物にならなかった。そんな彼女の部屋に訪れた吹雪が興味を引かれる物はたった一つ。壁の一面を丸々占領している大きな本棚だった。ぎっしりと沢山の本で埋め尽くされた棚を、吹雪はまじまじと眺める。ご自由にどうぞ、と春奈の言葉に甘えて何冊かの本を手に取っては読み耽る。その繰り返しだった。

「これ全部音無さんが集めたの?」
「いいえ、お父さんやお兄ちゃんから貰った物の方が多いですね」
「全部読んだの?」
「さあ…どうでしょう?読みたい時に読みたい箇所しか読んでないです」

 ティーカップとソーサーを準備しながら春奈は自分の部屋にある本棚に何の興味もなさげに吹雪の問いに答える。吹雪は不思議そうに春奈を見る。読まないなら、こんなに沢山の本を揃える必要などないだろうにと思ったから。だから尋ねれば、春奈はなんともなさげに教えてくれた。

「だってそれは本棚ですし。どうせならいっぱいにしておきたいじゃないですか」

 本棚だから、本でそのスペースを埋めるのが道理だと言うのだ。成程、と納得する半面何故ぎっしり埋めなくてはならないのだと疑問に思う。今度は、聞かなかった。あまり質問責めにすると春奈はそんなことどうでもいいじゃないですかと臍を曲げてしまうと吹雪は短い交流の中でちゃんと理解していたからだ。吹雪自身、他人に質問責めにされるのは苦手だったから、自分がされていやなことは他人にもしない方針で生きている。真っ当な、一番他人との衝突を避けられる生き方である。

「吹雪さんは何のお仕事をされてるんですか?」
「僕に出来ることを何でもしてるよ」
「…それって決まった職には就いてないってことですか?」
「必要がないもの」

 吹雪にとって仕事は生活する為の資金を得る為の活動だ。お金が有り余っている人間は、働く必要がないと思っている。つまり吹雪は、一生生活に困らないだけの莫大な資金を持っているのである。仕事に就いて自分の生活をやりくりしなければならない春奈には、毎日ふらふらと呑気な生活を送る吹雪は羨望よりも呆れる存在だ。働く必要はなくとも暇だと堪えきれなくなれば適当に外に出て簡単な仕事を経験して満足して帰ってくる。普段から部屋に常駐している訳だと、春奈が抱いていた吹雪の気配の多発に対する疑問はこうして解けた。

「凄いね、音無さんの本棚は」
「吹雪さんも買ったらいいじゃないですか。お金はあるんでしょう?」
「無理だよ。欲しいと思わないんだもの」

 有り余る財を持つ吹雪には、それを浪費する為の物欲が決定的に欠けていた。物に対して興味がない訳ではないがそれを自分の物にしたいと思わないのだ。
 吹雪はそんな自分の現状を、世の経済の為にも財を溜め込み過ぎるのはよくないことだと大袈裟なまでに捉えていて、何とかして自分の金を経済の流れの中に還元しなくてはと手始めに引っ越しをしてみたのだ。家具一式を新しく購入するつもりが、必要最低限の物しか用意せず、なんとも味気ない現在の部屋が完成したのである。上手くいかないものだと吹雪は頭を抱える。本人は、大真面目だ。

「自分の為に浪費出来ないなら他人の為に浪費したらどうでしょう」
「…つまり?」
「友人や家族や恋人に贈り物でもしたらいいじゃないですか」
「贈り物…」
「恋人が一番いいかもしれませんね。女は何かと金が掛かる生き物ですから」
「成程!」

 ありがとう、早速実践してみるよ、と声高々に吹雪は部屋を出て行った。折角春奈が用意していたお茶も飲まずにだ。勿体ないと顔をしかめる春奈の下に、翌日大量の贈り物が届く。贈り主は吹雪からで春奈は訳もわからず吹雪の部屋を訪ねれば彼は昨日の春奈の提案を早速実践しているのだと言う。

「私は恋人に贈るのが一番だと言いましたよね」
「うん、だからね。音無春奈さん、僕と付き合って下さい」

 にっこりと微笑みながら、吹雪は春奈に向かって手を差し出す。彼の告白を受け入れるならば、この手を取って欲しい。そういうことなのだろう。こんな出来事があったのが、先週の休日のこと。



「あんな告白の仕方ないと思う!」

 オープンカフェの一角で吹雪との出来事を鬼道に語って聞かせる春奈は、どうやらムードの欠片もない彼からの告白に憤慨しているようだった。だが鬼道の目は、彼女の指に光る真新しいリングをとっくに捕らえていて、大体の事情を察した。きっとこのまま話が進めば、彼氏が出来たとまた事後報告を受けることになるのだろう。
 因みに、上の階から足音が響くのは、そこの住人からの寂しいから構っての合図だということだ。



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私のための包囲網
Title by『にやり』




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