※同棲・大学生パロ

 夕方のスーパーに、特売品の卵を一パック買ってくるようクララに頼まれた。午後四時からのタイムセールに間に合うようにと家を放り出された風介は、歩道整備のなされていない路側帯の線の上を意味無くふらふらと歩く。途中擦れ違った、下校途中の小学生が風介と同じ遊びに興じているのを見つけて、ぱたりと風介は今までの動作をやめて普通に歩く。もし隣にクララがいたのなら、風介の小さな対抗心を笑ったことだろう。だが今は、風介は一人おつかいの途中だったから、当然彼女は一緒ではない。クララは今頃、半年ほど前から二人で暮らし始めた築二十年越えのあまり広くはないが日当たりの良い部屋の居間でくつろぎながら彼の帰りを待っているだろう。

 大学生になった風介とクララは、二年に進級する春に今の部屋で二人暮らしを始めた。同じ大学といえども学科も違えばバイトやゼミの都合で生活リズムはお互いずれ込む。平日も休日も、講義あるなしの違いだけで予定のない日は案外少なかった。今日は、珍しく風介が一日オフになったところに、クララの午後の講義が休講になったことで久しぶりに二人とものんびりとした午後を過ごすことが出来たのだ。二人ののんびりとは、クララが居間にある座椅子型のソファの窓際に腰かけて読書していて、風介はそんな彼女の膝に頭を乗せてうつらうつらとしている時間のことを指す。瞼を下ろしていた風介が時折目を開けて自分の顔の上に広げられている彼女の本のタイトルをチェックする。クララの読んでいる本はぶ厚かったり、薄かったり、様々だ。洋書だったり、和書だったり、その殆どが風介の見たことも聞いたこともない作品だったりする。そして風介は読書には一滴の興味も抱いていないから、彼女の持っている本のタイトルを見てもただ退屈が募るだけでまた眠気に誘われて再び瞳を閉じるのである。

「夕ご飯にオムレツを作りたいんだけど、卵が無いの」
「買い忘れたのか?」
「いいえ?夕方からのタイムセールで安くなるから買って来なかったの」
「そうか」
「だから風介君行って来て」

 流れるような会話に反論の余地はなく。風介はポロシャツにジーパンといういでたちで尻ポケットに財布が入っているのを確認して立ち上がった。ちなみに、袖口はまくるとクララがしわになると眉を顰めるのでそのままにしてある。人混みを好まないのは風介もクララも同じだが、クララの方が若干程度が重いのか、彼女は夕方にスーパーに行くのを心底嫌がっている。昼間の比較的客足の少ない時間帯を、引っ越してきて直ぐに割り出して、決まってその時間帯にしか買い物にいかないのである。そんな彼女の大学への通学手段は専ら徒歩であり、家を出る時間が合えば風介の漕ぐぼろい自転車の荷台に腰かけて行く時なんかもある。
 不便なことを嫌うくせに、クララの生活にはどこか古臭さが抜けない。歩くと、人の重みでぎしぎしと音を立てる、玄関からい居間までの廊下を、彼女が気に入っていることを、風介は知っている。エアコンも扇風機も便利だと認めるくせに駅前で貰ったうちわを物持ち良く使用し続けているし、昔からの友人にはメールよりも手紙で近況を尋ねたりすることもある。以前風介が古い臭い生活が好きなのかと問えば、クララは手にした本から目線を外すことなく、私の身の回りに存在するものの中では貴方が一番古いわね、と軽い冗談で会話を断ち切って、明確な答えはくれなかった。だが風介はそれもそうだと妙に納得したのを覚えている。この家には、古臭いものがあるのではなく、自分達があるのだと、そう解釈した。古いとか新しいとかじゃないのだ。
 タイムセール直前のスーパーは夕飯前の主婦たちで賑わっていて、風介は髪をぐしゃりと掴んで眉を顰める。籠を持つ必要もなく目当てのものの売り場にやってくるとタイムセール用の卵をワゴンに乗せたパートのおばちゃんがやって来たところだった。そのおばちゃんと風介は少しだけ顔見知りで、クララとは正反対に、タイムセールの時ばかりスーパーに現れる風介を貧乏学生だと思っているらしかった。強ち間違っている訳でもないので、風介は訂正をいれない。そんなだから、気前のいいおばちゃんは風介の姿を見つけ、その目当てが卵だと知ると特別に、まだセールの始まっていないのに卵を一パック風介に持たせてくれる。風介はどうも、とお辞儀をしてさっさとレジに向かう。無愛想と思われるかもしれないが、個人的な好意を受けた時はさっさとその場を離れた方が相手にとっても得策だ。他人に見られて贔屓と難癖をつけられれば否定する方が難しいのだから。
 所要時間僅か数分のお使いは無事終了した。あとは家に帰るだけなのだが、風介は気紛れに途中にある本屋に足を踏み入れる。スポーツ雑誌の棚に直行し、目当てという程でもなかったサッカー雑誌を手にとってぱらぱらとめくる。若手選手の取材にも力を入れているのが評判のそれには、何人か風介の見知った顔も映っていて、そのことにふんふんと納得して雑誌を元の場所に戻した。自分でサッカーをやることを止めてしまった今でも、風介は紙面に懐かしい顔を求めては少しだけ過去を振り返り、羨み、直ぐに現在へと戻り一緒に歩くことを決めたクララに会いたくなって彼女を探す。今回も、結局早く家に帰りたくなった、それだけだった。
 本屋に滞在した時間もものの数分、出口へ向かおうと歩き出した風介の視界の端に、文庫本の新刊コーナーが映り込む。足を止め、ぼんやりとその一帯を眺める。数時間前、クララの膝から見上げた視界に映り込んだものとよく似た表紙の本を見つけた。だがはっきりとそれとは言い切れないほど、風介の記憶は曖昧だ。きっと、この建物内に、クララが手にし、風介が見上げた本が沢山存在しているのだろう。店の規模の割に品揃えが充実しているとクララが褒めていたのを思い出す。ここは、クララのお気に入りの本屋の一つだ。
 風介がこの本屋を何度徘徊しても、きっとクララの持っている本の一冊も的中させられないだろう。だけど風介は気にしない。彼女に読み込まれたどの本よりも、クララと共に在ったのも在るのも自分なのだから。張り合う相手とこと自体、幼稚だ。こんな考え方を、やはりクララは笑うだろう。教えなくとも、きっと彼女は知っている。早く帰ろう、自分が帰らないと夕飯の準備が出来ないのだから。自分で止めた足取りを、自分で咎めながら再び歩き出す。当然のように明日も明後日も言えるはずの「おかえり」を、今日は入念に脳内で繰り返す。自分と一緒にタイムセールには行ってくれない彼女は、ぎしぎしと廊下を軋ませながら、「ただいま」と迎えてくれることだろう。



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気付けば故郷は此処に在った
Title by『ダボスへ』





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