A.音無春奈の場合

 「好きな人が出来たんです」そう言葉にした。それだけなのに、じわじわと頬に熱が集まって行くのが自分でもありありと分かる。脳裏に浮かべた相手は、優しかった。それは決して自分にだけという訳では無かったけれど、自分にも優しいということは、自分だって嫌われていないという証拠だと思えた。だから全然構わない。だって、自分だけを望むなんて我儘が許されるような関係では、まだないのだから。
 春奈が恋をしている相手は、立向居勇気といって、GKをしていて、努力家で、真面目すぎて時々一人で鬱々と抱え込みすぎてしまうところがある少年だった。チームのマネージャーとしての仕事を疎かにするつもりは毛頭なく、それでも出来るだけ優先的に、一番に、いつだって自分が立向居にタオルやドリンクを渡したいと春奈は思っていて、また実行に移している。察しの良い秋辺りにはもう気付かれているのだろう。ドリンクを渡して、その後労いの言葉と数言の会話を交わせただけで舞い上がる春奈の様子を、彼女は微笑ましそうに見守っている。
 初恋だとは思わないが、一番の恋だと春奈は思っている。それだけに、想いの丈も強い。だから、緊張やら戸惑いやら、絶好の機会と呼べる場面が来てもなかなか有効なアピールが出来ない。二人きりになった途端に沈黙が二人の周囲を包むなんてことも、これまで何度もあった。その度に、春奈は二人きりになれた喜びと、上手く会話を弾ませられなかった後悔を同時に胸に抱えて複雑な溜息を零すのだ。
 水道で、ドリンクの容器を洗っている横で、練習が終わったあとも特訓をしていた円堂が春奈の隣で水分補給をしていたのは本当に偶然だった。想い人の憧れの人というポジションは、立向居に恋をしている春奈としては絶対に収まりたくないポジションではあるが、少しだけ羨ましい部分もある。同じGKである二人は、練習の時もアドバイスや相談をする為によく二人で話している姿を見かけるから。勿論、春奈にとっても円堂は尊敬すべきチームのキャプテンである。だが、彼が恋愛方面に於いて壊滅的な感性を遺憾無く発揮していることを春奈は知っている。時々、彼と同じポジションで、憧れている立向居も恋愛に全く興味もなく理解も出来ないような鈍感だったらどうしようと考えるとそれだけで春奈は頬が引き攣ってしまう。乾いていても、笑って誤魔化さなければやってられない。それくらい、妙なリアリティがあった。
 一方、隣で洗い物をしていた春奈が、自分に向けているとも分からないような声量で「好きな人が出来たんです」と呟いたことで、円堂は行動を停止した。鈍いと言われていても、円堂だってこの世に恋愛という現象が存在することくらい理解している。ただ、その現象の中で自分がどう立ち回っているのかについては全く考えが及んでいないだけで。
 春奈も特別円堂に視線を寄越している訳でもなく、手元を見つめ洗い物に集中している風に見えた。だから円堂は、一言だけ「頑張れよ」と言い残してまたグラウンドに戻っていった。背中に寄越された「勿論です」との返答には、それもそうかと内心で納得するだけだった。


B.立向居勇気の場合

 「円堂さんは、その、す…好きな子とふっ、二人きりになったらどんな話しますか!?」

 水道で水分を補給して、頭には疑問符を抱えて円堂がグラウンドに戻って来た途端、顔を真っ赤にした立向居に尋ねられた。質問の意図が全く分からないので、円堂は正直に「は?」と漏らしてその場で固まった。
 立向居勇気は、少し根が真面目すぎて、その根が変な方向にこんがらがって伸び続けた結果、円堂ならあらゆる面に於いて自分の指針になってくれると思い込んでる節がある。少なくとも、円堂とそれなりの親交を深めた人間なら、間違っても彼に恋愛相談らしき話題を持ちかけたりはしないのだ。
 立向居は、音無春奈が好きだった。マネージャーとして一生懸命働く姿を目で追っている内に、それが自然になって、離せなくなって、気付いたら彼女に恋をしていた。同い年という気楽さもあってだろうか、よくドリンクやタオルを直接手渡してくれる、そんなことが、立向居にとっては至福の時となっている。一人でボールやコーンを片付けようとしている姿を見かけて、声を掛けて悪いと遠慮するのを押し切って一緒に片づけをしたりすることもある。だがそういうとき、決まって立向居は勢いだけで行動しているので、冷静になり一緒に歩いていても話題が無い。沈黙ばかりの空間に、春奈は苦痛を感じているに違いない。そう思うと、立向居は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。それでも、春奈の隣にいるのが自分以外の男子でないことに安堵と喜びを覚えてしまう自分を、しっかり自覚していた。惚れた欲目を差し引いても、可愛らしい容姿をしている春奈である。その上、そんな彼女が明るくて働き者ときたら、彼女を恋愛対象として見ているのが自分だけなんて、言い切れない。そう思ったら尚のこと。我儘だと思う。それでも、春奈が好きなのだと、立向居は自分で自分に言い聞かせている。
 一方、立向居の熱意の籠った懇願とも呼べる質問に、答える言葉と経験を持たない円堂は首を傾げたまま微動だにしない。先程の音無といい、自分の周囲では恋愛が流行っているのだろうか。普段働かない部分の思考回路を必死に回そうとするあまり、円堂の思考そのものが少しずれた方向に移動していく。自分を真っすぐに尊敬して今も見詰めてくる可愛い後輩を、無碍に扱いたくはない。円堂本人は好きな人と二人きりになったことも、そもそも好きな人自体存在しないのだが、何とか一つの結論を導き出して重々しく口を開く。

「…サッカーだな!」

 結局それかと思わずにはいられないシンプルな言葉に、立向居は瞳を輝かせながら「ありがとうございます!」と何度もお辞儀をしてグラウンドから走って行った。最後まで、質問の意図を理解しないまま、円堂は立向居が消えた方向に「頑張れよ」と力ない声援を送った。


C.円堂守の場合
 今日もサッカーをした。いつも通りの充足感を得ながら、だがいつもより少しだけ疲労を感じながら、円堂は部屋に遊びに来ていた風丸と他愛ない会話に興じていた。そんな中、ふと今日遭遇した後輩二人の不思議な言動を思い出して風丸に話してみた。

「なあ、音無と立向居ってさ、好きな奴いるんだってさ」
「…へえ、」
「俺、てっきりあの二人付き合ってるのかと思ってた」

 そう素朴に思い込んでいたことを告げると、風丸は一言、「キャプテンも大変だな」と円堂を労った。何故風丸が自分にそんな優しい言葉をくれるのかは測りかねるが、たぶん、風丸も自分と同じことを思っているのだろう。それは、つまり、凄く単純なことで、要するに。お前らさっさとくっつけよってことだ。



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恋がはぜる音を聞く
Title by『ダボスへ』




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