休日故の喧騒の中、玲名は一人忌々しげに舌打ちをする。散々はぐれないようにしなきゃねとへらへら笑っていた連れは今見事に玲名とはぐれその姿を忽然と消していた。取り敢えず、フロアを行き交う人々の邪魔にならないようにと壁際に移動する。デパートの日用品売場には家族連れの姿が多く見受けられた。玲名の近くには、妻に幼い子どもを押し付けられて疲弊しきった父親が、我が子を抱きかかえながら壁に背を預けている姿がちらほらと点在していた。子どもたちも、疲れきって眠っているようだった。
 視線を壁際から売場の方へ戻すと、バーゲンと銘打たれた場に相応しい熱気に包まれていた。自分が先ほどまであの熱気の中にいたのだと思うと、恐ろしさで背中が冷える。やはり大人である瞳子に来て貰えば良かったと思わずにはいられない。そして、今この場にいない連れのヒロトのことを考えて、どちらにせよイライラとした気持ちのまま、履き慣れたパンプスの裏を擦るように床を蹴りつけた。


 ヒロトと玲名が、年齢に似合わない買い物をする為にこのデパートにやって来たのは、一言で云えばお使いを頼まれたからである。瞳子に、お日さま園で使っている食器が古くなったから買ってきてと頼まれた。それから、バスタオルと、夏用の座布団があれば一つだけ。自分達の使用するものであるから、頼まれて断るなんて出来なかった。今、丁度バーゲンやってるのよと言ってチラシを見せられた時、玲名だけが少しだけ眉をぴくりと揺らした。ヒロトは、なら安くあがるね、と呑気に呟き瞳子から受け取ったチラシをまじまじと眺めていた。ヒロトは、バーゲンに群がる女の恐ろしさを知らないのだと、玲名は思った。果たして目当ての物をちゃんと買うことが出来るのか。玲名は出掛ける当日まで割と真剣に考えていた。
 そうしてヒロトと二人デパートにやって来ればそこは溢れんばかりの人でごった返しになっていた。土日限定のバーゲンなんて、旦那を荷物持ちにさせて妻を張り切らせる格好のパターンだった。玲名はそんな店側の策略に肩を落としながら自分の隣であまりの人波に口元をひきつらせているヒロトを見やる。荷物持ちという点では申し分ない。旦那などでは、決してないが。

「こんな人混みの中で転んで踏まれたら俺はどうすればいいの?」
「知らん、転ぶな。お使いなんだから、仕方ないだろう?」
「まあね。せめてもうちょっと涼しかったら良かったんだけど」
「そうだな、」

 お出掛け日和と云うに相応しく、今日の天気は快晴だった。まだ夏になりきっていない時期の筈だが気温は見事に夏日を超え日差しも容赦なくアスファルトの熱を上げる。店内に入っても、人の多さと熱気の所為で冷房もあまり利いていなかった。
 買い物を開始する前からげんなりしていた二人であったが、じっとしていても始まらない。そう決意して主婦の巣窟である日用品売場に乗り込んだ。荷物は基本的にヒロトが持ち、玲名が会計をする形。なんとか目当ての品々を買い揃え、いざ帰ろうと玲名が半歩後ろを歩いているはずのヒロトに声を掛けようと振り向いた時には、既にヒロトの姿はなかったのである。置き去りにしてやろうかとも思ったが、今日の戦利品は全てヒロトが持っている。手ぶらで帰るのも、お使いを頼まれた手前憚られた。
 苛つきと疲労で乱れた思考と呼吸を休めて、玲名は鞄から携帯を取り出す。この喧騒では、電話をしても無駄だろう。メールで入口で待っていると伝えようとフォルダを開くと、そこには新着メールが一件。差出人はヒロトだった。

『屋上にいるから』

 簡素に伝えられた居場所に、玲名の眉がぴくりと揺れる。だがそれは、瞳子にバーゲンの存在を聞いた時よりも数倍不愉快だと語っていた。
 何故、買い物を終えた後にはぐれて今いる階より上に向かってしまったのかがまず玲名には理解出来ない。そして屋上にいるから、と告げただけのメールは言外に待ってるから来て、のニュアンスを含んでいた。用もない屋上へ、行かなくてはならないのか。腹立たしかったが、嫌だから降りてこいとメールをしてもヒロトは無視を決め込むだろう。玲名には、妙な確信がある。普段は笑って自分を押し殺して他人に合わせたりも平気で出来るくせに、変な所で頑固だったり我が儘なのだ。諦めに似た気持ちで、玲名は屋上に向かう。エレベーターもエスカレーターも混雑しているから、大人しく階段を上る。
 屋上に出る自動ドアを抜けると、そこは小さな子ども向けのアトラクションが広がっていた。足が地面に簡単に着く電車や、お金を入れると凄まじくのろく動く動物だったり、色々。ここで一番大きい遊具は、遊園地などにあるものよりは数段小さな観覧車だった。見れば、下で待つ父親に、一人で乗っているらしい子どもがしきりに手を振っていた。どうやらあれは、子ども用らしい。
 全体の観察を終え、玲名は目的のヒロトを探そうと辺りを見渡す。すると、案外すんなりと見つかった。ヒロトは、疲弊した父親達が座り込むベンチに同じように座っていた。少し、浮いていると思った。

「あ、玲名。早いね」
「いきなり消えるな」

 ヒロトの言い訳に寄れば、玲名と自分の間を横切って行った男性の抱っこしていた子の靴が、ヒロトの前で脱げ落ちてしまったらしい。父親は気付かず行ってしまい、ヒロトは靴を拾って慌てて追いかけたのだがかさばる荷物と人の所為で、後ろ姿を見失わないでいるのがやっとだったらしい。追い付いた時には、もう屋上だったのだ。

「どこも混んでるんだね」
「休日にバーゲンが重なってるからな」
「子どもの俺たちにはよく分かんないね。バーゲンってそんなに魅力的なの?」
「さあな。子どもの私に聞くな」

 ヒロトは、ベンチに置いていた荷物をどけて玲名の座るスペースを作る。当然の流れのように、玲名が腰を下ろした。ぼんやりと、二人して行き交う人々を眺める。子どもに風船を配っている着ぐるみの中の人に同情したりもしながら。そうして、もう自分達はあの着ぐるみに風船を貰えないような年齢なのだと気付く。欲しい訳ではないが、対象外と初めから無視されると、風船を片手に駆け回る子どもが羨ましい。彼等のお守りをする為にここにいる大人からすれば、ヒロトも玲名もまだ子どもに映るだろう。だが風船を手にした子どもからすれば、自分達の貰えるものを貰えない二人は大人に映るのだ。不思議なことだと思う。園のお使いを頼まれるのだって、永遠じゃないのだ。大人になれば、自分達は居心地の良いあの場所から出なければならない。それは、ヒロトと玲名も十分解っていて、でもまだ大丈夫だと見ないふりをしている現実だった。だから、大人の群れの中、似合わない買い物をして疲れて腰掛けている現在に安堵している。自分達は子どもなのだと、信じられるから。

「ねえ玲名、観覧車乗ろうよ」
「あれは子ども用だろう?」
「そう、対象年齢十五歳以下」
「十五歳以下、」
「だからセーフ。さ、行こう」

 返事も聞かずに立ち上がり、玲名の手を掴んでヒロトは歩き出す。片手には、勿論荷物が握られている。食器も入っているが、重くないのだろうかと玲名は思う。だがここで玲名がヒロトに重いかと聞いても彼は笑って大丈夫だと答えるだろう。見栄っ張りめと思うが、それは自分限定と玲名は知っているから、少しだけ愛しい。
 観覧車から降りたら、荷物を半分持ってやろう。それをヒロトが咎めるならば、空いた手を自分の手で繋いで埋めてやればいい。だがそれはあまりにらしくないか。それでも、手は繋いで帰りたいと、玲名はヒロトの背中を眺めながら考える。こんな暑い昼下がりに、今まさに繋がれているこの手に伝わってくる熱がちっとも不快じゃないなんて、それはやっぱりヒロトが好きだからだと思うから。



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きっと愛とかそんなもので形成されている
Title by『にやり』





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