※敦也君生存パラレル
※吹雪兄弟が出張って真都路ちゃん空気。


 ばたばたと、廊下を蹴る音がする。無意識に視線を下げていた士郎は、正面から向かってくる音に顔を上げた。それとほぼ同時に、士郎の横を人影がすり抜けて行った。人影は、すれ違った相手が士郎だとは気付かなかった様子でそのまま廊下を曲がって姿を消した。掛けようとした言葉は口から出てくることはなく、士郎は口を開いたままその影を見送った。
 すれ違った相手は、同じ部活の真都路珠香だった。明るくて、よく笑う子だと、士郎は思っている。だが、今しがたの彼女は泣いていたように見えた。一瞬光って見えたのは、きっと彼女の涙だ。ぼんやりと彼女が走り去った方向を眺めていると、また後からばたばたと足音が聞えて来た。今度のは、彼女の足音よりも乱暴だな、と思った。そして、この足音の主もまた、自分の良く知る人物なのだろう。今日はまた何をしでかしたのか、苦笑を浮かべて振り向けば、そこにいたのは、やはり士郎の弟の敦也だった。

「兄貴!まとろ見なかったか!?」
「…見たけど、今敦也に来て欲しくないんじゃないかな?」
「何でだよ!?」
「だって泣いてたもん。どうせ敦也が泣かせたんでしょ?」

 士郎の呆れ果てた表情と言葉に、敦也は詰まる。そして恨めしげに顔を下げて、見上げるように兄を睨む。敦也の弟としての癖を毎度こうして眺めながら、我が弟ながらどうしてこうも不器用なのだろうかと、士郎は首を傾げる。双子の兄弟である二人は、見た目だけなら非常によく似ている。成長する毎に見分けがつかないほど酷似している訳ではなくなったが。だが、性格の違い故か、兄である士郎の方が女子には人気だった。士郎は、悪い言い方をすれば、女子の扱い方を知っていた。優しくする方法を知っていた。微笑む利点も、同様に。ただ敦也は、士郎の知っているその大半を知らなかった。男子と女子の違いを理解するより先に、自分と関わる人間としてぶつかりその良し悪しを自分の中の小さな価値観だけで測り選ぶ。そうしていく内に、男子のやんちゃさが未だ抜けきらない彼と合う人間は自然と男子の方が多くなって行った。
 士郎は、そんな敦也の世界を否定しない。寧ろ羨ましいとすら思うこともある。自分だけを基準として生きられるならそれはきっと強くて楽だろう。他人に、踏み潰されることさえしなければ。クラスで、女子と頻繁に口論を繰り広げている敦也を見る度に士郎は苦笑する。士郎の隣にすり寄る女子はいつだって敦也と士郎を比べて士郎を讃える。礼を述べながら、士郎は思う。掃除の時間に、ぞうきんと箒を使って野球をしないだけで自分は弟より優れていると判断される。それはまた、なんとも奇妙な話であると。同じクラスメイトの烈斗とホームランと騒いでいる敦也は、何も知らない。そして士郎は、知らなくていいことの方が多いと思っている。
 士郎と敦也、そして真都路珠香の共通点と言えば同じサッカー部に所属しているという点である。女子と男子で部を分けるには、お互い人数が足りな過ぎた。女子に於いては部員は珠香と紺子の二人しかいない。一緒に練習をする中で、どうにも敦也と珠香の間には口喧嘩が絶えなかった。
 珠香は、女の子だった。敦也は、男の子だった。珠香はその違いを明確に自覚していて、線引きしていた。だから、敦也にもそれを求めた。だが敦也は珠香のそうした考えを全く理解しなかった。同じサッカー部の仲間なのだから。間違ってはいないその認識は、サッカー以外の場所でも現れた。他の男子なら、成長し付き合っていく上で理解して無意識に遠慮するようなことでも、敦也はあけっぴろげだった。男子と女子は、一緒には着替えないし、暑いからといって上半身裸になったりはしない。汗臭いのが好きな訳でもない。とにかく、色々と、敦也と珠香は揉めた。でも不思議と距離を取ったりはしない二人の様子を、士郎は嬉々とした心持ちで眺めていた。

「吹雪君?笑ってるけどどうかした?」
「ふふ、あの二人、仲良しだと思わない?紺子ちゃん」
「あの二人…?敦也君と珠香ちゃん?…まーた喧嘩してるべ」
「飽きないよねえ、ほんとに」

 敦也と珠香が口喧嘩を勃発させる度に、士郎と紺子は遠目にそれを見守ってはこんな老婆心むき出しな呑気な会話を繰り広げている。それが長く続いたのは、敦也と珠香が相変わらずだったこともあるが、それ以上に珠香が泣かなかったことも大きな要因の一つだろう。敦也はがさつというか、乱暴な面があるので、言い合いをすると高確率で乱暴な言葉が飛び出す。中学生にもなって女子にブスと真正面から言ってのける男子を、士郎は自分の弟しか今のところ確認していない。女子の方が内面の成長は早いのだと、授業で聞いた記憶のある士郎には、それなら敦也は珠香にも幼稚に映っているのだろうかと考える。子どもを相手にしているようなものだから、と珠香は寛大な心で敦也の暴言を受け止めているのだろうかと。



「…おい、兄貴!聞いてんのか!?」
「聞いてるよ?要するに敦也は大好きな珠香ちゃんに勢い余って大嫌いなんて嘘を吐いちゃって猛省中なんでしょ?勢いに任せて喋るの、止めなっていつも言ってるじゃない」
「はあ!?俺がいつアイツのこと好きなんて言ったんだよ!?」
「え?大嫌いなの?敦也は珠香ちゃん嫌いなの?」
「…!!……嫌い、じゃねーけど」
「けど?」
「あいつ、俺のこと嫌いだろ、絶対」

 いじけた風で、上履きの爪先で廊下を蹴る。どうやら真剣に考えている弟を目の前にしながら、士郎はやれやれと溜息を吐きたい気持ちと、それ以上の微笑ましい気持ちが混ざり合った結果、声を上げて笑ってしまった。途端に憤慨して食ってかかる敦也にごめんごめんと謝り宥める。
 本当に、手の掛かる、可愛い弟だ。初恋に気付きもせず、嫌われたと思い込んで、それでも追い掛けるなんて。もしかしたら、珠香の方も自分の気持ちに気付いていないのかもしれない。ブスでも、デブでもバカでも泣かない気丈な女の子が、キライの一言で泣き出すなんて。今まで、相手が男子でも女子でも喧嘩して相手を泣かせるなんて珍しくもない敦也が、こんなに慌てるなんて。それってきっと、そういうことなのだ。当人達に伝える気など更々なく、士郎は一人納得して満足している。

「ああほら、早く珠香ちゃん追い掛けなよ」
「兄貴が話し聞いて来たんじゃねえか!」
「敦也が話しかけてきたからじゃない」

 いつまで経っても、敦也は口では士郎に勝てない。今回も、言いくるめられて、兄の隣りをすり抜ける。小さく背中に寄越された激励には気付かない振りをする。言われなくても、頑張るに決まってる。泣かせるつもりもなかった女子を、泣かせてしまったこと。予想以上に自分が動揺していることに、敦也はなんとなく気付いている。ただ、その理由を、まだ知らない。とにかく、珠香を見つけて、謝って、それから。それから先は、その時決めよう。兄に言われた通り、勢いに任せて喋ることだけはしないように、気をつけながら、敦也は全速力で廊下を駆けた。


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やさしくなれないバックドロップ
Title by『ダボスへ』




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