※呼称等捏造あり


 女の子は、口先だけで生きていけるの。真都路珠香は、休み時間の大半を女友達とのお喋りに費やしながら、思う。席に着いたままの珠香の前に立ちながら、熱く隣りのクラスで一番可愛いといわれる女の子の噂話を届けているクラスメイトの唇を、珠香はぼんやりと眺める。どうしてそんなに忙しなく喋り続けられるのかしら。疲れないのかしら。喉だって乾くでしょう。さっさと水道に行って来なさいよ。苛々と、頭の中では拒絶の言葉が溜まって行く。お喋りは大好きだけど、苦手だった。年頃の女の子は、まるで義務だと押し付けられたかの如く口を動かし捲くし立てる。他人の些細なミスや噂を拾い集めて膨らませてばらまいている。なんて、面倒なことだろう。自分がその一角を担っていないかと問われれば珠香は素直に首を振るだろう。だって私も女の子なのだからと、ずるい割り切り方を知っている。
 漸く珠香の席を離れて行ったクラスメイトを見送り、教室をぐるりと見渡す。同じ部活の荒谷紺子の姿を探すが、見つからない。少しがっかりした。同じ女の子でありながら、彼女はどこか素朴だった。小さな身体に似合わない包容力だとかは、うっかりお母さんと呼びたくなってしまう程、温かかった。珠香は、そんな紺子と友達である自分が誇らしかった。同年代の女子達が、おしゃれや恋愛に興味を出して自分を着飾ることばかりを覚えている中、紺子とグラウンドに向かいユニフォームに着替える自分も、珠香は好きだった。

「珠香、宿題やった?やってたら見せて」
「うっさい。名前で呼ばないでよ」
「…何で怒ってんの?」
「怒ってない。ねえ紺子ちゃん知らない?」

 馴れ馴れしく背後から声を掛けてきた氷上烈斗に一瞥もくれず、珠香はまだ教室を見渡している。烈斗は顔の高さで揺らしていたノートを下ろして珠香の後ろの席を勝手に拝借して腰を下ろす。どうやら、彼女は宿題を見せてくれないらしい。それを理解して、これは説教されるかもしれないと、烈斗は情けない顔をして大きく溜息を吐いた。そこで、珠香は漸く烈斗に視線を固定して、じろりと睥睨した。一瞬、烈斗はひるんだが直ぐになんだよと言い返す。別に、と烈斗から視線を外した珠香は机の中からノートを取り出して荒々しく烈斗の座っている席の机に置いた。途端、烈斗はにっかりと笑って礼を言ってノートを開く。ノートの中は珠香の字で見やすく纏められていた。文字列の一番後ろ、宿題の部分に辿り着き烈斗はシャープペンを手に取った。

「紺子なら水道だよ」
「なんで?」
「後ろのロッカーに花置いてあるじゃん。それの水替え」
「なんで紺子ちゃんがやるのよ。日直の仕事でしょ」
「さあ?何日も替えられてなかったみたいだから、気付いた紺子が替えてるんだろ?」

 それだけのこと、と言いたげな烈斗の言い草に、珠香はただ腹立たしさを覚えた。気付いた紺子をお節介と責めている訳ではなく。仕事をやらずに紺子がやっていることをさも当然と感じて気付きもしないクラスメイトい嫌気が差すのだ。そして、そんなクラスメイトを肯定するような発言をした烈斗にだって、若干の嫌悪を覚えた。

「珠香、この文章題ってさ…」
「名前で呼ばないでって言ってるでしょ」
「何で?」
「何でも!何でわかんないのよ」
「はあ?意味わかんね」

 今度は、烈斗が珠香の顔をみながらうんざりといった表情をする。だが珠香そんなことぐらいで怯むはずもなく逆に睨み返す。烈斗は珠香の言葉の意味など理解出来ないまま、また彼女のノートを写す作業に没頭し始めた。
 女の子は、口先だけで生きてるの。どうしてそれが男の子にはわからないのかしら。そう、珠香は思わずにはいられない。烈斗と同じクラスになって、部活仲間という気安さがあったから、最初は何の疑問も抱かずにお互いを名前で呼び合っていた。それこそ、教室の端から端に届くような声量で。そうしている内に、珠香はクラスメイトの女子に何度も詰め寄られた。好奇心に満ちた視線の問いかけはいつだって一つだけ。氷上烈斗と真都路珠香は付き合っているのか。それだけだった。最初は笑い飛ばしながら否定していた。そして段々と憂鬱になった。男の子と名前で呼び合うだけで、恋愛関係を疑うなんて馬鹿げてる。そう思うのに、言葉には出来なかった。多勢の相手に、噛みつく勇気がなかっただけかもしれない。時間が経てば興味も薄れるものだと思ったから、ただ耐えた。そんな珠香と自分の関係が好奇に満ちた視線で観察されているなどと露にも疑わない烈斗は相も変わらず教室中に響くような声量で彼女を下の名前で呼ぶ。彼の場合、もう一人の部活仲間である紺子のことも名前で呼んでいるのだが、彼女との仲を疑われたことはない。そこに、クラスメイト達の紺子ちゃんは恋愛には興味ないよね、という失礼な前提が立っていることを、珠香だけが知っている。そして、そんなクラスメイト達の紺子の優しさに対する無礼な認識を目の当たりにする度、珠香は自分が女の子であることを面倒臭いと思う。

「なあ珠香、お前彼氏いる?」
「はあ?どうしたの烈斗、具合悪いの?」
「何でだよ。で、いるの?」
「いないよ。毎日部活で一緒なのに、そんなのいると思うの?」
「いやいや、サッカー部の誰かとか」
「益々意味分かんない。まあ、吹雪君顔は格好いいよね!」
「うげ、」

 軽口は、言葉遊びに過ぎない。深い意味など、珠香にとっては何一つない。烈斗は黙々と宿題を映していて、珠香は椅子に横向きに座り紺子が早く帰ってこないかと教室の入り口を見詰めている。不意に、烈斗がシャープペンを放る音が聞こえて、珠香は彼の方を振り向く。烈斗はじっと珠香を見ていた。かち合ってしまった視線は、やけに真剣な色を持っていて、珠香は居心地が悪い。

「珠香は吹雪みたいな奴が好みなのかよ」
「…別に?寄って来る女の子全員に優しくする所は、あんまり好きじゃないよ」
「だったらさ、俺が珠香にばっかり声掛ける理由もいい加減気付けば?」
「は?」
「…好きなんだけど」

 ぼそりと、突然寄越された告白は、タイミング良く鳴り始めたチャイムと重なって、きっと珠香にしか聞こえなかった。周囲が次の準備に慌て出す中、烈斗と珠香だけが動き出せずにいた。いつも刺々しい態度ばかりの珠香が、自分の告白によって黙り込んでしまったことに、烈斗は段々と焦り、恥ずかしさが込み上げてくる。何か言わなければと、口を開こうとした瞬間、烈斗の座っている席の本来の持ち主が戻って来てしまい、結局烈斗は何も言えないまま自分の席に戻るしかなかった。

「珠香ちゃん?」
「…!紺子ちゃん!」
「どうかした?もう授業始まるべ?」
「うん、そうね!」

 花瓶を持ったまま、首を傾げる紺子に珠香は乾いた笑いを残して居ずまいを正した。既にチャイムが鳴っている為、紺子は深い追及はせずに花瓶を置きに急いだ。ほっと息を吐く。どくんどくんと音を立てる心臓は、いつもの何倍もうるさかった。烈斗も、今頃こんなうるさい心臓を抱えて顔を赤くしているのだろう。そう思うと、迂闊に彼の方に顔を向けることすら出来そうになかった。つい最近まで、彼と恋愛関係を疑われることが億劫で仕方なかったというのに、何故こんなにも落ち着かなくて、心臓が高鳴るのか。珠香は、なんとなく、分かっている。それでも、間違っていたらという不安に駆られて、放課後部室に向かう途中で紺子に相談してしまうのだろう。そうして、彼女が微笑んで祝福してくれて、背中を押してくれたら、きっと烈斗の気持ちに応えてあげられると思った。でも、恥ずかしくて、今までみたいに口やかましい言い合いなんて出来ないかもしれない。真都路珠香は、口先だけで生きていける女の子ではないのだから。


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わたしと上手に息をする
Title by『ダボスへ』




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