※パラレル
※塔リカのような、照塔のような、マクリカのような。


 あたしの夏が過ぎ去ってしまった。憤った様子で声を荒げた。ソーサーに叩きつけるように置かれたカップの中では半分以上飲まれた紅茶が揺れていた。カップを持つ塔子の右手はわなわなと震えていて、収まりきらない怒りを鎮めようと必死に自己の中で葛藤を繰り返している如くであった。
 彼女の前に座り、我関せずと言った風でコーヒーを啜っている照美は、わざわざ金を払って頼んだコーヒーが思いの外自身の舌に馴染まなかったことを忌々しいと眉を顰めた。とにかく、カフェの外に並べられたテーブルに見た目は麗しい二人の男女が揃って顔を不快に歪めている状況は何とも奇異な状況であった。

「夏が過ぎ去ったっていいじゃないか。季節は廻るものだよ。また次の夏が来るさ」
「そんな訳ないだろ?一度きりだよ。同じ夏は二度と来ないんだから!」
「何でそんなに吠えるのさ?人が見てるよ?」

 あとひと匙、照美が余計な一言を塔子に投げかければここは舌戦の場と化していたただろう。語彙力や判断力は圧倒的に照美が勝っているのだが感情的になって勝負の内容など忘れ拗ねて場を沈黙させる塔子が相手だから、二人はお互いの気が済むまで会わない、口を利かないという状態がしょっちゅう訪れた。二人は別にそんな幼稚な膠着状態を繰り返すことを何とも思っていなかった。友達と呼ぶには、二人は少し、遠かった。
 二人はただ、お気に入りとしているカフェが同じなだけの、男女だった。少しだけ違ったのは、照美はいつだってカフェに一人でやって来るが、塔子は大切な女友達を連れだってそのカフェにやって来る。塔子がリカと照美に紹介した少女は、照美に言わせればまあ彼女と気が合うだろうと思わせるテンションであった。浮き沈みは激しいが、基本的に常に浮いている。アーケードをくぐり商店街を歩きながら鼻歌を歌っている姿がよく似合う、そんな女の子だ。自分が女の子であると自覚していて、恋に恋する幼さで、短いスカートをひらめかせ、ストッキングなんて履くこともなく裸足で丘の上を駆けることを厭わない。だが別段珍しくもない、平凡な女の子だった。
 そんなリカが、恋をした。そしてその恋を実らせた。マークという少年の家に頻繁に出向くようになったのは、夏の盛りを少しだけ過ぎた頃だった。毎日のように一緒に街を歩き、丘を駆けた親友の突然の変化に一番驚いたのは塔子だった。別々に行動する時間が増えて、単純に寂しいと思った。リカに何故と問えば簡単に好きな人に会いに行っていると答える。それが、二人で出掛けたカフェで出会った少年の一人だと思い出すのに少しだけ時間が掛かった。

「あたしのことは好きじゃないの?」
「塔子のこと嫌う理由なんてないやん」
「じゃあ何でマークの方がリカに優先されるの?」
「いややわ、塔子。子どもみたいやん」

 くすくすと、邪気無く笑うリカが憎かった。口元に手を添えて笑うなんて気味が悪いよ。そう吐き捨てたかったがしなかった。どうせまた子どもみたいだと笑うのだろう。悪循環だ。昨日まで同じ女の子だったリカが、自分を置いて女になっていくなどと塔子には信じがたいことだった。恋などと、一体何が楽しいのか塔子には理解できない。だがリカは理解してしまった。その差はほとほと埋めがたく、塔子は絶望にも似た気持ちでリカの顔をじっと見つめるしか出来なかった。その日、リカは夜にまた塔子の家に行くからと言い残して身を翻して駆けて行ってしまった。小さくなって行く彼女の全身を見送りながら、塔子はその時初めて、リカがストッキングを履いていることに気が付いた。そして、それをあのマークに暴かれる為だけにそうしているのだと思うと酷く吐き気がした。嫌悪は、リカよりもマークに向かって行った。だけど塔子は、自分からマークに近づこうとはしなかった。だって会ったらきっと殴ってしまう。お転婆と笑い者になることだって、今までに何度もあったけれど、理不尽な暴力はきっと塔子から一番大事なものを奪っていってしまうと知っていた。リカに嫌われることだけは、何としても避けなければならなかった。塔子は女の子だったけれど、だけど賢かった。
 マークは、おんぼろのアパートの二階に一人で暮していて、彼の部屋に行く為に上らなければならない木造の階段はリカが上ろうとそっと足を乗せてもぎしぎしと音を立てるのだという。塔子の部屋に来る為に、彼女の家の階段を上る時はばたばたと足音を立てても気にも留めなかったくせに。こんな小さなことに、塔子は情けなくも泣きたくなる。リカは幸せそうに彼との出来事を一つ一つ塔子に話して聞かせる。塔子は耳を塞ぎたい。いつもならリカと一緒にいるだけで幸せな気持ちになれるのに、彼女の口からマークの名前が出てくると塔子は忌々しさと心臓が掴まれたような痛みを表情に出さないように我慢しなければならない。そうして溜まったフラストレーションは、決まって照美と遭遇したカフェで爆発するのである。
 親身でない照美の態度は塔子にとっては気楽なものであったが、物言いがどうにも自分を見下しているようで気に障る。このカフェをお気に入りとほざく割には、自分で頼んだメニューの味に文句を付ける回数もそれなりに多い。そんなに舌が肥えているならもっと高級な店に行けばいいのだ。塔子は思う。だけど、実際そんなことになったら、自分はこの近辺のカフェを虱潰しに歩きまわって彼の姿を探すのかもしれない。そんな考えが頭に浮かぶこと自体、塔子は気に食わなかった。

「あたし、金髪ってホント嫌い」
「へえ、そう。まさか水色が好きなんて言わないよね」
「なんで?いいじゃん。空みたいで、綺麗だ」
「君の言っている水色は君の物にはならないのに?」

 こういう言い草が心底むかつくのだ。塔子はじろりと正面に座っている照美を睨む。曇り空から僅かに差し込む太陽光を受けて、彼の美しいブロンドは輝きを持っていた。その光が目に付いて、漸く塔子はこいつも金髪だったなと思い到った。そして、照美の言葉を反芻する。水色は、リカの色だった。彼女が丘を駆けて、その髪が揺れると、まるで空と一つになったかのような錯覚を起こす程、塔子は彼女の髪が美しいと思っていた。そしてそれは、決して自分の物にはならない。だって彼女は、もう自分以外の男の物になってしまった。理由はきっと、それだけじゃないのだろうけど。仮にリカとマークが恋人という関係に収まらなかったとして、自分とリカの関係に変化が訪れるなんて、想像出来なかった。変わらないことを望んだ。それが塔子とリカの、出会い手を取った時から約束された形だった。
 淡々と辿る事実は、脳内で御託として並べ立てるだけならば容易い。だが塔子は納得をしない。ましてや、こんないけすかない男に諭されるなんてちっぽけなプライドが邪魔をする。照美は舌に合わないと文句を付けたコーヒーをとっくに飲み干して、感情の読めない瞳で塔子をじっと見つめていた。塔子はカップをソーサーに押し付けたまま、再びそれを口に運んでいない。紅茶はとっくに冷めきっていることだろう。そんなことは、どうでもよかった。どうせ明日も、ここにくるのだから。

「君もストッキングでも履いて、スカートの裾を長くして、ブラウスの袖のボタンをちゃんと留めて見れば?少しはしおらしく見えるかもよ」
「何であたしがそんなことするの?しおらしく見えたらどうなるの?ねえ、どうなるっていうの?」
「どうにもならないよ。君は変わらない。恋を知らない、寂しがり屋の女の子のままだろうね」
「ならやっぱり、そんなことしてどうなるっていうの」

 また自分を見下してからかっているのだと、塔子は照美をますます剣呑に睨んだ。照美はそんな塔子の目線を穏やかに微笑んで受け止める。そんなこと、今までなかったから、塔子は驚いて睨みを解いて瞳を瞬かせた。それを見て、また照美は微笑んだ。

「そうだね、もし君がそんなしおらしい格好をして僕の前に現れたら、僕は君に可愛いねって言葉を送るよ。でもいつもの君だって十分女の子らしくて可愛いよって囁いて、君の手を取って、君の好きなあの丘まで駆けて行こうか」

 そう言って、照美は塔子の頬に触れた。ひんやりとした指先が、塔子の頬に集まった熱を知らせる。この熱が、怒りからくるものではないことだけは分かる。だけど、本当の理由はまだ知りたくない気がした。照美の言葉が塔子の頭の中をぐるぐると回る。
 塔子は恋を知らない。それでも明日、塔子はお茶をする為では無く、照美の存在を期待してまたこのカフェを訪れるような気がした。スカートの丈も捲り上げたブラウスの袖もそのままで。でも、ストッキングだけなら、履いてみてもいいかもしれない。ああ、でもそれは、丘を駆け回るには適していないかもしれない。そんな風に思った。
 薄曇りの空の下、通りに面したカフェの外に並べられたテーブルの一つ。一組の男女が見つめ合っていた。それはきっと、恋をしている二人に映ったことだろう。



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あの花の名前をおしえてあげる
Title by『ダボスへ』





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