「茜さんのことが、好きなんです」

 職員室へ向かう道すがら、聞き慣れた名前の響きに足を止める。茜のことが好きだと、脳に浸透した言葉に拓人の心臓が一度どくんと大きく疼いた。心なしか、少し痛いような気もする。声をした方向をそろりと伺う。校舎の柱によって、拓人からも相手からも死角になっている、そんな位置。動きが自然と慎重になるのは、先程の会話を聞けば誰だってそれが告白だと思うから。
 見えたのは、部活でよく見慣れた後ろ姿。それから、顔を紅潮させながら、必死に想いの丈を訴える見知らぬ男子生徒。告白を受けている、茜の表情は、一切見えない。拓人としては、告白を受けている女子が、自分の想像した人物と同一であることを確認出来ればそれで満足の筈だった。偶然ここを通り掛かっただけの拓人は完全なる部外者。空気を呼んで、さっさとこの場を立ち去るのが親切だし礼儀だ。頭は冷静にその事実を理解している。だが、何故かこの場を去る所か視線を逸らすことすら出来ないのは、拓人にすら理解できないことだった。自分は案外野次馬な一面があったのかと思うが、どこかしっくりとこない。何より、拓人が見ているのは、告白現場というより、今や山菜茜の後姿、その一点であった。
 自分をシン様という謎の呼称を用いて呼ぶ唯一の少女。ふわふわと掴み所のない彼女について、風が運んだ噂によればどうやら自分に憧れているらしくて、拓人は首を傾げた。にこにこと微笑んで、カメラを構える少女が、サッカー少年の自分の何処に憧れる要素があったのか、わからないが。思春期の子供たちの中を行き交う信憑性の薄い下世話な噂ばかりが飛び交う中で、茜の拓人への気持ちはなかなか正確性を保ったままだった。「憧れ」が「恋愛」に変換されることも、なかったのだから。だから拓人は茜を警戒することもなく接した。特別気に掛けて距離を詰めたりすることも当然なかったけれど。彼女の方も、特別拓人と距離を縮めようとか、そういった意図はまったく感じさせずに日々マネージャー業に勤しんでいた。時折、カメラのピントを合わせるような動作をするが、拓人の許可なしでは写真を撮ってはいないようだった。知り合う前はどうしていたのかは、もうどうしようもない過去のことだから、拓人は突き詰めないようにしている。兎に角、拓人と茜の関係と言えばサッカー部のキャプテンとマネージャーというシンプルな位置で落ち着いているのである。

「私―…」

 沈黙していた場に、茜の穏やかな声が響いた。そう、穏やかだったのだ。それは言い換えればいつも通りだった。だけど、焦りとか恥じらいとか、そうした色が全く浮かんでいなかったから。何故か、拓人の方が、焦ってしまった。だって、まるで受け入れているようだと思ったから。相手の告白を受け入れて、同じ気持ちで、だから穏やかに、申し訳なさもなく言葉を発しているのではないかと感じたから。そう思ったら、急に拓人は自分の背筋が凍りつくような感覚に襲われる。一瞬、タイミングが全て。ここで見送ったらもう、取り返しがつかない。そんな、逼迫感と恐怖と勘違いに背を押され、無意識に大きく一歩を踏み出していた。当然気配を隠す配慮なんて微塵もない。

「――山菜!」
「!…シン様?」
「え、神童!?」

 三者三様の動揺が、場に木霊する。天下のサッカー部のキャプテンである神童拓人という人間を、付き合いはなくとも名と顔を一致させる程度の認識を、この学校に通う生徒ならば誰もが持っている。だから、茜に告白していた少年も、突然の乱入者に焦りながらもその名を問うたりはしない。それに、茜を想う人間ならば、神童拓人の存在を避けて通ることは出来ないのだ。だって彼女は彼への憧れをひた隠そうなんて意図、全く持っていないのだから。それでも、告白は、莫大な勇気を要するものだ。当事者以外の人間に、割り込んで欲しくなんて、ない。だがそんな少年の意見など拓人が汲み取り尊重する筈もなく、衝動で行動してしまったが故、拓人自身も冷静な判断が今は出来ない。取り敢えずと、ぽかんと不思議そうに拓人を見詰めている茜の手を取って、脇目も振らず駆けだした。勿論茜が一緒なのだから、全速力でない。その場に取り残された少年は何が起こったのか理解も出来ず、返事も貰えず、ただその場に立ち尽くすのみであった。

「…シン様?どうかしました?」
「…、いや、その…」
「部活の話ですか?」
「ああ、まあ、そんな所だ」

 体の良い言い訳など用意している筈もなく、息を乱す茜の問いを上手く交わすことも出来なかった。だから、丁度よく茜から寄越された言葉に便乗して場をやり過ごそうと試みた。だが直ぐに、じゃあ部活の話って一体なんだと自分に問えば用事なんてある筈もなく拓人は内心頭を抱えて蹲るしかない。人の告白現場に乱入して当事者を連れ出すなんて、失礼千万、最低じゃないかと唸る。

「すまなかった。告白の邪魔をしてしまって」
「いえ…。お断りするつもりでしたから」
「…!そうだったのか?」
「だってあんまり話したこともないし、何より今はサッカー部のマネージャーの仕事の方が優先事項ですから」

 拓人は息を吐く。徒労に対する嘆息と、茜の言葉に対する安堵の息を。相変わらず微笑んだままの茜は、部活の話があると自分を連れ出した筈の拓人の言葉を促すような仕草は一切見せなかった。それは、彼女自身安堵していたからかもしれない。告白を受けたのは、初めてではないけれど、こうして知り合いが乱入してきたケースは初めてだった。訳も分からず、だが何かを勘違いしているような拓人の様子に、少しだけ茜は不安を覚えた。自分があの少年に好意を寄せていると思われていたらどうしよう、だとか。マネージャーの仕事もまだ不慣れな部分もあるのに色恋に精を出しているなんて思われたらどうしようだとか。考え過ぎと言えば考え過ぎだが、それは結局お互い様だった。

「では、私は教室に戻りますね」
「ああ。…いや、送る」
「大丈夫ですよ。教室までですよ?」
「まあ、そうだが。教室は同じ方向だから」
「そうですか」
「そうだ」

 奇妙なやり取りをして、二人はゆっくり歩き出した。拓人は、職員室に用事があったのだが、もう休み時間は終わってしまう。自分が無関係なことに首を突っ込んだからなのだが、仕方ない。それに、このまま茜を一人で返して途中さき程の少年に出くわして彼女が責められたりしたら申し訳ない。拓人はそう思ったのだが、実際は。自分が隣りを歩いていれば、変な男が彼女に気安く話しかけてくることもないだろうなんて、そんなことを考えている自分に、拓人はまだ気付いていないので。この道中は、単純に茜の機嫌を少しだけ上昇させる、それくらいの効能しか齎さなかったのだけれど、拓人の機嫌も案外、上向いたりしていたのである。


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やわき花びらたちよ
Title by『ダボスへ』




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