手を繋いだことがないと言ったら、本当に付き合っているのかと怪訝な顔をされた。勝ち負けじゃないが何となく悔しくて、手を繋ぐことが恋人の条件じゃないと自分に言い訳して夏彦はその場を離れた。
 自分の恋人は、度を越して恥ずかしがり屋なのだと、そんなことは付き合う前から知っていた。自分の周辺には珍しく控えめで穏やかな性格の由紀を、夏彦は気付けば好きになっていた。それは本当にいつの間にかの出来事で、夏彦自身、気持ちを認めるまで少し時間が掛かった。
 そこから、彼女に自分と同じ気持ちを受け入れて貰うのに、また時間が掛かった。庇護欲をそそるタイプなのか、チームメイトにやたらと大事にされていて、近付くことすらそう容易なことではなかった。
 目つきが悪いのは生まれつきだ。怯えさせるつもりなどないのに、ことあるごとに由紀を萎縮させては彼女のチームメイトに目くじらを立てられて来た。
 そんな蟻一匹分程度ずつにしか進んで行かない関係だったから、勢い余って彼女に告白した時、いつも以上に動揺しながら、それでもしっかりと頷いてくれた時の感動を、夏彦は今でも忘れていない。

「夏彦君、夏彦君」

 そろそろと遠慮がちに自分に近付いて来る彼女は、また控え目に夏彦を呼ぶ。実は名前で呼び合うようになるまでにもそれは長い道のりを進んで来た二人ではあるのだが此処では敢えて触れない。とにかく、夏彦は由紀が大事で仕方がなかった。気の長い方ではない自分が、彼女のこととなると不思議なくらい忍耐強くなるのだ。
 自分が言葉にすれば途端に薄っぺらい響きしか持たないが、たぶんこれが愛しさなのだと思っている。手を繋ぐよりも、ずっと確固たる絆。一方的には成り立たないそれを、一人しみじみと感じ入ってみる。

「夏彦らしいよ」

 そう、優しい苦笑をこぼしたのは茂人だった。同年代の男子の中では幾分柔和な表情を浮かべる彼は、夏彦と由紀の小さな歩みを急かそうとも阻もうともせずに眺めていた。協力的だった訳でもない。だが励ますつもりでもない率直な言葉達は何度も折れかけた夏彦の気持ちを奮い立たせてくれたものだ。
 茂人曰わく。夏彦は、言葉も態度も不器用だとのことだった。それは、つまり全くの良いとこなしではないかと、夏彦は唸る。そんな彼に、茂人はやっぱり笑って見せるのだ。不器用だから、素直な気持ちが届くのだと。下手くそな嘘しか吐けないのだから、だから逆に安心なのだと。
 夏彦にはいまいちピンと来ない言葉ばかり。誉められた気がしないと漏らせば誉めていないよと即答される。ありのままの夏彦について自分が思ったことを言葉にしただけだから、誉めるとか、貶すとかそういう次元の話ではないよとその場を締めくくった。茂人は、いつもそうやってさり気なく夏彦に前進を促すのだ。

「…夏彦君?」
「ん、」

 突然の回想に、思わず黙り込んでしまっていた。心配そうに自分を覗き込む由紀に、心配いらないと示す為に、小さく声を発した。微笑んでやることも容易ではない。それでも夏彦の意とすることを的確に汲み取って、ほっとしたように微笑むのが由紀だった。以前ならば、顔を見つめることすら困難としていた、彼女がである。
 歴史だよなあ、とあまり良くない頭で考えながら、夏彦はむずむずと歯痒い感覚を覚える。まだまだ手は繋げないし、抱き合うなんて程遠く、キスに至っては言葉にすることすら憚られる、そんな具合だけれど。

「夏彦君、嬉しそうだね。何か…あったの?」
「別に」
「…そう?」

 きっと、今ここに二人のチームメイトがいたのなら、口を揃えて夏彦を責めたことだろう。素っ気ないようにしか映らない態度に、夏彦は自分で一番辟易しているのだ。照れ屋で臆病だった由紀は、夏彦の方も同じくらい照れ屋であると、彼と少しずつ仲良くなる内に気付いた。そんな些細なことに気付いて、由紀は夏彦が愛しくなった。誤魔化し方を知らずに俯く自分と、彼は正反対なのだと理解した。俯く代わりに、彼はつい攻撃的な態度を取ってしまうだけなのだと知った。バンダナに隠れてなかなか見えない瞳が、由紀に沢山の感情を伝えてくれたから、もう夏彦の言葉や仕草に脅えたりはしないのだ。

「あのね、夏彦君」
「うん」
「今じゃなくて良いんだけどね、あの、」
「何?」
「いつかでいいから、手を…繋ごう?」
「…!」

 いつものように照れて、由紀は俯く。夏彦は、驚いて目を見張り彼女を凝視する。もしや誰か彼女に先程自分が言われたようなお節介極まりない言葉を吐き捨てたのかと疑うが、じっと見つめる彼女の顔には何ら焦りや悲しみ、不快の色は見られなかった。偶然、なのだろうか。詮索するのもまた無意味だ。寧ろ今は、控え目かつ遠回し過ぎる要求に如何に答えてやるかが問題なのだ。
 今すぐ繋ごうか、繋ぎたい、繋いで下さい。色んな形態はある。意味することは何ら変わらず、ただ夏彦のちっぽけなプライドだけの問題。いつかなんて先延ばしにしてしまえば結局また千里の如く長い道のりを進まなければならない。嫌ではない。ただ、触れたいと願うことは常のことだから、チャンスがあるならば今すぐにだって由紀の手を取りたいと思うのだ。
 ぐるぐると考え込む。再び沈黙が二人の間に横たわる。ゴールはもう見えていて、決まっている。ただそこまでの行程を、夏彦は必死に考え込んでいる。由紀はひたすら自分の発言に恥ずかしがって俯くばかりだ。こんな初々しいよりも手前の二人が、あと少しで手を繋ぐ。これもまた、一つの歴史だと、いつか夏彦は振り返るのだろう。



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しんとした優しさに
Title by『ダボスへ』





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