夕暮の帰り道は静かだった。橙と薄紫が混ざりあう宵の入口。子供達は既に母の声に誘われて家路に着いた。少しくたびれ始めたローファーのつま先をぼんやりと眺めながら、クララは思う。何とも味気ない一日の終わり方だと。その一方で隣りを歩く茂人はいつも通り穏やかな表情で今日学校であった出来事を話している。聞かずとも、どうせ代り映えのない一日だったのでしょうとは、言わなかったけれど。
 クララに言わせれば、茂人の人生の幸運は幼馴染である南雲晴矢によって搾取されているのだと思う。彼がもし、あとほんの少しだけ茂人の遠くに存在していたのなら、きっと茂人はもっと違った物の見方で世界を生きていただろう。世話好きになんてならなかったかもしれない。サッカーなんて興味を持たなかったかもしれない。ともすれば、自分に好意を寄せることもなかったのかもしれない。
 ここまで考えた所で、クララはつま先ばかり見ていた顔を上げた。クララと茂人は、いつも二人で一緒に帰っている。けれど恋人ではなかった。茂人が、顔を真っ赤にさせながらそれでもどもることなく好きですと告白をして来たとき、クララの機嫌は最悪に悪かった。それは単に前日買った文庫本の内容が期待はずれだったという茂人にはなんの落ち度もないことが原因だったのだけれど。それでもクララの腹の虫の居所は悪かった。それはもう悪かった。

「あなたの存在が私にとって何の価値があるって言うんですか?」

 たぶん、辛辣な言葉を吐くとよく付き合いの長い友人から指摘され首を傾げるクララですら、この先一生これ以上酷い言葉を、自分に好意を寄せてくれる人間に吐き出すことはないだろうと思う。あの時の、茂人のぽかんと間抜けに口を開けたままの表情を思い出すと、嘲るよりも申し訳なさが先に立つ。それでも、直ぐに我に返り茂人は言ったから。

「その価値は君が決めることだから、だから君に、俺のこと知って欲しい!」

 随分くさい言葉を吐く男だと、クララは感心した。恋愛小説は自分の興味の範囲外だが、たぶんこんな台詞がどこかの本に存在しているんじゃないかしらと思い、そうして無意識にクララは茂人の言葉に頷いていた。告白を受け入れた訳ではない。けれど拒みもしなかったことに、クララ自身が一番驚いていた。勿論表情になど出す筈もなく。それ以来、茂人はクララと頻繁に行動を共にする。しかしクラスの違う二人が一緒にいる時間は休み時間や放課後だけだ。何より茂人は晴矢に振り回され過ぎている。宿題を忘れた彼に付き合って、何度クララの元へ来ることが出来なかったか。そんな瑣末なことの回数を律儀に数えているクララは、態度はデカイ癖に結局幼馴染に甘え続けている晴矢のことが好きでは無かった。
 以前、きっと茂人は困った顔をするだろうと知りながら彼に言った。自分は南雲晴矢が好きではないと。すると茂人はやはり困ったように眉を情けなく下げた。悪い奴じゃないんだよと彼を擁護する茂人に、私は悪い奴だから嫌いなんじゃないと言えば、茂人は黙った。だってそうだろう。茂人は、自分が良い人だから好きになったとでもいうのか。そもそも貴方はどうして私が好きなのと詰問してやりたくなったのはきっと、やはりあの日の自分は機嫌が悪かったのだろうと今なら冷静に振り返れる。
 まるでクララは南雲晴矢に妬いてるみたいだと、友人が言った。自分は茂人と付き合っている訳では無いのだから、それはあまりに図々しいだろう。そう否定したかったのだけれど、ではどうして南雲晴矢にイラつくのと問われたら答えを表現する言葉がうまく見つからなかったから、そうかもしれないと肯定の言葉を残して置いた。それが、今日の昼休みのことだった。

「ねえ、茂人君」
「…!ごめん、俺ばっかり喋っちゃって」
「それはいつものことだわ」
「……すいません」

 クララの指摘に、茂人は目に見えてしょげかえっている。この人は本当に自分と同じ年の男子なのだろうか。この年代の男子というのは女子に対して多少見栄っ張りになるものだと思っていたのだが、茂人に限って言えば違うのかもしれない。帰り道、クララは初めて茂人を自分の瞳に映した。一瞬、茂人の身体が強張った。睨んでいる訳では、ないというのに。

「以前話したことを覚えているかしら」
「…以前?」
「貴方が私にとってどれほどの価値があるか」
「ああ!うん、覚えてるよ」
「最近いろいろと考えたのだけれどね」
「…クララちゃん?」
「思いの外、貴方が大事な存在になってしまったみたいね」

 困ったわ、と大して困っていない風でクララが呟いた。困ったのは、茂人の方だった。長い間先延ばしにされてきた告白の返事を、貰ったと捉えて良いのだろうか。それも、自分にとって最善の結果として。
 不意に、風が吹いて、クララの短い髪を揺らす。そんな風景すら、今の茂人にはひどく輝いて見える。薄暗くなり始めた帰路では既にお互いの表情すら読み取りづらくなっているはずなのに、茂人の目にはクララの様子がありありと見えるのだ。

「う…あの、クララちゃん、」
「何かしら?」
「手を…繋いでも良いですか?」
「ええ、どうぞ」

 おずおずと、茂人が差し出したクララの手を握る。そして、へらりと締まりのない顔で笑うから、クララは苦笑してしまう。呆れではなく、微笑ましさから。何とも初々しいものだと思う。きっと彼は、これからも一々自分に確認してからこの関係を進めていこうとするのだろう。抱き締めることも、キスをすることも。想像したらむず痒くて、こんな気持ちになるのならやはり自分は恋愛小説なんて読まないだろう。現実だけで充分だ。
 思っていたより自分が茂人のことが好きだと認めてしまえば色々なことがクララの内側にすとんと落ちてパズルのピースの様にはまって行く。その中で、一つだけ決めていること。絶対に私と南雲晴矢のどちらが大切なんて聞かない。だってそれって、なんだかすごく癪だと思うのだ。



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心をここまでもっておいで
Title by『ダボスへ』




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